REPORT/INTERVIEW

  • ー乳清のような作品をつくりたいー 「ホエイ」プロデューサー河村竜也さんに聞く

    2016年のTGR札幌劇場祭で大賞を受賞し、その受賞作『珈琲法要』で札幌演劇シーズン2018-冬に道外劇団として初めて参加する「ホエイ」。

    江戸末期に北海道で起きた津軽藩士の大量殉難事件を描いた『珈琲法要』、昭和新山誕生により消滅した集落とそこに暮らす人々の生活を描いた『麦とクシャミ』、そして、ダムの底に沈んだ町「大夕張」を描いた新作『郷愁の丘ロマントピア』。

    東京の劇団でありながら、北海道を舞台にした作品を多く手掛けている「ホエイ」のプロデューサー河村竜也さんにお話しを伺いました。

    『珈琲法要』©NagareTanaka 2015年

     


    ーまず、劇団について教えてください。所属メンバーは3名とのことですが。

    はい。プロデューサーの私(河村)、作・演出の山田百次(やまだ ももじ)、制作の赤刎千久子(あかばね ちくこ)の3名です。

     

    ー劇団としてはちょっと少ないように感じますが。

    こんなことをいうのもなんですが、僕は日本の劇団制度にあまり明るい未来を描けていません。作・演出が主宰を兼任する劇団が多いと思いますが、劇団はステップアップしていく過程が実は一番大変なんです。劇団のガバナンス(*)を維持することと、作品の質を高めること、その両方を芸術家がやるのは、いまの時代、よほどのカリスマか強権でない限り厳しいだろうと思うんです。なので、権限を分けて、最小限の人数にとどめています。

    *ガバナンス=集団の運営管理

     

    ー先日まで「青年団リンク ホエイ」でしたが、今回から「ホエイ」になった経緯と「青年団リンク」という仕組みについて教えてください。

    私は「ホエイ」のプロデューサーであり、青年団(*)の劇団員でもあります。
    青年団の劇団員は誰でも公演を企画立案することができて、 企画が通れば若手自主企画〇〇企画として活動をスタートさせることができるんです。私の場合は「河村企画」でした。

    そこで一定の評価を得ると「青年団若手自主企画」からカテゴリーが1つ上がり「青年団リンク」を名乗ることができます。また、活動するためのカンパニー名をつけることも出来ます。やがてはその「青年団リンク」を卒業し、ひとつの劇団として独立します。松井周さんの「サンプル」や、柴幸男さんの「ままごと」も「青年団リンク」からの卒業組です。

    私の場合はそれが「ホエイ」だったので、「青年団リンク ホエイ」として活動していました。いずれも、こまばアゴラ劇場(*)から公演支援金をもらい自主的に運営します。公の助成金を獲得するためのノウハウも、この流れの中で学ぶことができます。

    こまばアゴラ劇場には、実際に公演を行う劇場の他に、青年団をはじめとする俳優やスタッフ、稽古場、そして何よりも支援会員(*)がいるので、潤沢な環境で創作に集中し、発表することができるんです。日本随一の育成システムだと思います。

    私たちは、2013年に若手自主企画「河村企画」として発足し、「青年団リンク ホエイ」を経て、今年1月、青年団から独立しました。札幌での『珈琲法要』再演が、独立後はじめてのホエイ公演となります。

    *青年団=1983年旗揚げ。日本の演劇界に多大な影響を与えた平田オリザ(劇作家・演出家)主宰の劇団
    *こまばアゴラ劇場=劇団青年団が運営している小劇場。平田オリザが支配人兼芸術監督を務めている
    *支援会員=年会費で劇場や劇団をサポートする支援制度。特典としてアゴラ劇場の主催・提携・連携公演などを観劇することができるため、集客面でのサポートにも繋がっている

    『珈琲法要』(C)NagareTanaka 2015年


    ーなるほど。劇団運営を知るためには素晴らしい仕組みですね。なぜ所属している劇団とは別に「ホエイ」を作ろうと思ったんですか?名前の由来も教えてください。

    こまばアゴラ劇場は、以前「サミット」という地域の若手カンパニーを東京に紹介するフェスティバルを運営していました。チェルフィッチュの岡田さんや、KUNIOの杉原君がディレクターをしていて、山田百次が主宰している「劇団野の上」もアゴラ劇場で上演しました。「野の上」は青森を拠点に活動している劇団です。山田自身は、その頃すでに関東に引っ越していたのですが、「野の上」の公演をするときは青森に戻っていました。サミットでも紹介され、東京でも少しずつ認知され、青森だけでなく東京にも活動の場を広げたい、そう思っている時期でした。

    私は青年団員なので、自分の企画公演ができます。山田の作品に関心があったし、自分が加わることでもっと作品を良くすることができるというイメージもありました。環境面で苦労しているのを見て、彼を誘い、私がプロデュース、彼が作・演出という形で若手自主企画「河村企画」を始めたんです。おかげさまで2013年に創った一作目の『珈琲法要』がヒットし、翌年すぐに昇格が決まって、カンパニー名を考えなければいけなくなりました。

    「ホエイ」は、ヨーグルトの上澄みやチーズをつくる時に牛乳から分離される「乳清」のことです。乳清のように「何かを生み出すときに捨てられてしまったもの」、そんな作品を作りたいと思っています。

    日本は斜陽に向かう中で、今後ますます分断が進む厳しい社会になるだろう、2014年当時、そういう強い懸念を私は抱いていました。「それなら、分断の狭間に立ち世界を描こう」という意思を込めて付けました。

     

    ー所属メンバーの3名は、それぞれ俳優としても活動なさってますが、出演者はどのように決めているんですか?

    キャスティングは全て私と山田で決めています。
    私たち自身の出演に関してはケースバイケースですね。山田が出なかったこともありますし、僕も代わりに演じてくれる俳優さんがいたら全然出なくてOK。赤刎はここぞという時に出る、という感じです(笑)

    客演(*)を呼ぶとその分コストもかかりますし、「やっぱり二人とも出ている作品がいい」と言ってくれるお客さんもいます。ただ、私と山田が二人とも出演してしまうと、特に作品の仕上げのところで客観的に見るのが難しくなってくるので、最近は演出助手をつけたり、ビデオを撮って後で検証できるようにしたり、稽古場では客観性として俳優の意見を積極的に取り入れています。やはり、話すことで一人一人がどういうシーンを作ろうとしているのか、イメージのどこにズレがあるのかが明らかになってくるんです。根気と高度なコミュニケーションスキルが必要とされる作業ですが、とても重要だと思うようになりました。

    イメージと客観性を共有して、俳優が自分自身を演出する、というところを目標の最低ラインにしています。その作業に耐えられる俳優かどうかが、私たちのキャスティングでは大事な点になっているんだと思います。

    順番は、企画立案、登場人物、キャスティング、プロット(*)、執筆、です。
    基本的には役に合わせてキャスティングしていき、その流れで「じゃあこの役は山田がやるか?やらないとしたら…」などを話していきます。

    *客演=劇団に所属している俳優以外の出演者
    *プロット=台本作成前に行う物語のおおよその流れを決める作業


    ー新作を含めると劇団の公演全6作品中3作品が北海道を舞台にした作品ですが、北海道を意識した理由は?

    北海道の、いつ、どこを切り取っても背景には日本という国が抱えるジレンマや問題が浮かび上がってきます。北海道には、日本の近代化におけるすべてが濃縮されていると思います。日本の近代化とはなんだったのか、何を目指して、どこに来てしまったのか、根気のいるこの問いを続けない限り、この先どこにもいけないだろうと考えているので、まずは北海道から始めることにしました。


    ー3つの北海道作品について、それぞれ創作のきっかけを聞かせてください。

    『珈琲法要』は、もともと山田が創作していた20分ほどの短編戯曲をもとにリメイクした作品です。1807〜8年にかけて、宗谷と斜里に従軍した津軽藩士たちの話ですが、兵站を軽視した行軍や、面子のための情報隠蔽など、近現代に通じる普遍的なテーマだと思いました。

    『麦とクシャミ』は、昭和新山の生成により消滅した壮瞥の集落の話です。昭和新山は太平洋戦争の勃興に合わせて山が隆起し始め、戦争の終息とともに火山活動も終えた、なんとも不思議な成り立ちの火山です。国策による戦争と、火山生成という天変地異、この二つの被害を一度に被った集落の人々はどう生きたのだろう、その関心が創作意欲をかきたてました。もちろん、遠景には原発と津波という二重の災害を被った福島のイメージもありました。

    『郷愁の丘ロマントピア』は、現代の夕張市の話です。夕張の中でも「大夕張」という、いまはダムの底に沈んでなくなってしまった町、そこで暮らした元炭鉱夫たちを描いています。かつてそこに栄えた町があったという強烈な残滓と、弔われることなくまだそこに漂っている強い想い、実際に夕張で感じた体験をそのまま作品にしています。その寂しさや、やるせなさは、現代の日本で私たちが一番受け入れなければならないものなのではないかと思い、三部作の三部目にこの作品を創りました。

    『麦とクシャミ』2016年

     

    ー東京と北海道とでは、上演する時の違いはありますか?観客の反応の違いとか。

    うーん、どうでしょう…。
    あまりないと思いますけど、北海道の人たちは自分たちの土地の問題を話さない、という風潮があると聞いたことがあります。そういう意味で、自分たちのある種タブーに(外者に)触れられた、という緊張感が客席に多少あるのかな、とは思います。気がするだけで、実際はわかりません。


    ー『珈琲法要』ではアイヌ女性も描かれていますね。難しくデリケートな作業だったと思いますが、実際の稽古などはいかがでしたか?

    東京の八重洲にあるアイヌ文化交流センターに資料収集に行ったり、ムックリ製作のワークショップに行ったりしました。デリケートな問題ですが、デリケートになりすぎて保守的になりすぎないように気をつけました。どの人間もフラットに、自在に存在できるのが演劇の面白み、というか力だと思うので、そこは存分に楽しみながら創作しました。

    『珈琲法要』©NagareTanaka 2015年

     

    ー『珈琲法要』が北海道で評価され、道外劇団としては初めての演劇シーズン参加となりますが、意気込みなどあれば聞かせてください。

    敷居をまたぐような格好で、どちらかといえば恐縮しています。
    とにかく作品をよりブラッシュアップしてお届けしたいという思い、それに尽きます。

     

    ーところで、河村さんはどんなきっかけで演劇を始めたんですか?

    私は広島出身なんですが、18歳の時に地元で青年団の『ソウル市民』という作品を見たのがきっかけです。1909年のソウルが目の前にありありと現れていく情景に、魂を吸いとられるような感覚を覚えました。

     

    ーその作品を観る前、演劇との関わりはありましたか?

    大学に入ってすぐの新入生歓迎イベントで演劇部のプレゼンがあって、一人の俳優が舞台上のベンチにただ横たわる、みたいなパフォーマンスがあったんです。それは、ピーター・ブルック的に言えば「十分な演劇」でした。で、「面白いな」と思って演劇部に入っちゃったんです(笑)

    でも、1998年当時、その演劇部で行われていたのは東京の潮流からは5〜10年くらい遅れていたんですね。どの地方でもそうだと思いますが、「真似事みたいな演劇」で、これは違うなと思って離れました。ちょうどパソコンとデジタルビデオカメラが普及して、誰でも自主映画が撮れるようになり始めた最初の時代だったこともあり、映画の方に惹かれていきました。

    そんな矢先、広島市現代美術館で演劇がおこなわれる、という情報が流れてきて、気になって観に行ったんです。それが青年団の『ソウル市民』です。その時、ワークショップにも参加したんですが、演劇部で感じていた演劇に対する違和感やダサさを言い当ててくれるような体験でした。

    『ソウル市民』©TsukasaAoki 1998年

     

    ーその後、青年団に入るために上京したんですか?『ソウル市民』を観てから何年後ですか?

    2002年、大学卒業後すぐに上京し、下積みとも言えないうだつの上がらない生活を経て、2005年に入団しました。『ソウル市民』との出会いから7年後のことですね。

     

    ー青年団に入ってから、その作品『ソウル市民』の再演に出演していますよね?キャスティングされた時はどんな気持ちでしたか?

    もちろん嬉しかったし、何かに到達したと言う感慨もありました。稽古は夢の世界に入って行くような興奮さえありました。だけど、18歳の時にみた『ソウル市民』からもうすでに10年近く経っていて、作品を自分の力でアップデートしなければいけないのだと気付き、当時はまだまだ力及ばず、やり切れなさが残った悔しい体験でした。でも、そうしてオリザさんには様々な環境を与えてもらい、育ててもらったと感謝しています。

     

    ー河村さんにとって演劇の魅力とは何ですか?

    人間は不完全で、その不完全さを補うために想像力があったり、家族や友達がいたりします。演劇は、観客の想像力に多くを委ねる表現です。演劇の最低条件は、言うなれば不完全であることともいえます。その不完全なものを、舞台上と客席で補い合おうとするところに、人間らしい営みとしての魅力があるんじゃないでしょうか。

    『郷愁の丘ロマントピア』©NagareTanaka 2018年

     


    インタビュー:阿部雅子
    写真提供:ホエイ

    ホエイ HP
    https://whey-theater.tumblr.com/

    <ホエイ札幌公演情報>
    札幌演劇シーズン2018-冬 『珈琲法要』

    【作・演出】
    山田百次

    【出 演】
    河村竜也(ホエイ/青年団)
    山田百次(ホエイ/劇団野の上)
    菊池佳南(青年団/うさぎストライプ)

    【日時】
    1/27(土)14:00 、18:00
    1/28(日)14:00
    1/29(月)19:00
    1/30(火)19:00
    1/31(水)14:00
    2/01(木)14:00

    【会場】
    シアターZOO(中央区南11条西1丁目ファミール中島公園B1F)

    【料金】
    一般 3,000円、学生 1,500円

    お問合せなど公演詳細情報はこちらをご参照ください
    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1372

  • ART AleRT SAPPORO 編集部 マンスリーピックアップ 2018年1月

    2018年、あけましておめでとうございます!AA編集部マンスリーピックアップ、年明け一発目をお届けします。編集部の1人が独断と偏見で気になるイベントを紹介するこのシリーズでは、登録されているイベントの中から1ヶ月間のあいだに筆者が「見たい!」と思うイベントを日付順に紹介していきます。おでかけの際、ちょっと何か見に行きたい気分、そんなときにぜひ使ってみてください。(文:山本曜子)

     

    1月12日(金)-28日(日) ギャラリー門馬&ANNEX

    ノーザンアーツ コラボレーション -睦月-

    北欧と北海道とを結び、それぞれの作家を紹介する独自のキュレーションを2012年から手がけている多田浩二さん。筆者は彼の主催する展覧会を楽しみにしています。多田さんの選ぶ北欧在住作家の作品に、いつも新鮮なインパクトを受けるのがその理由。今回はフィンランド作家7名、北海道作家7名、合わせて14名ものアーティストの作品が一堂に会する、錚々たるグループ展。会場となる旭ヶ丘のギャラリー門馬で、北欧や札幌が美しさを増す厳冬の雪景色をバックに、さまざまな表現や作品との出会いが待っています。同じ北国にあって共通する感覚、また異なる点を探してみるのも楽しそう。初日12日(金)18時からはオープニングパーティーが開催されるので、こちらも足を運んでみてはいかがでしょうか。

     

    1月20日(土)-28(日) 生活支援型文化施設コンカリーニョ

    イレブンナイン「サクラダファミリー」

    年2回夏と冬、札幌の演劇モードが全開になる「札幌演劇シーズン2018-冬」は今年も1月20日にスタートします。一定の期間に1つの劇団がそれぞれ人気の1作品を再演し続けるという、演劇好きの人はもちろん、初めて演劇に触れる方にも絶好の機会。今回は札幌が誇る5つの劇団のレパートリー作品を市内各所で体験できます。そこでまさに演劇初心者の筆者が気になったのが、イレブンナインの名作「サクラダファミリー」。タイトルにクスッときて内容を追うと、頑固で気難しく横暴な上にバツ6で家族中の嫌われ者、という猛者のオジイさんが、2017年の大晦日に7人の妻と7人の子どもたちを集めて、自身の秘密を暴露する…この筋書きのあまりの不穏さと興味深さに、つい舞台をのぞきたい心持ちに。先月のコラムでカジタさんが「エンターテイメントの名手で実力派俳優」と評していた納谷真大さんの存在も気になるところ。家族とは、個とは、血の繋がりとは…普遍的かつ奥の深い命題に触れつつ、とにかくライブ感を味わいながら鑑賞してみたい作品です。

    札幌演劇シーズン2018-冬 公式サイト

     

    1月20日(土)-2月24日(土) CAI02

    ミヤギフトシ「The Dreams That Have Faded/いなくなってしまった人たちのこと」

    沖縄出身のミヤギフトシさんによる北海道初の個展。彼は自身の記憶や体験に向き合いながら、国籍や人種、アイデンティティといった主題を落とし込んだ作品で知られるアーティストです。2016年のあいちトリエンナーレ「交わる水-邂逅する北海道/沖縄」で発表した北海道・オホーツク海を始めとした海にまつわる5つの映像インスタレーションを再構成した作品や写真が展示されます。注目したいのは、ミヤギさんが北海道を題材にするにあたって手がかりにした本が『ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語』(津島佑子著)だったということ。かつて網走にもその一部の人々が居住していた樺太の少数民族ウィルタを軸にした物語を通して、ミヤギさんが北海道という土地に残る声を聴きとり、伝えようとしたものとは?北海道がもつ歴史の一面を垣間見るという意味でも、個人的に見逃せない展覧会です。

    蛇足ですが、筆者は網走で今もつくられているウィルタの木偶「セワポロロ」を偏愛しています。ちょっととぼけた(失礼)表情の神様で、網走の北海道立北方民族博物館ではウィルタの人々のつくった古いセワポロロも見られます(さらに蛇足ですが、この博物館は北方民族や民具に興味のある人には絶対オススメ!)。

    また、21日(日)は北海道大学総合博物館にてミヤギフトシさんによる上映会&アーティストトークが開催されるので、詳しくはタイトルリンク先でご確認を。

     

    1月21日(日) BHFホール

    キセル「The Blue Hour」発売記念ワンマンTOUR 2018

    狸小路2丁目プラザ2.5ビルの地下に2017年オープンした劇場形式のBHFホール。ふわりと漂うような雰囲気に、しっとり聴かせるサウンドが持ち味のキセルには、こんな座席タイプのコンサートも似合っています。兄弟ならではの息のあった柔らかい声のハーモニーに、ギターやベースの生音、デジタルミュージックが織りなす世界。ここにいながらどこか遠くの風景に迷い込むような不思議な感覚は、生だからこそ味わえる一期一会の体験です。是非じっくりと身をゆだねてみて。

    ニューアルバム『The Blue Hour』特設サイト

     

    そして、おかげさまでART AleRT SAPPOROは1月15日でサイトオープンから3年目を迎えます。いつも当サイトを訪れてくれる皆さま、応援して下さる皆さま、ありがとうございます!今年も札幌の気になるイベントをどしどし発信していきますので、どうぞご利用くださいね(そして引き続きボランティア運営ゆえ物理的な応援も募集中…!新年早々恐縮ですがこちらもよかったらご覧くださいませ!)。

     

  • ART AleRT SAPPORO 編集部 マンスリーピックアップ 2017年12月

    新たにはじまった新シリーズ編集部マンスリーピックアップ。編集部のうちの1人が独断と偏見で気になるイベントを紹介するこのシリーズは、登録されているイベントの中から編集部のメンバーの1人が1ヶ月間のあいだに「見たい!」と思うイベントを日付順に紹介していきます。掲載されている情報を元に書いているので間違ってたらごめんなさい。皆さんが「何か見に行きたいな」と思ったときのちょっとした参考程度に是非お使いください。(文:カジタシノブ)

     

    開催中~12月8日(金) ペーパーショップサクマ
    札幌レトロ・グラフィックス展

    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1336

    札幌の戦後あたりに作られたグラフィックを並べているだけなのかと思ったら、アプローチが全然違う。この展覧会の中心にいるのは謎の図案家M・M氏、その人物が作ったものは勿論、彼のコレクションを並べるというこの展覧会。誰だかわからない。全く想像もつかない。けどなんか気になる。展覧会を見たらわかるのだろうか。どんなものを作った人なのだろうか。考えると余計気になってくる。完全に宣伝に負けた気分なんだけど、それを知るには行くしかないんだろうなあ。会場のペーパーショップサクマさんは札幌には数少ない紙の専門店。素材好きは展覧会を観るのと同時に世の中にはどんな紙があるのか見だすと止まらないと思いますのでお時間に余裕を持って。

     

    開催中~12月10日(日) ト・オン・カフェ
    松浦シオリ展 「夢見始め」

    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1359​

    札幌在住の松浦シオリさんの約1年半ぶりの個展。展覧会でお見かけする意外にも書籍の表紙やフライヤービジュアルなどイラストレーターとしても多方面で活躍している松浦さん。もしかしたら皆さん気づかないところで目にしているかもしれません。実際私も最初に観たのは書店で並ぶ本の表紙でした。(→参考) 日本画のように見えるその絵はすべてコンピューターで書かれたもの。一瞬古い絵画を観ているような錯覚を覚えますが、よく見ると現代的なモチーフやそこかしこに。今回の展示タイトル『夢見始め』は作家のこれからの夢、目標に向けた出発点にしたいとの思いが込められてるとのことなので、彼女の新しい一面が見えるのか、それとも今までのより進化した姿が見られるのか、非常に楽しみです。

     

    開催中~12月11日(月) ギャラリーレタラ
    冨田美穂展 牛のつむじ

    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1366

    DMを見て「牛だなー北海道っぽいなー」と思って調べたら作家の冨田美穂さんは牛をモチーフに絵画や版画作品を作り続けている牛の作家さん。東京出身で武蔵野美術大学を卒業後、北海道で酪農に従事されているというそのキャリアの中、どの時点で牛にテーマを絞ったのでしょう。と思ったらインタビュー記事がありました。(→記事) 今年始めには第20回岡本太郎現代芸術賞にやはり牛の作品で入選。ここまで牛を見つめ描き続けている人の作品となると俄然見たい気持ちが沸き起こる。むしろ見続けてみたい。そして「牛だなあー」って思いたい。

     

    11月29日(水)~12月3日(日) OYOYO まち × アートセンター さっぽろ
    都市標本図鑑

    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1368

    写真の展覧会は色々ありますが、個展などでない限りなかなか特定のテーマに絞った写真の展覧会はあまり見かけることはありません(見逃してるだけかもしれません)。そんななか路上観察系で街を撮りそれを「標本図鑑」として並べる展覧会はなんだかとても楽しそう。普段目にしている風景はいつのまにかそれが当たり前になりますが、ふと見かたを変えたりすると途端に魅力的なものに見えてきたりします。こういうのは古くは赤瀬川原平らが始めた路上観察学会や最近では写真家の大山顕さんあたりが有名でしょうか。大好物なんで楽しみです。会場であるOYOYOは12月いっぱいで建物の老朽化により惜しまれつつも閉館します。

     

    12月12日(火)~12月29日(金) ト・オン・カフェ
    jobin.個展「漂う明日」

    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1363

    毎年年末にはト・オン・カフェで個展を開くjobin.さん。モビールを中心にクラフトと美術の間をさまようように表現をし続ける彼の作品は、実際に観る時間帯や、そこにいる人によっても見せる景色が変わってきます。会場のト・オン・カフェは大きな窓が設置されているのでそれがより顕著に見える展示。良く展覧会を見に行く人の中にはjobin.さんの毎年行う年末の展示を季節の風物詩のように感じている人もいるのではないでしょうか。カフェでお茶をしながらのんびり作品を観るのも一興です(展示観覧のみでの入店も可能です)

     

    12月16日(土) 札幌プラザ2.5
    変態アニメーションナイト ザ・ツアー セレブレート in 札幌

    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1325

    タイトルは変態だしチラシはB級ホラー映画。その実態は一生忘れられないくらいのインパクトを残す短編アニメーションを集めた上映&トークイベント。そこで上映されるの皆が想像するテレビアニメ的なものとは全然違う。過去数回全国で巡回上映された変態アニメーションナイトですが、今回は「ザ・ツアー」と称して上映とともにMCが喋りながらのコメンタリー上映。今までは心の中でしか突っ込めなかったことを、出品作家も交えて、むしろおおやけに楽しむスペシャル回。MCを担当するのは作品世界からは想像もつかない話術を持つ水江未来さんと、新千歳空谷国際アニメーション映画祭でフェスティバルディレクターも務める土居伸彰さん

    ART AleRT SAPPOROをご覧の方に抽選で「変態アニメーションナイト ザ・ツアー セレブレート in 札幌」招待券を5名の方にプレゼント!
     
    以下の内容にてメールをお送りください。ご応募いただいた方の中から厳正なる抽選を行い、当選者を決定いたします。当選の発表は、賞品の発送をもってかえさせていただきます。
    応募締め切り:12月4日(月)23:59必着

    (1)件名
    「変態アニメーションナイト札幌」応募

    (2)宛先メールアドレス
    ono.tmk@gmail.com [宣伝・運営]小野朋子

    (3)本文
    郵便番号・住所・氏名・電話番号・メールアドレスをご記入ください

     
    ※お送りいただいた個人情報は「変態アニメーションナイト ザ・ツアー セレブレート in 札幌」の招待券抽選以外の目的には一切使用いたしません。
    ※送り先アドレスは「変態アニメーションナイト ザ・ツアー セレブレート in 札幌」運営担当者様となります。お問い合わせがありましたら上記アドレスにお願い致します。
     
    主催:「変態アニメーションナイト ザ・ツアー セレブレート in 札幌」

     

    12月16日(土) 道新ホール
    シークレット歌劇團0931★15周年記念公演『エリザベーーート!』~本物を知りたければ本物を見るがよい~

    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1343​

    一度でいいから見てみたい。そんなことを思いながらもう何年経ってしまったのか。チケットが販売後即完売、そんな噂を耳にすれども、そんな即完イベント、宣伝もそんなに見かけることない。そんなシークレット歌劇團0931が昨年から道新ホールをメイン会場とし多少チケットが出回るようになった。今調べてみたらまだチケットは買えるよう。年に1回しか公演していないので観られるチャンスもそんなにないかもしれない。まるで宝塚のような見た目で繰り出される爆笑の嵐ってどんななんだろう。気になる方はこの少ないチャンスをものにしない手はありません。

     

    12月21日(木)~12月24日(日) 生活支援型文化施設 コンカリーニョ
    コンカリーニョプロデュース企画  大人VS中高生第2弾「鰤がどーん!」

    https://artalert-sapporo.com/events/detail/1351​

    1つのお話を2人の演出家が、かたや大人の俳優たち、かたや中高生たちをキャストに発表するこの企画。演劇というものがキャストはもちろんのこと演出家の手によって大きく変わるのだということがよくわかる企画です。演出にはエンターテイメントの名手で俳優としても多方面で活躍するELEVENNINESの納谷真大さんと、その表現が道内だけでなく大阪・東京でも注目を集めるintroのイトウワカナさん。脚本は演劇の楽しみ方の一翼がよくわかる企画じゃないかと思うので、「演劇を楽しんでみたい」方は是非片方だけではなく両方ご覧になってみることをお薦めします。しかし、「鰤(ぶり)がどーん!」てすごいタイトルですね。

     

     

    札幌で街の中心部にありつつ、よそではできないイベントも多く受け入れてきたOYOYOがいよいよこの12月で閉館を迎えます。ここがなくなることで行き場を失う人々がでてくるのか。新たなスポットや受け入れるスペースが誕生するのか今後に注目しています。

  • 祭りの妖精、祭太郎でございます!ー 活動20周年、知られざるその軌跡に迫る


    写真:小牧寿里

     

    私と祭太郎との出会いは、ライジングサンロックフェスティバル。
    初めて彼を見たのは2003年頃。毎年会場に行くと必ず祭太郎はそこにいた。

    うさぎの耳を付け、上半身は裸、八百屋みたいな前掛けにスパッツ姿のその男はひたすら、誰に向けたのかわからない、呟きのような悟りのような口調で言葉を発しながら、草の路上でひとり受け身を取っていた。
    そこここでライブの音が聴こえてくる会場でステージ間を移動する道すがら、彼の前を通り過ぎる人たちが、そのパフォーマンスを眺めては面白がり、一緒に拳を上げながら、また次の場所へ流れてゆく。

    彼を見る人は思っていただろう。
    ステージも何もないところで、おかしな格好をして、次の日の陽が昇るまで、声が枯れても叫び続けている…。「ヤツは何者なんだ?」

    受け身や口上などのパフォーマーとして、美術家として、時にリングアナウンサーとして、はたまた鍼灸治療師として、さまざまな活動を続ける祭りの妖精・祭太郎。
    10年以上見続けていても未だに生態がわからないその人(妖精?)の、現在に至るまでを聞いてみた。

     

    ーそもそもいつ頃からアーティストやパフォーマーを志していたのですか?

    正直、アーティストを志したことは一度もないです。
    将来の夢が思いつかない子どもでしたから(笑)。
    自分の頭の中にあるアイディアや身体から沸き起こる閃きを外にだしたいという生理的な現象をどう処理するか?ということがこれまで生きてきた中での命題でした。

    私がアーティストやパフォーマーなどで括られる事にこだわりはないのです。
    ですが、関わってきた人たちの多くがプロフェッショナルな仕事をしている人です。間近に接して、その人の生きざまを感じて憧れたり、あの人のあの部分をこっそり真似して、いつか披露しようかな?と思っていると、現在はいつのまにか機会を頂けることがあるので、有難いですね。 

     

    ー祭太郎としての活動を始めたきっかけは?また、祭太郎の名前の由来とは?

    私が20歳の頃、ドイツ・ハンブルグで行われた端 聡さん(美術家)の個展のオープニングパーティーの時、受け身パフォーマンスを披露しました。そこで私は大きな刺激を受け、いろいろな場所で人に会いたいと思うようになりました。
    のちにハンブルグで開催するアートの展覧会のお誘いを受け、そのための活動資金を貯めようと、活動拠点を札幌から実家のある名寄に移しました。
    その間、埼玉の工場に出稼ぎに行ったのをきっかけに、休みを利用して東京にある現代美術ギャラリーやクラブに行っては、そこで会う人たちから多くのことを吸収していきました。

    また、同じような時期に、美術家やなぎみわさんの仕事で、北海道ロケのアシスタントをする機会がありました。それまでは地元の作家さんの仕事を見る機会しかなかったですから、やなぎさんや、スタッフの方の仕事に対する姿勢や眼差しの強さに衝撃的な感動がありました。その後も何度かアシスタントさせて頂く機会があり、撮影ロケでロサンゼルス、ニューヨークなどにも帯同しました。刺激的な毎日で気持ちが昂り続けていましたね。
    作家の方の話しを聞いたり仕事を間近に見るという事が自分の糧になると確信してからは、知らないところに行って新しい刺激を受けるのが楽しくて仕方ありませんでした。 

     

    「祭太郎は、ノートの落書きから生まれたのでございます。」

    同時期に、とかち国際現代アート展「デメーテル」関連企画で、帯広で道内新人アーティストの展覧会が行われることを知り、作品募集のプレゼンテーションに応募しました。
    2002年、私がちょうど24歳の時ですね。私は若手作家枠、ボランティアスタッフとして参加しました。
    デメーテルの期間は帯広競馬場に世界で活躍するアーティストがたくさんやってくる。そこには相当な刺激があると、確信的にわかっていました。自分がスタッフとして参加すればその刺激は何倍にもなると思いました。
    まさにその通りの毎日でしたね。スタッフや関係者の方々は運営が大変だったと思いますけど(笑)。

    デメーテルの開催期間中、帯広駅前通りにある藤丸デパートの向かいに、サポートステーションというアート展のインフォメーションコーナーがありました。そこに常駐するボランティアスタッフが共有する日誌ノートに「祭太郎のお悩み相談」という落書き的な書き込みをし、「祭太郎という架空の人物」がボランティアスタッフの悩みを豪快に解決していく。
    いわゆる、おふざけな絵と文を書き込んだのが、祭太郎の本当の始まりですね。
    ふざけた落書きから始まったなんて、恥ずかしいからあまり人に言っていません。 

    それから数ヶ月後、平原まつり(帯広市)の盆踊り団体枠に「祭太郎と男女うさぎおどり道」というチーム名でエントリーしました。私以外、全員うさぎのコスチュームでおどりました。見切り発車でいきなり本番を迎えましたから参加した人たちは不安と緊張の中、スタートから20分くらいは、ただただ練り歩くという(笑)。それでも、だんだんコツをつかんできたのか盆おどりの後半はみんなノリノリで気持ち良く踊ったり跳ねたりして楽しかったですね。そうそう、審査員なんとか賞なんてのも頂いて嬉しかったのが思い出ですね。

    余談ですが
    その次の日にライジングサンロックフェスティバルに参加しました。うさぎ受け身パフォーマンスをおこなう予定だったのですが、会場に着いてから、うさぎコスチュームを帯広に全部忘れてきてしまったことに気がつき、仕方なく車で取りに戻るということがありました。往復で8時間くらいかかりましたね。
    始まる前から心も身体もヘトヘト。そのあともいろいろありまして、ライジングサンロックフェスにも自分にも完敗し打ちのめされたことを強く記憶しています。

    写真:小牧寿里

     

    その後、某TV「青年の主張」的な番組に出演しました。受け身パフォーマンスに関する主張をしたのですが、ガチガチに緊張して、自分でも聞いている人たちも何を言っているのかわからない主張になってしまい、放送事故のようなことをおこしてしまいました。この大失敗により自分自身が完全崩壊した感覚と同時に少しホッとした感覚が湧き起こりました。それまでは自分の事、人の事を意識しすぎて、精神も身体もがんじがらめになっていたのです。それが大失敗したことにより、気恥ずかしさと可笑しさとしょうがなさが全身いっぱいに広がり身体が解きほぐれていくような、吹っ切れた感覚がありましたね。

    それまでは、キャラを演じることが気恥ずかしい部分があったり、やる気ある自分を茶化して誤魔化して生きてきました。思春期におこりそうなことですね(笑)。
    ですが、人の事なんて関係ない、自分が夢中になって頑張りたいことは自信を持ってやる。その方が、何もやらないでモヤモヤして生きるより断然いいんじゃない?とそう思いました。

    翌年、決意しました。2003年のライジングサンロックフェス、自分が祭太郎なんだと。ネタも落ちもない、太鼓も叩けない、あるのは石狩の地に立ち続ける心意気だ。そんな風に自覚しましたね。

     

    ー15年間、毎年出演しているライジングサンロックフェスティバル、最初に出ることになったきっかけって?

    友達の紹介で、PROVOの吉田龍太さんと知り合ったのがきっかけです。2002年、ライジングの会場でART表現する場を設けるので、なんか面白いことやろうよと集まったペインターや立体作家、いろいろなタイプのアーティスト中の1人として参加しました。

     

    ー忘れられない思い出はありますか?

    2007年、夜もふけたころ、太鼓口上パフォーマンス中に怒髪天の増子直純さんに声をかけて頂いたときですね!
    増子さんは、私との出会いを「キャッチセールスみたいな出会いだった」と(笑)。
    数時間後にezoistという北海道出身のアーティスト編成バンドのステージに一緒に上がる事になりました。そんなことを夢には思っていましたが、現実になるとは、びっくりと緊張と色々な感情が溢れましたね。
    それから、プロのミュージシャンと共演させて頂く機会が一気に増えました。

     

    ーライジングサンでやらかしちゃったことがあれば教えてください。

    2002年、1番最初に参加した時、祭太郎を名乗る前、口上スタイルもできていなかった頃、うさぎのコスチューム着て会場でほとんどなにもやらなかったことですね。ただただ歩いていましたね(笑)。その時は楽しいから何も感じなかったんですよ。

    ただ、その年出演されていた井上陽水さんの「傘がない」という曲の「都会では自殺する若者が増えている」というフレーズを聴いてガツーンと頭を殴られたような衝撃を受けました。
    その時、俺はここで何をしたいのか?を自問自答し続けましたね。実はそれがきっかけになり、祭太郎口上スタイルが出来たわけです。
    会場をただ歩くなんて今なら絶対やらないことをやっちゃった。その時悔しい思いをして、なにをするべきか気づけたのが良かったと思います。

     

    ー今では恒例となったライジングサン、日曜朝のラジオ体操がスタートしたわけは?

    最初は朝の誰も何もやっていない隙間の時間が空いていたのがきっかけですね。
    ライジングに参加して次の日の朝だいたい筋肉痛でしたから(笑)。
    その頃は20代から30代のお客さんが多いイメージでしたので、懐かしい夏休みの朝の思い出と共にラジオ体操をみんなで一緒にやったらいいなと思って始めました。

     

    ー出演回数を重ねて、いまでは祭太郎はライジングサンにはなくてはならない存在だと思いますが、現在は参加することをどんな風に思っている?

    2000年のライジングサンに、エゾロッカーズ(ライジングサンに参加するお客さんの呼び名)として参加したときに、これまで生きてきて「こんな楽しい面白い世界、時間があるんだな」と思ったと同時に1人でいくら表現しても辿りつかないものが存在するんだと心底思いました。
    音楽聴いて踊って、飲んで食べて、知らない人とはっちゃけたり、疲れたら寝て、朝を迎えて、夜がきて、また朝がくる。その繰り返し。お祭りを作るって、こういう事だなと思いました。生活まるごと持っていくとこんなに楽しいんだなと。
    自分にとってライジングサンの影響が大きいので、世の中のたくさんあるイベントの一つにしたくない思いが強かったのと、ライジングは音楽が主軸であることは言うまでもないですが、衣食住、生活まるごとを持って楽しむ意義みたいなものを、道をただ移動しているだけでも楽しさが沸き起こる空間、時間があるってことを伝えたいんです。それが毎年同じうさぎのおっさんがなんかやってるだけでも記憶の目印になると思うんですね。

    15年の間、幸運にも、運営、アーティスト、お客さん側からの視点を持つことが出来ました。たくさんの人の視点を持つことが出来て世界がますます広がっています。
    無責任に一生懸命にライジングサンロックフェスティバルを表現出来ることは自分にとって本当に光栄なことです。
    いつまでも出来ることではないから、チャンスがあったらその都度、後悔のないよう、はっちゃけるだけです。
    だけど、最初はとにかく必死でしたね。一年のうちの数日ですから大したことないですけどね(笑)。 

     

    ーところで…祭太郎ってなにものなの?

    「テンションと哀愁を足して2で割ったもの。」

    音楽フェス、現代美術、プロレス、鍼灸、合気術、などなどあらゆる分野の成分を独自に配合し続ける存在、それが祭の妖精・祭太郎ということでよろしいでしょうか。

     

    ー祭太郎として表現したいことは?

    「命にまつわるすべての中にある一部分を表現したいのでございます。」

    その、ある一部分のすべてを私の内側であったり、外側だったりで感じたなにかを自分なりに咀嚼して外に吐き出したいのです。そして飲み込みたいのです。

     

     

    ー現在、札幌で開催中の個展について教えてください。

    「わかっちゃいるけど、ついやっちゃいました。」

    20歳の頃、ドイツ・ハンブルグで受け身パフォーマンスを披露した時、人々の反応に心の底から自分の魂が喜んだのは生まれてはじめてでした。
    見てくれた人から
    「どうして自ら身体を打ちつけるのか?」
    「あなたにとって痛みとは一体なに?」
    「よくわからないけど面白い」
    「言葉にするのは難しいけど私もわかる。」
    などの感想を貰い、外国の地で、自分の表現が真っ直ぐに届いた感がありとっても嬉しかったです。

    あれから20年の月日が流れて、自分の環境が変わったり、心境が変わったりする中で、少しづつではありますが身体を通じて生きるという実感が湧いてきました。
    今年で40才、特に30代で起こった人生の分岐点である出来事のキーワードが幾つか浮かびました。
    例えば、祭り、震災、結婚、家族、子供、仕事の経験から生と死、出会いと別れ、男と女、エネルギー、私は私なりにこの世界から自立しようと懸命に努力をするも自分にも他者にもある部分依存していたことに気がついたのです。気がつくのが遅かったのでございます。
    人生の分岐点を自分なりにまとめるために、今まで自分の知っていたこと 自分の知らないことを深く掘り下げる方法として、映像、絵、写真コラージュなど私が20年前に刺激を受けた現代美術の手法を使いました。

    自分の内側にある今まで知らなかったことを知るという行為は、たとえ不安定な環境や状況が続いていたとしても、安定的な自己に戻れるのではないか?世界の不安定さを外から受け止めるだけではなく、自己の中に、世界の不安定さを入れ込むことが出来たならば、矛盾を矛盾として受け止めることが出来るのではないか?なんて思ったり思わなかったりしながら、 新しい出会いを生み育み繋がりとしての世界を身体全体で認識したいが為のきわめて個人的な作品、展示内容になってしまいました。
    (個展の開催情報は下記に掲載)

     

     

    道北の名寄出身だそうですが、札幌を拠点に活動する理由は?

    「なんだかんだ言って居心地がいい場所だからだと思います。幼い時から大好きな土地ですしね。」

    肉体的にも精神的にも常に移動しないと生きてる心地がしないのですが、仕事柄、定位置についていなければならない事が多いので、札幌に住みながらも、精神的に移動するよう常に気をつかっていますね。
    例えば、読書したりとか。…普通ですね(笑)。
    つい最近まで、自分に関わるジャンルのシーンを自身にざっくり当てはめて、息苦しさや足りなさをストレスにしていた嫌いがありましたが、現在は、一人の世界をじっくり観察、考察して面白さを発見することに喜びを感じるようになりました。それはある意味、"旅先で偶然出会ったあの風景、あの時間"のような感覚を覚えます。
    私の居場所で面白い人物と出会い続けているから飽きることなく札幌で活動していると思います。

     

    ー鍼灸師としても活動しているそうですが、鍼灸治療院を始めることになったいきさつは?

    「いろんなタイミングが重なっての開業でした。」

    なぜ鍼灸師の免許を取得したのかと言うと、小さい頃から両親や祖母の肩を揉んであげていたことがきっかけかもしれません。親指の関節が柔らかくて曲げた角度がちょうどいいツボにあたるみたいで褒められて嬉しかったことを記憶しています。

    30才を前にして治療家の方とお会いする機会がありました。世界中旅をしながら一宿一飯のお礼に治療をする話を聞いて自分もそうしたいと思いました。
    また東洋医学の話を聞いてみると、自分が受け身パフォーマンスや祭太郎を表現する上で考えていたこと、疑問に思っていたことがなんとなく腑に落ちて、親近感が湧き、鍼灸の道へ進もうと思いました。
    資格取得後、5年間、治療院に勤めながら、表現活動は続けていました。合気道を始めたのもこの時期ですね。

    あくまで、自分の心持ち的なことなんですが、それぞれの分野の経験を一つにまとめて力を発揮出来る場所を作りたいなと単純に思いました。治療にしても、生活にしても、お金にしても、受け身にしても、祭太郎にしても、何にしてもやはり行き着くところ、落ち着くところは、身体にまつわることだと直感し、自分の悩みどころは、他の人の悩みどころでもあり、自分なりの出し物でお互いがお互いを助け、助けられるようなそんな場所。その一つの方法が治療院という形でした。
    まだまだ課題は山積みですけど、今まで見えなかった課題が見つかるので飽きることなくこれからも続けられそうです。
    あれ、質問の答えになってますかねぇ?

     

     

    ー 今後やりたいこと・目標はなんですか?

    さっきから自分、自分て、自分でもうざいと思いますが、やはり自分の出し物が人に喜んでいただけるように精進して生きていきたいということが目標みたいなものでしょうか?
    最近は植物や鉱物にも興味が湧いてきたので色々知ったり体験していきたいですね。

     

    文・聞き手 佐藤史恵

     

     

    パフォーマンス動画
    RSR2014 ダイジェスト 特別編 祭太郎 - YouTube
    https://youtu.be/X3fDqbXHr6Q

     

    祭の妖精・祭太郎個展 受け身パフォーマンス活動20週年記念
    「KUNZU HOGURETSU・組んず解れづ・クンズホグレズ」

    会期  2017年5月27日(土)〜6月24日(土)
    休館日  日祝
    時間  13:00 - 21:00
    会場  CAI02 札幌市中央区大通西5 昭和ビルB2
    主催 | CAI 現代芸術研究所
    http://cai-net.jp

     

    プロフィール

    祭太郎
    現代美術家、鍼灸師、1977年北海道名寄市生まれ
    1998年公共の路上で突然一人で受け身をとる身体パフォーマンスを始める。痛みを含めその様子を撮影、周囲のリアクションを含めた映像作品をギャラリーなどで発表、2003年 媒介者(祭の妖精)をコンセプトにした祭太郎というキャラクターで表現を始める。2007年北都プロレス、リングアナウンサーとして活動開始、2010年より 鍼灸師の免許を取得。2015年、札幌市内に「未来miraiマッサージ・あんま・指圧・はりきゅう」を開設。現在作家、パフォーマーと並行して活動を行っている。
    大東流合気 実践あらい道場 初段。

     

    経歴

    祭太郎 / maturi taro
    1977 北海道名寄市出身
    1999   CAIアートスクール卒
    2010 北海道鍼灸専門学校 卒

    主な展覧会、イベント

    2017  500m美術館vol.21 500メーターズプロジェクト004「おはようございます、おつかれさまです」展(札幌)
    2003~2017  RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO /石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ(石狩)
    2007~2016  さっぽろアートステージ (札幌)
    2014     さっぽろアートステージ ART STREET / 地下歩行空間 (札幌)
    2013   旅するアート /500m美術館 (札幌)
    2013   まつりのつぼ /CAI02(札幌)
    2012   春山登山展 /hickory03travelers(新潟)
    2011   サッポロ未来展 /北海道立近代美術館/(札幌)
    2011     横浜トリエンナーレ特別連携プログラム 新・港村~小さな未来都市 BankARTLifeⅢ(横浜)
    2009    雪国の華 /M50 Creative Garden, Vanguard Gallery 上海莫干山路50号 – 4号楼A座204、6号楼1F、18号楼1F (3会場)(上海)
    2008   FIX・MIX・MAX!2-現代アートのフロントライン[最前線]- /宮の森美術館(札幌)
    2006   FIX・MIX・MAX!-現代アートのフロントライン[最前線]- /北海道立近代美術館(札幌)

     

    祭太郎ブログ
    https://ameblo.jp/maturi-taro/

    未来mirai あんま・指圧・マッサージ・はり・きゅう
    http://www.maturimirai.com

    北都プロレス
    http://sports.geocities.jp/winplaza2000/

    大東流合気 実践あらい道場
    http://www.daitoryu-araidojo.com