REPORT/INTERVIEW

  • 手に取る宇宙 Message in a Bottle 地上ミッション - モエレ沼公園

    3月14日(土)、モエレ沼公園内のガラスのピラミッドにて「手に取る宇宙 地上ミッション モエレ沼公園」が開催されました。子ども連れの家族や中高生など、若者の参加者が目立ったこのイベントの様子をお伝えします。

     

    「手に取る宇宙」とは、彫刻家・松井紫朗さんが代表提案者となり、JAXA(宇宙航空研究開発機構)と協力して実施された、宇宙と地球を舞台にしたプロジェクトです。宇宙研究でもありアートプロジェクトでもあるその内容は、2つのミッションから成り立ちます。1つ目は、宇宙の空気/存在のかけらを細長いガラスのシリンダーに詰め込み、地球へ持ち帰るというもので、実際に2010年から2013年にかけて、国際宇宙ステーション「きぼう」の日本実験棟で実行されました。2つ目は、地球へ持ち帰った宇宙のかけらを、多くの人に手に取ってもらうという地上を舞台にしたミッションで、2014年、帯広市の「ごろすけ保育園」で初開催されました。その後は道内の美術館や高校、また奈良県の東大寺など、道内・全国各地で行われています。今回のモエレ沼でのイベントも、この地上ミッションの一つ。ガラスのピラミッドには、宇宙船のような白いドームが現れました。

     

    - ガラスのピラミッドに出現した、地上ミッションで使用するビニール製のドーム。松井さんと共に各地を巡っている。

     

    前半は、松井紫朗さんによるレクチャーが行われ、「手に取る宇宙」という壮大なプロジェクトの発想の源やそこに込めた思い、1度の失敗を経て2回目でようやく実現した宇宙でのミッションの様子などが映像付きで説明されました。

    松井さんは「内側と外側の境界」をテーマに、国内外の美術展や個展で精力的に立体作品などを発表し続けています。その作品たちの、見た目はどこかユーモラス。しかしじっくり見ていると「果たしてどこまでが内側でどこまでが外側なのだろうか?」「そもそも自分が今いる場所はどういう所なのだろうか?」と、空間に対する考え方や感覚が刺激される面白さが松井さんの作品の魅力です。

     

    -「宇宙のしっぽを掴んだと思ったら、プチンとちぎれてしまった。ガラスの中にはこの宇宙のしっぽが入っています。実際に行くことはできないけれど、その一部を掴んだら、自分も宇宙の一員になった気がしませんか?」と、イラストを使い説明をする松井さん。

     

    -ぬいぐるみやガラスケースを使い、自身のテーマである「内側と外側の境目」について説明中。子どもたちもすぐに理解できたよう。

     

    「手に取る宇宙」は、宇宙空間という一般の人ならば行くことのできない場所に行ってみたい、触れて確かめてみたいという想いが根本にあると松井さんは言います。宇宙そのものに触れることはできませんが、その境目になら触れることができると考えて、宇宙飛行士に依頼し、宇宙の一部をガラスシリンダーに入れて持ち帰ってもらいました。

    地球に持ち帰った後は、それをなるべく多くの人に手に取ってもらいます。宇宙の一部を手に取った時、今宇宙で活動している人々やかけがえのない地球、自分という存在など、たくさんのことを感じることができるからです。また、ミッションの参加者は感想を紙に書きます。その内容は一枚一枚映像として記録され、10年後や20年後の人々も見ることができます。その頃になると、人間と宇宙、地球と宇宙の関係は今と全く違っているかもしれませんが、人々が昔宇宙に対して抱いていた想いを知ることは、未来を創造していく上で重要なことかもしれません。「この一人ひとりの感想が未来へのメッセージとなってほしい」と松井さんは語ります。

    レクチャーにはガラスシリンダーの設計に携わったJAXAの職員も駆けつけ、宇宙服で作業することを考慮した設計や、1回目はシリンダーが壊れて失敗してしまったことなど、技術者の目線でプロジェクトの経過を振り返りました。

     

    - 国際宇宙ステーションで撮影された映像。宇宙飛行士が手にしているのは内側にガラスシリンダーが入ったケース。

     

    レクチャーの最後には参加者から松井さんやJAXA職員の方への質問コーナー。「アーティストが宇宙に行くことはできるのか?」という質問に対し、JAXA職員の方が「特殊な訓練を受けなければ宇宙へ行くことはできないので、今の段階ではアーティストが宇宙へ行くことは難しい。しかし宇宙の概念を人々に広く伝える時に、アーティストの果たす役割は大きい」と答えていたのが印象的でした。現在は地域おこしや教育など、多くの場所で芸術家が活躍していますが、宇宙という一見芸術とは関係の無さそうな分野でさえも、芸術が果たせる役割は確実にあるというのは興味深いことです。

     

    レクチャー後は白いドームが設置されたガラスのピラミッドの2階へ移動。いよいよ宇宙のかけらを手にする時間です。

    10人ほどのグループでドームの中に入り、松井さんの説明を受け、一人ずつ順番に宇宙のかけらが入ったガラスシリンダーを手にします。生まれて初めて宇宙の断片を手にすることの喜びや緊張、興奮や感動など、一人ひとり様々なことを思いながら手にしたことでしょう。

     

     

    ドームを出た後は、宇宙のかけら手に持った時の感想を紙に書きます。カラフルなイラストを書く人、長い文章を書く人、一言で全てを表す人、ポエムを書く人など様々です。

    そしてミッションはいよいよクライマックスへ。各自が感想を書いた紙を持ち、再びドームへ入ります。一枚ずつ感想を写真に撮り、一人ひとりのメッセージが宇宙の彼方へ飛んでいく映像を皆で見送りました。感想を書いた紙は、専用の筒に入れ、各々が家に持ち帰ります。「10年後や20年後、ふとした時に思い出して見てみてほしい」と松井さんは語っていました。自分の子どもや孫がメッセージを目にすることもあるかもしれません。

    ミッションの参加者の感想は、「手に取る宇宙」のホームページで見ることができます。今回の地上ミッションに参加できなかったとしても、この感想を見ることで、宇宙に触れた喜びを感じることができるはず。

     

    -宇宙へ飛んでいくメッセージを見送る参加者達。

     

    - 宇宙の映像を映すドームが、ガラスのピラミッドをいっそう幻想的な空間に。

     

    未知なるものに触れる喜びや好奇心、果てしない宇宙とかけがえのない地球への想い、未来を生きる人々へのメッセージ…など、幾重にも意味が込められたプロジェクト「手に取る宇宙」。今回はモエレ沼公園のガラスのピラミッドという、自然や空を見渡せる空間で行われたことで、参加した人々は宇宙と地球のつながりを一層強く感じたのではと思います。今後も地上プロジェクトは全国各地で開催していく予定。宇宙を手にした時、どんな感情が湧き出てくるのでしょうか。ぜひ、自分自身で確かめてほしいと思います。

     

    松井紫朗/Shiro Matsui
    彫刻家
    1960年奈良県天理市生まれ。
    1983年の初個展以来、多様な素材、ユーモアと理知を備えた独自の立体造形で、1985年には兵庫県立近代美術館の「ART NOW 85」展に選出されるなと、関西ニューウェーヴを担う若手のひとりとして注目を集める。
    1991年よりシリコンラバーを使った半立体、立体作品の制作を開始、ドイツをはじめ海外でも展覧会が開催される。
    1997年よりテント用の素材を使ったトンネル状の大作を発表、スパンデックスやリップストップと呼ばれるナイロン素材のバルーンを使ったサイトスペシフィックな作品を次々と展開。自然科学の原理を応用した作品等で、人間の知覚や空間認識に揺さぶりをかける。JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同実験では宇宙での庭作り(「宇宙庭」)や容器に詰めた宇宙空間の持ち帰り(「Message in a Bottle」)を試みる。
    2013年 札幌宮の森美術館で個展を開催。
    現・京都市立芸術大学教授
    http://www.shiromatsui.com/

     

    手に取る宇宙 Message in a Bottle 地上ミッション - モエレ沼公園
    日時:3月14日(土)16:00~18:30
    場所:モエレ沼公園ガラスのピラミッド スペース1・アトリウム2
    主催:公益財団法人札幌市公園緑化協会
    企画:札幌宮の森美術館+NPO法人 CAPSS
    協力:独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 / 株式会社インフォート / team茶室 / 京都大学学術情報メディアセンター / 森幹彦・元木環 / 京都市立芸術大学VD研究室 / 辰巳明久・松原仁 / Michael Whittle / Charles Worthen / 札幌市中央図書館
    http://www.m-in-a-bottle.org/

     

    レポート:山内絵里
    撮影:佐藤史恵

  • BLAKISTON - mangekyoが手がける家具と生活雑貨のショップ、オープン

     

    2015年3月7日、札幌の桑園駅にほど近い元倉庫を改装してオープンした家具と雑貨のお店BLAKISTON。
    インテリアデザイナーのユニットmangekyoのお二人が手掛けるこの広くて高い天井が気持ちのいい空間には、オリジナルデザインの家具と、彼らがセレクトした生活道具や器、雑貨がゆったりと並べられています。
    鉄製の階段を上るとインテリアデザイン設計の仕事場でもあるロフトの空間が。
    オープンして間もないBLAKISTONにて、桑園エリアでこれから注目されていくだろうこのスペースに込めた思い、インテリアデザインの仕事への取り組みについて、mangekyoの桑原 崇さんと児玉 結衣子さんのお二人に聞きました。

     

    ー家具と日用品のお店 BLAKISTONをはじめようと思ったきっかけはどのようなことでしたか?

    児玉 以前からお店をやりたいなとは思ってたんですけど、何のお店をやるかは決めていませんでした。
    インテリアデザインの仕事では今まで、飲食店を手がけることが多かったのですが、クライアントは食に関してはもちろんプロフェッショナルな方々です。だから、自分たちがお店をやる時に、飲食の分野に参入して行こうというのはリアルに考えられませんでした。

    桑原 何をやるかは決めずに、色々と物件を見て回っていた時期があったんです。その時この場所を見つけて、ここでなら何かやりたいと思いました。そういう流れで物件を決めてから、何をやるかというソフトの面を考えて行きました。

    児玉 今まで10年以上インテリアデザインをやってきて、その中で家具や生活雑貨に関わってきました。だから、もっとインテリアを掘り下げて行くという意味でも、家具や雑貨を扱う方が自分たちのやることとして正しいんじゃないかと思ったんですね。それで、オリジナル家具と雑貨の店をやることに決めたんです。
    お店を構えることによって間口が広がり、インテリアデザインの仕事を手がける私たちのことを知ってもらえる機会が増えるんじゃないかなとも思っています。

    桑原 僕らはこれまで長年インテリアデザインに携わってきました。クライアントには理想的なライフスタイルを提案しておきながら、一方で自分たちは仕事に追われる毎日で、ひどく荒んだ暮らしをしていることにずっと矛盾を感じていたんです。生活に密着した身近なものに深く関わりを持つことが、自分たちの暮らしについて考えるきっかけになるのではと思いました。

     

     

    ーお店をやりたいと思い始めたのは、何か理由があったのですか?

    桑原 2010年から2年くらい、東京に拠点を移して仕事をしていました。東京で仕事をしていた時に「北海道で僕らができることって結構あるかもしれないな」と思ったことが大きいです。
    こういうお店も、東京で仕事をしていたら多分できなかっただろうし、北海道に戻って来たら何かやりたいなと思っていました。仕事や旅行で地方都市に行った時に、こじんまりした良い店が結構あって、そういう店に触発された部分もあります。

     

    ー物件を決めて、お店ができるまでどれくらいかかりましたか?

    桑原 インテリアデザインの仕事では、店舗の場合、設計を依頼されてからオープンまで最短で3ヶ月くらいなんですけど、ここを作るのはかなり時間がかかりましたね。
    物件を決めて、内装を考えて作ってから、何をやるかを考えて徐々に作っていった感じです。だからお店ができても、商品も何もない、がらんどうの状態が結構長く続いてました(笑)。

     

     

    児玉 お店の中身について、内装と平行して考えていた部分もありますが、できあがってから考えて進めて行ったことも多いです。当初は今年の1月末オープン予定だったんですけど、オリジナルの家具をしっかり作りたいと思ってやっていたら、3月までかかってしまいました。
    家具が完成してお店に来る日に合わせてオープン日を決めた感じです(笑)。

    桑原 お店としては、家具が来るまでやることがないので、ひたすら設計の仕事をしてました(笑)。

     

     

    ーBLAKISTONという店名の由来を聞かせてください。

    児玉 トーマス・ブラキストンというイギリス出身の動物学者の名前からきています。
    ブラキストンは、北海道と本州の間にある津軽海峡を東西に横切る生物地理上の境界線(ブラキストン線)、動植物の分布が変わる境界線を発見した人です。
    1925年、思想家である柳 宗悦が、民衆の暮らしの中から生まれた美しさの価値を人々に広めようと「民藝運動」を始めました。けれども現在「民藝」についての話題になる時、ブラキストン線を境にして北側にある北海道の「民藝」については情報がほとんどないんです。
    私たちは柳 宗悦の「民藝」の精神を大事に思いながら、このBLAKISTONを作りました。このお店にはまだ「民藝」とされるものは多くないですが、歴史が浅い北海道の地で、「民藝」の精神で活動したいと思っています。

     

    ーお店で扱っている家具や雑貨はどのようにセレクトされているのですか?

    児玉 家具はオリジナルでデザインして製作しています。雑貨はその周辺で使えるもの。器などは、作家ものというよりは、民藝運動から生まれたような、無名性のものであり、日常で使いやすいもの。ヘビーデューティーなもの。手に取りやすい金額というのも大事な要素です。自分たちで気に入って何年も使っているものも多いですね。
    インテリアデザインの仕事をする中で、最初は内装デザインのみだったのが、最近では雑貨とか細かいもので空間に合うもの、良いものを教えて欲しいと頼まれることも多くなりました。家具や雑貨はもともと好きだったのもありますが、自分たちでも調べたり考えるようになってきました。

     

     

    ーどんな方が多くお店に来ますか?これから、どんな人に来てほしいですか?

    児玉 Facebookなどの情報を見てきましたという方や、近所の方が多いかな。
    建物自体はできて、中になにもない期間が結構あったので、近所の方はここに何ができるのか気になってたみたいです。

    桑原 生活に興味がある人に来てほしいですね。
    僕らもそうですが、家庭を持つような年齢になると、生活に興味が出てくると思うんです。今まではファッションに興味があってお金をかけてきたような人も、だんだん暮らす場所やそこに置く家具、雑貨にも興味が移って、より良く生活をしていきたいというような。
    僕らも、ずっと安いテーブルを使っていたのを、無垢の木のテーブルにした時、実際使ってみて、すごく気分が良かった。

    児玉 良い器をひとつ買っただけで、満たされた気持ちになる。そういうことを実感できたことが大きいです。

    桑原 最初は食器などの小さいものから、質の良いものに変えてみたりする。
    一度いいものを使うと、そうでないものとの違いがどんどんわかってきました。それまでは、あまりものの質を気にしてなかったはずなんだけど。
    そしたら、質の悪いものがだんだん使えなくなっていって、小さいものから大きいもの、家具も良いものを使いたくなるんです。最終的には空間もいいものを、って思うようになるといいな、と思っています。そうすると、気持ちがいい生活ができるのかな、と。
    暮らしには色々な考え方がありますが、僕らはインテリアデザインをやってるので、そういうアプローチがいちばんしっくり来るのかなと思います。

     

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  • BLAKISTON - mangekyoが手がける家具と生活雑貨のショップ、オープン

     

    ーインテリアデザインの道に入ったきっかけはどんなことですか?

    桑原 旭川の高専出身なんですけど、その学校はインテリアデザインでもなんでもない、化学を専門とした学校でした。学校に入った最初からもう、「自分のやりたいことと全然違うところに入ってしまった…ヤバイ」って思ってしまって。
    当時インテリアブームがあったのですが、雑誌などで、デザイナーズ家具やインテリアのことが取り上げられているのを見て、家具のデザインをやりたい!って思ったのが、インテリアデザインに進んだきっかけですね。ファッションと家具が近いところで繋がって「おしゃれなもの」というイメージで自分の中に入ってきたんでしょうね。

    児玉 洋服のお店などが集まっている東京の裏原宿っていうエリアがブームだった時期がありますが、ああいうのがかっこいい、みたいな意識が未だにあります。

    桑原 高専は5年制なのですが、僕は高校卒業と同等になる3年で辞めてインテリアデザインの学校に行こうと思って、それを親に言ったら大反対されました(笑)。
    5年間通えば、親も進学や就職で化学の道に進むことは諦めてくれるだろうと思って、5年間は頑張りました。
    その間に、インテリアデザインや家具の本を買って勉強したり、学校では漫画を描くのが好きな人とかが少しいたので、そういう人たちに絵の描き方を教えて貰ったり。
    高専卒業後は札幌で、念願だったデザインの専門学校に入りました。だけど専門学校では、想定外に家具デザインの授業はほとんどなかったんです。建築設計の授業が多かった。でもそれが楽しくて、建築設計の方にはまっていきました。

     

     

    桑原 学生のころ、学生を受け入れてくれる建築事務所に出入りしてたんですが、学校を卒業してそのままそこで数年働きました。その後、インテリアデザイン会社に入りました。
    昔抱いていた憧れのイメージが、建築よりインテリアデザインのほうが近かったようです。
    インテリアデザイン会社を辞めたとき、務めていた時のツテもあって、仕事がたくさん来たんです。それで仕事を必死にこなしている内に、ここまで来ちゃった感じはあります(笑)。

    児玉 私は小さな頃から、家の間取り図を眺めることや、自分で理想の間取り図を描いたりもしていました。自分の部屋がなかったので、空間への憧れが強かったのだと思います。当時は漫画家になりたいと思っていて、家に籠っていつも漫画を描いていたのですが、やたらと間取り図が出てくるような漫画でした。
    高校生の頃は、音楽活動をしていた時期もありましたが、ある時、将来何になろうか真剣に考えたときに、インテリアデザイン以外思い浮かびませんでした。私は芸術デザイン専門学校でインテリアデザインを学び、インテリアデザイン会社に入社して、そこで桑原さんと出会いました。
    桑原さんがその会社を辞めたあと、私は2〜3年働いて独立したのですが、その時彼は仕事をたくさん抱えていて凄く忙しかったので、よく手伝いに行っていたんです。そこで自分の仕事もしつつ、桑原さんの仕事のお手伝いもするというのを続けているうち、「会社として一緒にやらないかい」と言って貰って、ふたりでやることになりました。
    当時は本当に忙しかったですね。私たちはまだ20代で若かったのに、よくそんな私たちに依頼してくれる人がいたなって、今になって思います。

     

     

    ーちょうどその頃、mangekyoさんの存在を知って、面白いデザインを手掛けてる方がいるな、と注目していました。デザイン依頼後は、クライアントとはどのようにイメージを形づくって行きますか?

    児玉 クライアントのお話は凄く聞きます。その人のキャラクターとか人となりを良く見ます。

    桑原 インテリアデザインの仕事では、オーナーシェフとか美容師とか、実際にお店で働いている人がクライアントでもある場合が多いので、その人の好みとかキャラクターをお店のデザインに反映できるといいなと思っています。

    児玉 打合せの時間をとても長く設けて、色んな話をします。デザイナーの人は「アイデアが降ってくる」とかよく言いますが、私たちの場合はそういうことは一切なくて、話し合いの中で、クライアントと一緒に作って行く感じです。

    桑原 クライアントと一日ずっと一緒に過ごして、夜中まで話したり、どういう好みなのか探ったり。人の好きなことやモノって、その人の中に隠れてると思うんです。デザイナーじゃない人は、自分のことを形として具体的に表現できないことが多いと思うので、本人もまだ自分が何を好きなのか気づいていないこともあったりする。

    児玉 話すことや一緒に過ごすことは、それを引き出してあげる大事な課程です。

    桑原 そういう時間を通して、クライアントが自分で好きなイメージを言葉にできるようになると、お店を作ったときに「これは自分の店」って言えるんだと思う。僕たちが考えて作ったデザインをそのまま与えてしまっても、馴染めないし、自分のものとして店の空間を使いこなせないと思うんですよ。
    例えば、僕らは格好良くないと思っている什器や雑貨も、クライアントや店のスタッフがお店に置く可能性もありますよね。それもひっくるめて、お店の個性、空間の個性だと思うんです。
    昔はインテリアデザインだけじゃなく、そういう部分もコントロールしようとしてたんですけど、今はそうは思わなくなった。その人が好きなものを置くことをイメージして、その上で素敵だったり、かっこいい空間を作ることを心がけています。

     

     

    ーデザインの仕事やデザインをする課程で、インスピレーションを得たり、参考にする要素はありますか?

    児玉 新しいプロジェクトが始まったら、まず、クライアントのイメージに合うような音楽をセレクトして、その仕事に取り組んでいる間、ずっとその音楽をかけっぱなしにします(笑)。その音楽のテンションに合わせて仕事をすると、その人のイメージだったり、その人のテンションの仕事ができるなぁって思うんです。

    桑原 映画を見て、海外の風景とか、映画のセットの色使いなどを参考にしますね。この建具は凄くいいな、とか(笑)。

    児玉 ウェス・アンダーソンの映画は見てると凄く面白いですね。インテリアの感じが「なんかちょっと変」とか「このアイデアいいな」とか。私はお芝居が好きで東京や大阪によく見に行くんですけど、舞台セットや演出の仕方はとても勉強になります。
    インテリアデザインや建築の仕事を見てインスピレーションを受けるということは実はあまりないですね。

    桑原 昔は、インテリアデザインや建築を参考にすることもあったと思います。雰囲気よりは、もっと細かい部分、たとえばディティールの収め方、どういう材料がいいか、どれくらいの寸法がいいか、そういう部分を参考にしてましたね。建築の分野では、ファッション感があって表層的なものは邪道、みたいな雰囲気がある。僕も、そういった時期もあったんですが、そこから年齢を重ねたときに、最初に自分が影響を受けたファッションなどのストリートカルチャーがかっこいいな、と改めて思うようになりました。

     

    "「The Selby」はインテリアの写真集なのですが、人がいたり、住んでいる風景も一緒に撮るというところが凄く良いと思って、それから自分たちのインテリア写真の撮り方が変わりました。"(児玉)

    "好きで良く読む雑誌はこんな感じです。"(児玉)

     

    ークライアントと話してデザインイメージが積み重なった時、設計の段階ではどういう進め方をしますか?

    児玉 まずはイメージの共有から始まりますね。

    桑原 長く付き合いのある人で、好きなものの感覚がわかっている人には、デザインしたもののプレゼンもそんなにしないことが多いです。
    ノースコンチネントっていうハンバーグ屋さんのオーナーには、最初「一緒にドライブ行こう」って誘われて。ドライブに行った先で、「こんな感じの景色のイメージなんだよね」と言われた(笑)。

    児玉 山の中に一緒に入って落ち葉の上を一緒に歩いて「こういうフカフカな感じ」とか、山の中の匂いとかを伝えられました。自然の中をドライブして、山の中を歩いてイメージを共有してできたのが「ノースコンチネント -MACHI NO NAKA-」っていう地下にあるハンバーグのお店なんですけど(笑)。

    桑原 クライアントの話も聞くけれど、僕らの設計のことも凄く話します。デザインや設計のことを、相手がわからなくてもいいやと思ってずっと話していると、その内、彼らにも知識がついてきて、物の見方が変わりますね。
    店をやるかどうかもわからないけど、「こういうお店やりたいね」って三年くらいずーっと打合せだけしている場合もあります(笑)。

     

     

    ー東京に拠点を移していたことについて聞かせてください。

    桑原 北海道でインテリアデザインをやってきて、色んな面で限界を感じたというか。

    児玉 自分の理想とするインテリアデザインの仕事をするには、札幌で続けていくのは難しいのかな、と感じていた部分が大きいです。

    桑原 札幌にいて仕事していたら、東京のインテリアデザイン業界のことは何も知れない。だから、雑誌などを見て、東京ってこうなんじゃないか、という勝手な思い込みがありました。同業の有名な人たちの仕事をメディアなどで目にして、ああいう仕事をやらなきゃいけない、という焦りのような気持ちがありましたね。

    児玉 東京でやってないのに、自分たちはそのシーンに対して何にも意見を言えないな、って思って。だから、東京でやることは、自分たちにとってチャレンジでしたね。

    桑原 東京で仕事をすることで、メディアに出ていなくても、かっこいい仕事をしているデザイナーがいると知ることができました。だけど同時に、北海道にいた自分たちもそういう仕事をしてきたんじゃないか、って気づきました。東京にいても、札幌から僕らに声をかけてくれる人がいて、仕事の依頼をしてくれて、凄くありがたかった。
    僕らは設計はするけれど、作ってくれる人(施工業者)がいて初めて建築や内装ができるわけです。東京での仕事を通して、作ってくれる人とのコミュニケーションの取り方だとか、札幌での仕事のやり方が僕らには合っていると感じました。

    児玉 2012年に札幌に戻ってきて、せっかく北海道でやるなら、東京でできないことをやりたいねって、ずっと話していました。
    札幌に戻って「レスタウラント」というZINE(自主制作の冊子)を作ったんですが、それも「自分たちでなにかやりたい、発信したい」と考えて始めたことのひとつですね。

     

     

    ー好きなお店・素敵だなと思うお店はありますか?

    児玉 カメラマンの友人に教えてもらって行った、東京の浜松町にあるgallery 916ってところは、最近見た中でダントツでかっこよかったですね。写真家の上田義彦さんがキュレーションしている写真メインのギャラリーです。

    桑原 このBLAKISTONを100倍くらいスケールアップしたくらいの大きさでしたね。

    児玉 凄く広いし、天井も高いんですよ。gallery 916に感銘を受けて、倉庫の物件っていいなって思いました。私たちのお店をここに決めるきっかけにもなりました。

    桑原 gallery 916は、倉庫をリノベーションしたギャラリーなんですが、倉庫に少しだけ手を加えたみたいな。リノベーションって、手を加えすぎると元々の空間の良さがなくなっちゃうと思うんですけど、gallery 916はもともとかっこいい倉庫の雰囲気を残したままやっている。そういうのが自分は好きだなと思います。

     

     

    ーインテリアデザイン、お店で今後やっていきたいこと、ビジョンを教えてください。

    児玉 どちらも、「長く続ける」ってことだけですね。

    桑原 長く続けることと、僕たちは今まで二人だけでずっとやってきたんですが、せっかくこの仕事をしているので、楽しくやりたいですね。
    設計の仕事に対しては、特にこれをやりたいっていうのはなくて(笑)。

    児玉 設計をやってみたい業種(お店とかスペースなどの)という意味では、特に決めてないですね。

    桑原 ただ、一緒にやってて楽しい、感性や気が合う人と一緒に仕事ができれば、というのは凄く思いますね。

     

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    BLAKISTON
    〒060-0010
    札幌市中央区北10条西16丁目28-145 拓殖ビル1F Tel : 011-215-6004
    OPEN : 12:00〜19:00 火曜日・水曜日 定休
    http://www.blakiston.net/

     

    mangekyo
    2006年、北海道札幌市で設立。レストラン、ブティック、ヘアサロン、住宅などの内装デザインを中心に、インスタレーション、建築デザインのディレクションなど、多岐にわたるクリエイションを展開。
    http://mangekyo.net/

    桑原 崇 kuwabara takashi
    デザイナー、mangekyo代表取締役
    1977年、北海道の神社の家系に生まれる。化学を学んだのち、デザインの世界へ。建築設計事務所での勤務、インテリアデザイン事務所での勤務、フリーランスを経て、2006年、株式会社mangekyoを設立。同代表。

    児玉 結衣子 kodama yuiko
    デザイナー
    1982年、北海道生まれ。学生時代は、ストリートライブ、バンド、DJなどの音楽活動をして過ごし、デザインの世界へ。インテリアデザイン事務所での勤務、フリーランスを経て、2007年、株式会社mangekyoに参加。日常の中に潜むおもしろおかしいものを拾い上げて、アイディアのきっかけを作る役割。


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    インタビュー 佐藤史恵
    撮影 クスミエリカ

     

  • 写真家 岡田 敦さん - 被写体との対峙から生まれる作品、その強さの源泉とは

     

    2008年、現代の若者の姿を真正面から捉えた写真集「I am」(赤々舎)で木村伊兵衛写真賞を受賞したことも記憶に新しい北海道出身の写真家 岡田敦さん。
    昨年出版された出産の瞬間をテーマにした写真集「MOTHER」(柏艪舎)は、美術、写真表現の自由や規制についても大きな話題になっています。
    2015年2月、北海道立近代美術館で開催中の展覧会「もうひとつの眺め(サイト) - 北海道発:8人の写真と映像」、また現代アートギャラリーCAI02で個展「MOTHER - 開かれた場所へ」を開催中で札幌に滞在された岡田さんに、被写体に真正面から向き合い生まれる写真作品の力強さと、そのテーマ性などについて伺いました。

     

    - まず、岡田さんが写真を撮り始めたきっかけを教えてください。

    もともと写真を撮ってたわけじゃないんですよ。
    高校卒業後の進路を考えた時、美術は好きだったから、芸大や美大に行きたいと思ってはいたのですが、世界で活躍するような、飛び抜けた絵の才能が自分には無いと思ったので、「写真家になろう」と決め、写真を撮り始めました。

     

    - 大学に進学してから本格的に写真を撮り始めたのですか?

    そうですね、写真家になろうと決めてからです。
    当時はカメラを持っていなかったので、まずは友だちにカメラを借りて勉強して、一年浪人してから大学に入りました。
    叔父が絵描きだったので、美術に対しては小さな時から興味はありました。
    絵に進まなかったのも、叔父がやってることと同じことををするのもどうなのかな、という疑問があったのかもしれません。

     

     

    - 絵画以外のものを、と考えた時に写真を選択したのはなぜでしょうか?

    写真集での表現など、もっと面白い事が出来る可能性があるジャンルだと思ったので、それで決めたのかな、という気がします。

     

    - 写真家として、影響を受けた方はいますか?また、こういった写真を撮っていきたいという技術や作風はありましたか?

    あんまりないですね。
    むしろ、画家のエゴン・シーレとか好きだったので、そういう作品に影響を受けました。
    あと、ヨーゼフ・ボイスとか、ジャンルや表現方法は違うんですが、むしろ、違うジャンルから影響を受けたことのほうが大きいですね。

     

    - 岡田さんの作品では、リストカットの傷跡や出産シーンを題材にした作品の印象が強いのですが、それらは記録するという意味合いで撮影されているのでしょうか?

    どうしても「I am」や「MOTHER」の印象が強いせいか、そちらのイメージが一人歩きしている感じはありますね。記憶に残る作品を生みだせたという意味では、作家として幸せなことではあるのですが(苦笑)。
    逆に今は、根室沖にあるユルリ島という無人島で、野生馬の撮影などもしています。僕の中ではどの作品も同じ感覚で、エネルギーの強いものにいつも惹かれています。その対象に自分が向き合うことが出来るのか、そこから逃げださず、さらに深く掘り下げてゆくことが作家として大事なことだと思っています。リスクを背負わなければ、芸術は生まれません。簡単に撮れるものよりも、向き合うことが一番大変だろうなと思うのもを選んできたら、振り返るとそうしたインパクトの強い作品が多かったのかな、という感じです。

     

     

    - 今回の個展「MOTHER - 開かれた場所へ」では、出産を題材に扱っていますが、撮影するにあたり被写体になる方とはどういった形で繋がっていったのでしょうか?

    もともと被写体のご夫婦の旦那さんとは友だちで、奥さんとも面識がありました。妊娠されたと聞いて、以前から(出産を題材に)写真を撮りたいと思っていたので、お願いをして撮影の許可をもらいました。
    写真を撮るという行為は、ある意味で、被写体にリスクを背負わせるという行為でもあります。今回の作品はとくにそうでした。世の中でどのような反応が生まれるのか、被写体のご家族が批判されないようにしなければいけない、撮影をすることと、発表をすることで生じるあらゆるリスクについて慎重に考えました。そうしたことを彼らには事前に伝え、その上で撮影のお願いをしたので、信用してもらうことができ、あの作品が生まれたのだと思います。そういう意味では、僕は撮らせてもらっただけなんです。彼らの協力がなければ、あの作品を撮ることも、あの瞬間に僕が出会うこともできなかったと思います。
    「人が生まれるってどういうことなんだろう」という単純な僕の欲に巻き込んでいいのか、という責任感みたいなものは常に感じています。そうした責任やリスクを僕も背負った上で、この作品は世の中に発表しなければいけないと強く感じました。それが意味のあることだと思ったのです。

     

    - 撮影を終えた後、岡田さん自身に変化はありましたか?

    人は人から生まれてくるという当たり前のことを、もちろん知識としては知っていますが、母親が自分を産んでくれたことに対して、具体的に当時のことを想像したり、思いを馳せたりといったことは、今回の作品を作るまではありませんでした。母親への感謝という意味では変化があったのかもしれません。
    「命の大切さを知ってください」というようなテーマだったらわかりやすいかもしれませんが、写真集や展示を見てくれた人が自由に誰かを想ってくれたらそれでいいのかなと思っています。この作品にはそうした広がり方が出来る可能性があると思っています。
    「表現の自由」などいろいろ問題が出てくるのかもしれませんが、その問題を僕が背負えるのであればそれで良いのかなと思っています。

     

     

    - 展覧会と写真集としての発表では違いを設けたりしていますか?

    写真集は自分の死後も残るように作りたいと思っています。展覧会はある程度の期間で終わってしまうので、その時のライブ感を重要視するようにしています。

     

    - 写真集「MOTHER」を拝見した時に、ページをめくっていく中で合間に入っている白紙のページが、岡田さんの息づかいのように感じて臨場感があり、岡田さんとしてその場にいるような感覚になりました。

    今回の写真集のページ構成は僕がほぼ決めました。白いページに関しては、僕がここに入れてほしいと具体的にデザイナーに伝えました。
    写真のページだけが次々と並んでいると、読者の方が想像をする余地がなくなってしまう。白いページには何も写ってはいないけれど、読者の方がその空白に何かしら思いを馳せてくれたら良いなと思っています。間をおくとか、深呼吸をするとか、そうした効果も考えています。

     

    - 白いページの入り方に、深呼吸するイメージがありました。

    僕自身も、写真だけを一気に見ていくとしんどくなってしまうところがあるんです。ページをめくりながら、写真の合間に白いページがあることで、次が開けてゆく。白いページでひと休みをして、次のページへ読み進んでゆく感じがいいのかな。
    見ることに対するエネルギーが追いつかなくて、途中でしんどくなって写真集を閉じられてしまうのは残念だから、意識的に白いページを入れました。だから、そう感じていただけたのであれば良かったです。

     

    - 先ほどもお話に出ていた「ユルリ島」についてお聞ききしたいのですが、どういうきっかけで撮影することになったのでしょうか?

    東京でよく一緒に仕事をする編集者の方がユルリ島の話をしていて、そういえば昔、地元紙でユルリ島とそこに生息する野生馬の記事を読んだことがあるなと思い出して、いろいろ調べてゆくうちに、島の野生馬がいずれ居なくなることを知ったんです。そのことを根室市に問い合わせると、誰もユルリ島の馬の現状について記録をしていないということがわかったので、これは北海道の文化として絶対に記録しておくべきだと思いました。
    とは言っても、ユルリ島は北海道の天然記念物に指定されているため、メディアをはじめ人の立ち入りは禁止されています。僕もはじめは全く話を聞いてもらえませんでした。いろいろな方へ何度も手紙や電話でお願いをし、交渉を始めてから一年くらいかかって、ようやく根室市から正式に、島の歴史を記録することを委託されました。最初はユルリ島の馬について根室の人たちもあまり関心がなかったので、協力をしてくれる方を探すのも大変でした。でも今は、根室市をはじめ、落石漁業協同組合、島のガイドをしてくださる方など、根室のみなさんが本当に親切にしてくださるのでとても嬉しく思っています。
    発表する作品だけではなく、僕が活動を続けることによって周りの人たちの意識や考え方も変わってゆく、そうした変化も芸術のひとつだと僕は思っています。そういう意味でもユルリ島での撮影活動は面白いですし、発言や行動を続けてゆくことの大切さを感じます。街の人たちの島に対する思いが変わってきているのも感じますし、たくさんの方が協力してくださっているので、必ず写真集として形にしなければいけないなと思っています。

     

    - 私は北海道在住ですが、ユルリ島やそこにいる野生馬について、岡田さんが撮影していることで初めて知りました。

    そうですね、根室に住んでいる方でも現状を知らない人が多いと思います。「ユルリ島にいま馬が5頭しかいないの!」と驚かれる方も多いです。
    僕も北海道に住んでいた時には気づかなったこと、見えていなかったものがたくさんあったのですが、東京で活動するようになってから、逆に北海道のことがよく見えるようになりました。

     

     

    - 北海道で生まれ育ったことが作品に影響されることはありますか?

    北海道らしさというのは北海道に居たときにはわからなかったので、東京へ行ってから、幼い頃に経験したり、見ていたものが今の写真に影響していると思います。
    逆に道外の人がイメージするラベンダー畑とかひまわり畑みたいな北海道の風景写真は、僕の中にある北海道の原風景とはずいぶんズレがあるので、そういう意味で、北海道のイメージを変えていきたい。
    僕の中にある北海道の原風景を写真で表現してゆくこと、それが北海道出身の写真家として僕がすべきことのひとつなのかなと思っています。

     

    - 今後、北海道に限らず「こういったものを撮影したい」というビジョンはありますか?

    三十代になったら北海道を撮ろうとは思ってはいたんですが、たぶんそれが完結するのは45歳くらいになるのかなと思います。一応、うっすら(ビジョンが)見えてはいるんですけど、まだ語らないようにはしています。

     

    - 最後に、同時期に北海道立近代美術館(以下 近美)、CAI02と二つの会場で展示をしていますが、それぞれどういったところを見せたい、ということはありますか?

    いま、写真界全体、美術界もそうですが、自主規制に走ってしまう傾向があります。美術館の場合、公共施設ということもありその傾向がより強くなってしまいます。北海道立近代美術館での展覧会「もうひとつの眺め(サイト)北海道発:8人の写真と映像」は3月22日までですが、CAI02では美術館で展示出来なかった作品も含め、展示構成しています。
    美術館の批判をしたいわけではもちろんありません。ただ、作家が美術館の基準に合わせて作品を作りだしたり、美術館に展示出来るかどうかを事前に確認しなければいけなくなったら、そこから新しい芸術は生まれなくなると思うんです。メーカーギャラリーはブランドのイメージを守らなければいけない。「美術館は公共施設だから」という理由はよくわかるのですが、公共施設だからこそ芸術に対して開かれた場所であって欲しいとも思うのです。二つの展示を通し、芸術や芸術を発信する場の在り方について、多くの人が考えてくれる機会になればいいなと考えています。近美で感じることもCAI02で感じることも違うと思うので、両方観てほしいです。
    観てくれた人がいろんな反響を寄せてくれたら、北海道の芸術や文化ももっと盛り上がると思うので、そういう効果があれば一番良いなと思っています。

     

     

    岡田敦  写真家/芸術学博士

    1979年、北海道生まれ。
    富士フォトサロン新人賞受賞。第33回木村伊兵衛写真賞受賞。北海道文化奨励賞受賞。
    大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、博士号取得(芸術各学)。
    2007年、写真集「I am」(赤々舎)を発表。
    2010年、写真集「ataraxia」(岡田敦、伊津野重美、青幻舎)を発表。
    同年、映画「ノルウェイの森」(原作:村上春樹、監督:トラン・アン・ユン)の公式ガイドブック(講談社)の撮り下ろし企画などを手がける。
    2012年、写真集「世界」(赤々舎)を発表。
    2014年、写真集「MOTHER」(柏艪舎)を発表。
    海外からの注目も高い、新進気鋭の写真家である。
    http://www2.odn.ne.jp/~cec48450/

    ・Facebook
    https://www.facebook.com/okadaatsushi.official

    ・YouTube:ユルリ島
    https://www.youtube.com/playlist?list=PL_BpdvkbNXgUWznHHKIByojXr2oII60cF

     

    ◎開催中の展示

    岡田 敦 個展「MOTHER - 開かれた場所へ」
    会場:CAI02 札幌市中央区大通西5丁目 昭和ビルB2F
    会期:2015年02月14日(土)〜2015年02月28日(土) 13:00~23:00
    詳細はこちら

    もうひとつの眺め(サイト) - 北海道発:8人の写真と映像
    会場:北海道立近代美術館 札幌市中央区北1条西17丁目
    会期:2015年01月31日(土)〜2015年03月22日(日) 9:30~17:00
    詳細はこちら

     

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    インタビュー:小坂祐美子
    撮影:小島歌織