REPORT/INTERVIEW

  • 僕らは同じ夢をみる − 飛生芸術祭、TOBIU CAMP、そして森づくりとは?【前編】

    photo : Kazuki Matsumoto

     

    札幌から高速で1時間ほどの白老、そのさらに森の奥で毎年9月に1週間開催される飛生芸術祭と、その最後の2日間に開催されるTOBIU CAMP。アートと音楽が一堂に会すこの祭典は、会場となる飛生の森づくりとともに、年々進化を遂げています。どこか物語のような不思議な世界観をはらみ、自分たちの手でつくりあげていくというこの一大イベント、どうやらただのフェスではないようです。芸術祭のディレクターであり、飛生アートコミュニティーの代表で彫刻家でもある国松希根太さんと、TOBIU CAMPメインディレクターの木野哲也さんに、お話を聞いてみました。

     

    — そもそもなぜ、白老の飛生という場所だったのでしょう?

    国松 僕の父で彫刻家の國松明日香(*1)が、1986年、廃校になった飛生小学校を借りて、仲間たちとの共同アトリエとして飛生アートコミュニティーをつくったんです。僕が子どものとき家族と飛生に2年間住んでいた頃、体育館を使って年に1回ジャズのコンサートが開かれていました。そのときの、いつも全然人が来ない飛生にわっと人が集まってくる感じを覚えています。

    大学卒業後、札幌に仕事場がなかなか見つからなかったとき、当時は家具作家さんが1人で使っていた飛生アートコミュニティーに僕も入れることになったので、思い切って2002年に飛生に引っ越しました。最初は単にアトリエとして使っていたけど、体育館もあるし好きなことができるので、だんだん人が集まってくる場になりました。(木野)哲也はその中の仲間の1人です。

    そのうち、昔やっていたコンサートのように人を呼んで何かできないかなと思って、始めたのが2007年の「TOBIU MEETS OKI」(*2)です。今もTOBIU CAMPのかなめ的キャストであるトンコリ奏者OKIさんのライブと、会場に自分や仲間たちの作品を展示する一日だけのイベントで、OKIさんのコーディネートや音響を手伝ってくれたのが哲也でした。このとき思ったよりたくさんお客さんが来てくれて、すごくいい雰囲気になったので、続けたいねという話になりました。

     

     

    — その後、2009年に「飛生芸術祭」と名前を変えたきっかけは何ですか?

    国松 2009年は1日限りではなく、さらに面白いことをやりたくて、これからも継続していくイベントとしてアートや音楽などを含める「芸術祭」という名前をつけ、「飛生芸術祭」をスタートさせました。アートの展示会期が8日間になり、OKIさん以外にも音楽アーティストを呼んで内容も充実したイベントになってきた時期です。

    2011年には、会場となる飛生の森づくりを始めます。この年、哲也主催の野外フェスMAGICAL CAMP(*3)を、TOBIU CAMPという名前で環境を変え、芸術祭の一環として開催することになりました。また、この年は飛生で美術教室を始めたり、今も続く富士翔太朗くんの竹浦小学校の生徒とのワークショップ(*4)を開始したり。色々なことが一気に始まった転機の年ですね。飛生アートコミュニティーが25周年を迎えたこともあって、気合いを入れてやろう!と規模を大きくしたら、それをなかなか小さくできなくなったんです(笑)。

     

    「topusi」art work : Taiho Ishikawa  photo : Hideki Akita

     

    — 芸術祭について伺いますが、参加アーティストはどのように選んでいますか?

    国松 はじめは仲間うちのアーティストを中心にしていたのが、芸術祭になってからは、こちらからオファーして呼ぶアーティストが増えてきました。作品は芸術祭の最終日に開催するTOBIU CAMPの間も展示するので、野外の彫刻の作家だけではなく、TOBIU CAMPで作品をつくってその日限りの作品を見せる人もいます。選ぶ基準は、この人の作品は面白いなと思い、飛生の空間で見たいと思ったら声をかけるというスタンスです。

    木野 芸術祭で常設展示をするアーティストと、TOBIU CAMPでその場限りの展示をするアーティストで、作品の見せ方などをいかに分けるかっていうのもポイントなんです。

     

    — 室内に展示するということではなく、外に置いたままやがて森の一部になるような作品が多いですが、そういった条件を前提に作家へオファーをしているのですか?

    国松 そうですね。TOBIU CAMPと森づくりが始まった2011年に、今後の芸術祭のテーマとして、物語的な要素を演出によってもっと強めて、なんだか不思議な村に来た…という感じのイメージをつくろう、と決めました。会場になる飛生小学校は古い木造校舎なので、来た人に「タイムスリップしたみたい」とか「現実じゃないみたい」と言われていたから。

    アートも、有名なアーティストを呼んで新作をぼんと置くのではなくて、オファーしたアーティストに森のイメージを伝え、そこにあくまでも森のひとつの要素として作品をお願いしたいと依頼します。そのために必ず下見に来てもらったり、飛生芸術祭のストーリーを理解してもらうことを大切にしています。これはアートも音楽も一貫していますね。

     

    — 今回、飛生の森のアーティストに淺井裕介さん(*5)、今村育子さん(*6)を新たに迎えていますね。

    国松 これまでは森と一体化し、風化、増殖するような作品が多かったのですが、今年は少し異質な作品が欲しいと思っていました。その場所に馴染んで置かれるものというより、お客さんに探し出してもらって、そこでだけ体験できるような作品。2人には、森に馴染むようにというお願いはしていなくて、そのままをどんと出してもらおうと思っています。

    淺井さんは東京出身の第一線で活躍する現代美術家で、偶然、知人を通じて飛生を訪れたことがあり、それが今回の参加につながりました。2人の作品がどんなものになるか、僕らも楽しみにしています。

     

    淺井裕介さんの制作風景  photo : Kineta Kunimatsu

     

    — 芸術祭は8日間の開催。見どころはどんなところでしょうか?

    国松 初日の9/6(日)は森を回りながら森づくりの話やアーティストトークを聞ける「飛生の森びらきツアー」や、今年5年目の節目を迎える森づくりプロジェクトの報告会があるので、ここをメインで来てもらえたらいいですね。アートだけでなく、森づくりに興味のある人にも。芸術祭の日程だとひとつひとつの作品をゆっくりと見られて、もちろん継続してTOBIU CAMPでも全ての作品が見られます。芸術祭は16時までの明るい時間帯、TOBIU CAMPではライトアップされる夜の時間帯。雰囲気が変わるので、2回来る人もいますよ。

     

    — では、現在芸術祭の柱にもなっている「飛生の森づくりプロジェクト」について聞かせてください。

    国松 飛生小学校は町から借りているんですが、あらためて調べたら敷地が意外と広くて、裏の林も使えるとわかった。ここを芸術祭の会場としてつくりながら、芸術祭とTOBIU CAMPを同時に始めていった感じですね。最初はただ一本の道だけを切り開いて、そこにステージをつくったり、作品を置いていました。森づくりっていうと、植林などを思い浮かべると思いますが、飛生はあたらしいかたちの試みということで、他の森づくりの活動をしている団体などから注目してもらっています。

    木野 行政や自治体ありきでなく、アーティストや僕たちスタッフのイニシアチブで森づくりをやっていることは、地方発信のありかたとしては強いと思うし、そもそも純粋に「やろう!」っていうところからスタートして大きくなってきているから、かなり自発的なアクションだと思いますね。

    毎年、(国松)希根太が中心になって1年間のプログラムを考えて、毎週何をやるか作業工程も細かく決めてネットで配信して、それに来られる人とすすめていく。基本的に森づくりの参加は自由なんだけど、循環した作業工程にはまっちゃう人もいます。やめられなくなる、そういう力がある場所なんです。

     

    photo : Naoki Takahari

     

    国松 もうひとつは、芸術祭やTOBIU CAMPで多くの人に見てもらうお披露目の意味もあるので、みんなそこに向かって進めていくんです。その年の芸術祭が終わった後に、来年はだいたいここまでやろうと決める。5年計画で、今年はその5年目を迎える、ひとつの区切りの年ですね。家や火を囲むところ、会場のシンボルとなるトゥピウタワーなど、大きいところは大体できて、場所は整ってきました。来年以降はここで何をするか、中身をこれからつくりこんでいきたいなと。

    森づくりには、世代も職業もバラバラな人たちが自発的に関わってくれていて、のべ200人くらいは参加していますね。作業が終わって温泉行ってバーベキューして1泊して…合宿スタイルでやっていくうちに、だんだん家族のようになってくるんです。今は、アーティストよりも普通に仕事している人、そして白老というより札幌・苫小牧など外の参加者が多い。チェーンソーを持ったこともなかった人が持てるようになって、そのうち自分で買っちゃったり(笑)。

    木野 ただのうっそうとした笹だらけの場所だったから、今出来上がってきた会場を見ると、ちょっと自分たちも信じられないですよ。

    国松 森って木がどんどん育っていくから、管理しないと荒れてしまう。ある意味、森づくりに終わりはないんです。どうつきあっていくか、どう守っていくかが今後の課題ではあるけど、それでも、なにかやりたいとかつくりたいって誰かが言い出して、結局何かをこの森でやっていくんだろうなと思っています。

     

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    *1 國松明日香:彫刻家。鉄を題材にした大型のモニュメントを手がけ、札幌市内の公共施設に多くの作品が展示されている。現在、東海大学国際文化学部デザイン文化学科講師。

    *2 「TOBIU MEETS OKI」:2007年、飛生アートコミュニティーで開催。アイヌのトンコリ奏者OKIをはじめ、音楽LIVEとアートフェア、空間演出などに様々なアーティストが参加。

    *3 MAGICAL CAMP:2007〜2009年まで札幌テイネハイランドにて開催された、音楽とアートが渾然一体となった野外フェス。プロデューサーは木野哲也。

    *4 竹浦小学校の生徒とのワークショップ: 2011年から継続して行なわれている、美術家の富士翔太朗と白老町立竹浦小学校全生徒によるプラネタリウム制作や音楽制作。作品や音楽はTOBIU CAMP会場で公開される。

    *5 淺井裕介:テープ、ペン、土、埃、葉っぱ、道路用白線素材など身の回りの素材を用いて、キャンバスに限らずあらゆる場所と共に奔放に絵画を制作する美術家。国内外での展示多数。

    *6 今村育子:主に日常の中にある些細な光景をモチーフにインスタレーション作品などを制作している札幌在住の美術家。

  • 僕らは同じ夢をみる − 飛生芸術祭、TOBIU CAMP、そして森づくりとは?【後編】

    photo : Ami Igarashi

     

    — では木野さんにお聞きしますが、MAGICAL CAMPからTOBIU CAMPへと変わったいきさつとは?

    木野 MAGICAL CAMPは3回テイネハイランドで開催した後、続けるつもりで札幌近郊の別な場所を探していたけど、グッとくる場所がなかったんです。そんなとき飛生で希根太と話していて、「森をつくろう」って話になったときに、それはすごいな!ってめちゃくちゃワクワクしたのが、TOBIU CAMPの始まりかな。ここで俺は本当の「つくる」っていう意味を知るんだなって思いました。だって、自分たちやお客さんが歩く道自体から、全部つくらないといけないわけだから。

    MAGICAL CAMP とTOBIU CAMPは、対極にあるような気がしていて。MAGICALは都市にわざとカオスをつくりだすような、キラキラした刹那的な感じ。TOBIUは、完全に地べたに足がついて、自力の、自分たちのスピードで進んで、薮を切りひらかないと始まらないイベントなんです。

    僕はTOBIU CAMPではなるべくその日だけの仮設物を減らしたい。そのときだけ置いて、終わったら撤収!じゃなくて、その次の年も使えたりそのまま残ったり、いつか朽ちて行くものがいい。でもそれって特別なことじゃなくて、実はあたりまえのことだなと実感できることがすごく新鮮だったし、TOBIU CAMPはそんなペースの中で演出を考えていきたいと思いました。

    そもそも、イベントとしてアーティストだけを前面に出すというやり方もしなくなったし、むしろ僕たちスタッフは1年に5ヶ月くらい森に入って会場づくりをしているから、アーティストよりスタッフの想いのほうが強いんじゃないかな。アーティストはいちキャストでありいち演出のひとつ、TOBIU CAMPという時間を構成する人たちっていう捉え方です。

    MAGICAL CAMPはいわゆる野外フェス的な志向だったけど、TOBIU CAMPはそれとはまったく違うものですね。

     

     

    — その違いとは、どんなところにあるのでしょうか?

    木野 TOBIU CAMPのキーワードは、物語。今回は昨年に引き続き、芸術祭のテーマが「僕らは同じ夢を見る」なんですが、TOBIU CAMPも一夜の物語にたとえられるんです。一夜、森や古い校舎で過ごすということや、その感覚のなかで見たり聴いたりすることって、非日常で、すごく特別な体験になると思うから。

    象徴的なエピソードがあるんです。昨年、サックスやアコーディオンを演奏しながら人形劇をする「おたのしみ劇場ガウチョス(*7)」がキャストで参加してくれたとき、2回目の上演は夜だったから、子どもたちはみんな寝ていて見ていないはずでした。だけど翌朝、子どもたちが「昨日、人形劇見た?」「見た見た!」って言っているのを劇団の人が聞いて、”見ていないのに、まるで見たかのように話している、これこそ「僕らは同じ夢を見る」じゃないですか?”って僕に言ってくれたんです。飛生には、そういうことが起こるような力、シチュエーションがあるような気がしますね。

    芸術祭ともリンクするけれど、僕がアーティストにオファーするときに伝えているのは、「あなたはこの飛生という場所でなにができますか?普段あなたが出演するようなライブ会場や、アート作品を展示するギャラリーでやっていることをそのままここでやっても、強くはないし、作品の伝えたい意図がマッチングするわけでもない。だからなるべく事前に一度この場所にきて、インスピレーションを感じてもらって、本番に制作や発表の照準を合わせてきてほしい」っていうこと。そのアーティストが出る前後の流れもあるし、そこでどんな表現をしたいのかを考えてほしい、という宿題を出しているようなもので…まあしかし、生意気なイベントですよね(笑)。

     

    photo : Noriaki Kanai

     

    — アーティスト側は、そのオファーにどう反応されますか?

    木野 アーティストは、イベント側からそんな風に言われたことがないから「なんかすごいこと言いますね!」って、いい意味で言ってくれます(笑)。「表現者としてやっていくうえでの価値にプラスになるような気がしてすごく楽しみだ」と。

    主催者側と、プロデューサーやディレクションで関わる人たちと、スタッフ達、そしてアーティストが全て同じ方向を向いたら、すごく強いものができると思いませんか?たとえば映画だと、最後エンドロールでずーっと名前が出るでしょう。ロケバスを運転した人やお弁当つめてくれた人の名前まであると聞いたことがあって、その人たちがみんな同じ台本を持っている。芸術祭やTOBIU CAMPは、その台本を何年も何年もかけてつくるんだから、そりゃあすごいものができるよ!っていう、大げさだけどそういう感じですね。

    国松 そういう意味合いもあって、美術、音楽などジャンルにかかわらず、キャストっていう呼び方に統一してみんな並列にしているんです。美術作品は、大道具じゃないけど、ひとつの舞台の要素をつくっているっていう感じがありますね。お客さんも、その舞台を構成するキャストのひとりです。

    木野 キャストには地元色も出していきたいと思っていて。たとえば今回ゲストで呼んでいる「GIANT SWING(*8)」はタイで5年以上続いている、世界中の人や音楽好きが集まるバンコクの中でも選りすぐりの素晴らしいパーティーで、それをつくっているのが北海道人であり、そのうちの1人が室蘭出身なんです。

    そして、地元という意味では、白老にはアイヌ民族の存在がある。今やポロトコタン(アイヌ民族博物館)とのつながりができ、館長をはじめとして僕たちにいろいろ協力してくれたり、そこで働くアイヌの若者たちがTOBIU CAMPに参加してくれるようになったことは、ありがたいことだなあと思っています。

     

    photo : Hideki Akita

     

    — その中でも、マレウレウ(*9)による「ウポポ大合唱」は5年間続いていますね。これはどんな風景になるんでしょう?

    木野 ウポポとはアイヌの伝承歌で、多くは輪唱です。リムセっていうのが踊り。このときはほかのステージを全部止めて、みんなで火の周りに集まります。大きな焚き火を囲んでみんなで円になって歌うんだけど、輪唱だから終わらないし、人間の声のエネルギー、倍音も発生する。全員でつくる儀式のようなもので、TOBIU CAMPの中でも象徴的な時間ですね。そこでアイヌの若者たちが踊るんです。

    とくにアイヌ民族だからということではなく、大きな表現の時間軸の中で、同じ町に住んでいる先住民族の活動や表現が見られる時間があったらいいと思っているんです。こっちは演出を、向こうはパフォーマンスと人と時間とを、対等に出しあって良い場面をつくろうという想いがだんだん混ざり合ってきたという感じ。これってすごく大きなポイントだと思いますね。

    国松 TOBIU CAMPでは土に足をつけて、本当に大きな火を囲んで踊るから、昔はこうだったんだろうなという踊りの雰囲気が再現できていると感じます。

    木野 自分たちでやれることしかやらないとは言いつつ、もっともっと演出を作り込んでいきたい。去年から舞台の照明作家さんが関わってくれて、「暗闇をつくるために灯りをともす」っていう素晴らしいプロの仕事を見せてくれて、これこそ本当の物語だ!って思いました。大きな理想ですが、お客さんが、エントランスをくぐった瞬間に「あ、これは何かやばいな」って思ってくれるような仕掛けをつくっていきたいですね。

     

    — TOBIU CAMP初心者の人のために、当日持ってきたら良いもの、また、メッセージをお願いします。

    木野 テント、雨具、秋のキャンプだから防寒具、温泉セット、虫除けスプレー、懐中電灯、長靴、このあたりは必須。駐車場からちょっと距離があるから、荷物が多い人は、折りたたみ式のキャリーカートがおすすめ。小さいお子さんがいたり、どうしてもキャンプはできないって人は、近くに安い民宿や温泉宿もあるから、それを使ってもいいですしね。

    国松 去年は小さな子ども連れの家族の参加がとても多かったですね。キャンプサイトにはファミリースペースがあるし、全部屋外ではなく校舎や体育館もあるので、キャンプのつもりで気軽に遊びにきてほしいなと。ちなみに、高校生以下は入場無料です。それと、TOBIU CAMP当日、実は人気なのがワークショップ。見たり聞いたりだけでなく、自分で手を動かすっていうのが楽しいんです。

    木野 TOBIU CAMPは森で過ごす一夜を自分のペースで楽しめるのがポイント。アーティスト目当てというよりは、森をふらっと歩いたら誰かが演奏していた、それが誰なのか知らない…っていうのも、きっと面白いですよ。

     

    photo : minaco.

     

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    【開催概要】

    飛生芸術祭 2015「僕らは同じ夢をみる−」
    会期:2015年9月6日(日)〜13日(日)
      *12日(土)〜13日(日)「TOBIU CAMP 2015」開催(入場料がかかります)
    会場:飛生アートコミュニティー
       北海道白老郡白老町竹浦520(旧飛生小学校)

    TOBIU CAMP 2015 (トビウキャンプ2015)
    日時:2015年9月12日(土)~13日(日) オールナイト(キャンプイン)
       12日 開場12:00 開演13:00/13日 閉場14:00 雨天決行
    会場:飛生アートコミュニティー校舎と周囲の森
       北海道白老郡白老町竹浦520 (旧飛生小学校)
    入場:チケット発売中
    ◎前売 3,500円 予定枚数に達し次第販売終了
    ◎ウェブ前売予約 4,000円 [ウェブサイトにて要予約 ]
    ◎しらおい割前売券 3,000円[白老町内取扱店のみ:限定枚数]
    ◎当日 4,500円
    ◎大学生 2,500円 [メール予約の上、当日学生証掲示]
    ◎高校生以下 無料[保護者同伴のもと]
    駐車場:無料(会場まで徒歩約7分)

     

    *7 おたのしみ劇場ガウチョス:札幌を拠点に活動する人形劇団。マリオネットを使った人形劇は子どもから大人まで楽しめるユニークさがあり、北海道各地で上演している。

    *8 GIANT SWING:タイ・バンコクにて5年以上、北海道出身の日本人DJによってオーガナイズされてきたパーティー。mAsa niwayamaとNKchanのDJがTOBIUCAMP2015に登場。

    *9 マレウレウ:アイヌに昔から伝わる伝承歌を歌う4人組。様々なリズムのパターンで構成される『ukouk』というアイヌの輪唱は、聴く者を天然トランスな世界に誘い込む。

     

     

    インタビュー 山本曜子、小島歌織
    写真 飛生芸術祭実行委員会、小島歌織

  • 若手演出家コンクール2014 最優秀賞受賞 弦巻楽団 代表 弦巻啓太さんに聞く

    劇団代表、演出家、俳優、演劇講師、札幌座ディレクター…様々な肩書きを持ちながら札幌で演劇活動を続けている、「弦巻楽団」代表の弦巻啓太さん。彼は昨年、全国の演出家を対象に日本演出者協会が毎年開催する「若手演出家コンクール2014」で、見事、最優秀賞を受賞しました。受賞作品『四月になれば彼は彼女は』は、7月に札幌でも公演が行われます。

    精力的に活動を行なう多忙な合間をぬって、弦巻さんご自身のこれまでの活動や今回の受賞について、お話を伺いました。

     

    ―弦巻さんが演劇を始めたきっかけはなんですか?

    中学校の時、学芸会で僕が『十五少年漂流記』を脚本化することになったんですよ。書いたら今度は先生に「お前が脚本にしたんだから演出もしなさい」と言われてやってみたら、「なんて楽しいものがこの世にあるんだ!」と電流に打たれたように感激して(笑)高校に入ったら本格的に演劇をやろうと思いましたね。その頃ちょうど姉が東京の第三舞台(*1)にハマりだして、それで小劇場演劇(*2)というものがあることを知りました。

    それで当時からすごく人気があった脚本家の野田秀樹さんや鴻上尚史さんの本を図書館に読みに行きました。だから高校時代にオリジナルで書いたものは、彼らの影響を凄く受けていましたね。

     

    ―その後大学に進学しても演劇は続けていたのですか?

    高校の時に、約40校から演劇部員100人以上が集まって、年に一本作品をつくる合同公演というのをやっていたんです。そこで知り合った人たちと高校を卒業してから「ヒステリック・エンド」という劇団を立ち上げました。メンバーは札幌だけでなくあちこちにいたので、決まった活動方針もないままのスタートでした。

    その頃は“テーマを選ぶ時、生きて行く上で感じてしまう矛盾や生きづらさなど、ちゃんと自分の血の通っているものを選ぶ”という鴻上尚史さんからの影響が大きかったですね。

    でも、それを形にしていく中で、鴻上さんの影響どおりにものづくりに取り組んでいても、彼のような作品になりきらない、ということが増えてきたんです。自分にとって必然なことをテーマに物語を描こうとしたら、もうちょっと違うジャンル、違う作風になっていくのが自分だとだんだん分かってきました。

    鴻上さんは「舞台上の演劇は、物語として完成させたくない」と仰ってるんですけど、僕はむしろ物語として完成したウェルメイド(*3)なものであってもいいんじゃないかと思うように徐々になって。そうであってもテレビなどに置き換えられない何かを舞台上に残すことができるんじゃないか、と思うようになったんです。

    僕の書いたウェルメイドな作品として『朝顔の部屋』という作品があるんですが、起承転結があるきっちりした物語で、伏線が最後は畳み掛けるように完結する、みたいな感じなんですね。でもそういった作品を作った後に自己嫌悪に陥ったんです。泣いて欲しいと思って書いて「ここで泣いてくれ、俺も泣きたいんだ!」と上演すると、その通り反応してくれるお客さんがいる。嬉しい反面、それが人の心を弄んでるような罪の意識に苛まれて。僕はやっちゃいけないことをやったんじゃないか?と。

    なので逆にあらすじは考えない、自分がこうしたいという狙いを一切持たないで、ぼんやりした想いだけで書いた作品が『ココロを消して』という作品です。台本を読んだ役者から「これはどういうことなの?」と聞かれても、僕は「いや、わかんないから書いてんだよ」っていう返答しかできないから、自分でもすごく苦しくて。あれは役者側も苦しかったでしょうね。でも、出来が悪かったとは思わないです。反省はあっても後悔はないというか、そういう風にしたことでやっと到達できたなという部分もあったんです。でも、もうこういうやり方はしないぞって思ったけど(笑)

    そういう色々な試行錯誤を経て、それ以降は割とウェルメイドで行こうと決めました。

     

    —その後、「弦巻楽団」になっていくわけですね。

    はい。「あ、『ヒステリック・エンド』でできることは終わったな」と思ったんです。それは別に悪いことじゃなく「俺、野球選手になるつもりでいたけど、よく考えたらソフトボールだったよ、だから俺はソフトボールをやるよ」という感じで。それで、ヒステリックエンドを辞めました。

    その後札幌で自分がやりたいことをやる時に、どのくらいのペースで、どのくらいのことをやっていくべきなのか、サイズみたいなものを考えて2006年に「弦巻楽団」を始めました。最初は「気が向いた時にやる」くらいのつもりで始めたんですが、その年の札幌劇場祭(TGR)で上演した作品が大きな賞をいただき、色んな所から「上演して欲しい」という話が来て。僕は高校生の頃から「演劇なんてやめてしまえ!」と家族や部長、高校の演劇部の顧問、周りの部員に言われ続けていたので、「公演してください」と言われると嬉しくて、全部引き受けちゃって、ひっきりなしに公演することになったんですよ。

    弦巻楽団を本格的に始めるまでの間、児童劇団の講師をやっていたんですが、そうするとまわりが「教えることができる人」と見てくれるようになって、講師のような仕事も増えました。そうこうしているうちに北海道演劇財団付属の札幌座ディレクターにもなったりと、現在も様々な形で演劇を続けています。

    -弦巻楽団『ナイトスイミング』より

     

    —長く続けることになった演劇の魅力とはどのようなところだと思いますか。

    僕はウェルメイドな作品を若い時から嗜好しているんですが、それって一見するとテレビドラマや映画でも出来そうな作品なんです。なので「これだったらテレビでいいじゃん」「これだったら演劇でやる意味ないじゃん」と昔からよく言われていたんですけど、僕はそれが全然理解できなかったんです。目の前に人間がいること自体、もう演劇としての価値が充分あると思っているので、仮にテレビドラマの脚本をそのまま目の前でやられても、僕にとってそれは演劇であってテレビドラマではないんです。

    テレビドラマは録画されて固定化されたものですが、劇場で起きたことは、多分その時一回だけのものなんです。同じように誰かが喧嘩したり誰かを殺したりしても、その時「何か起きた」ことはその時一回限りに生まれたものであるはずだし、あるべきだと思うし、それをできることが役者の仕事だと思っているんです。そして、その一回限りを目撃してしまうという生々しさが、演劇の魅力だと思うんですよね。

    人生の中で1度だけ起こる悲喜劇を前のめりな感じで目撃できる。それを通して「自分の人生にこれが起きたら?」「人間はこういう時どうするべきなんだろう?」と考えたり面白がったりできる。僕にとって演劇の魅力って言うのは多分そこにあるんです。

    僕から見ると、映画とかドラマは監督のものなんです。演劇はもうちょっとフラットというか、観客も一緒になってそれを目撃して、ある意味共犯関係を築いて、その問題に対して体験する。そういうところが演劇や劇場のいいところだと思っています。

    逆に言うと、どんなに演劇でしかやれないことをやっていても、舞台上にいる人間同士が今この一瞬初めて芽生えたものが見えなかったら、テレビや映画と一緒だってことになるんだな、と。僕にとってのラインはそこだと思います。

    -弦巻楽団『死にたいヤツら』より

     

    —長いキャリアの中で今回、若手演出家コンクールに応募したのはなぜですか?

    今までは、「演出家コンクールだから、演出に比重を置いた作品を送らないとダメなんだろうな」と思っていたんです。僕の作品の魅力になっている要素は脚本が7割くらいだと思っているんです。そもそも演出というものをあんまりしたくないという気持ちがあって「音と光でこういう風にしたらこんな気持ちになる」とかお客さんを誘導できるのはなんとなくわかっているけれど、「それってやっていいの?」という罪悪感がどうしても拭えなくて、あんまり演出に凝った仕掛けをしないんですよね。

    今回応募したのは、今年の8月に再演する『ブレーメンの自由』という作品で、ドイツのファスビンダーという劇作家の作品を僕が演出したんですが、演出だけにすごく力を注ぎ込んだ舞台だったので、「これは送ってもいいんじゃないかな?」と思ったのがきっかけでした。

    一次くらいは通るかなと思ってたんですが、二次も通り、三次審査は東京で行われました。三次審査に出品した作品は『四月になれば彼女は彼は』という作品で、今度7月2日に札幌シアターZOOで上演します。この作品は「岸田國士(*4)の『紙風船』を稽古している2人」という内容で、ありがたいことに最優秀賞をいただきました。

     

    —なぜ題材に「紙風船」を選んだのですか?

    そもそも優秀賞を取れると思っていなかったので、三次審査出品にあたって、何の準備もしていなかったんですよね(笑)時間も予算もあまりないのでシンプルなことをやろうというのと、脚本は書けないなって思ったのも理由です。「演出家コンクール」だから演出を見せなきゃいけないと思った訳です。何をやるべきなんだろう?自分にとって演出家コンクールの決勝でやる必然のあることってなんだろう?自分の演出の根幹をちゃんと見せないとダメだよな、とか小難しく考え始めちゃって。むしろ「みんなこの課題台本を演出しなさい」と言われた方が楽だった気がします。

    稽古を始めても何やっていいか全然わからなくて。男女1人ずつが出ることは決めていて、そこからどうしよう?って時に、とりあえずいろんな2人芝居の台本を読んでもらったんです。岸田國士の作品だと『葉桜』とか『ブランコ』なども読んでもらいました。

    『紙風船』も、最初は「やっぱり違うかなあ」と思ったんだけれど、何かの拍子に、ふと『紙風船』の夫だけの台詞を役者に言ってもらって、妻の台詞は全くなくしてみたんです。奥さんの代わりに人形をひとつ置いて、それを奥さんと見なして。そこで「これだ!これならやってもいい!」と思えたんです。そこから『紙風船』を稽古している2人という設定で3回くらい通し稽古をやっていく中で、少しずつ変え、結果として50分くらいの作品になりました。最後以外は音もなく、光の変化はあるけれど、それも「えっ?」みたいな使い方だし、全体的に削ぎ落とす作業の連続で、自分にとって今必然と思えることだけを詰め込みました。「とにかく完成させるために」を目標にしないようにしていたので、役者の2人は相当苦しかったと思います。

    -弦巻楽団『四月になれば彼女は彼は』より

     

    —弦巻さんの中では、自身の演出という部分に関するものが凝縮された作品ということでしょうか。

    そうですね。他の人はどうかわからないけれど、自分にとって「演出」というものは「生の人間がそこにいて何かが起きるかもしれない」という瞬間を作るか作らないか、が一番大事な部分なので、そこへ向けてすごく削ぎ落としたという感じですね。

    正直、(最終審査では)みんなそんな風に冒険した作品を持ってくると思っていたんです。でも僕ら以外の方々は、作品としてすごく完成されていたんですよね。「自分たちは今こういうことをやっています」という演出論が全部きれいにパッケージされているような作品でした。どの作品もすごくレベルが高くて、「この人たちが(賞を)取るな」って思いましたね。

    僕らだけ全く別なことをやっていたんで、「あれ?ソフトボールのまま甲子園に来ちゃったかな?」って感じでしたね(笑)そしたら「この作品が受賞するだろうな」と思っていた人と決勝で残りまして、結果、運良く最優秀賞を頂けました。僕が他の三名と同じような戦い方をしていたら、勝てなかったかもしれません。

    『四月になれば彼女は彼は』はそういった作品なので、普段の弦巻楽団みたいに「客席に座っていれば、何もかも全部送り届けてくれるエンターテイメント」ではないですね。でも、これまでのすべての作品を繋ぐ、芯のような作品です。

    僕の母親がたまたま東京で観てくれたんですけれど、「なんかよくわかんなかったわ」って言っていました(笑)7月観に来てくださる方は、そのあたり踏まえて見てもらえるといいかもしれませんね(笑)

    *1 第三舞台 : 1980年代の小劇場ブームを牽引した劇団のひとつ。早稲田大学演劇研究会メンバーにより1981年結成。主宰は鴻上尚史(劇作家・演出家)。筧利夫、勝村政信らを輩出。

    *2 小劇場演劇 : 本来は「小さな劇場で公演される演劇、またはそこで活動している劇団」を示していた。現在は、有名人をキャスティングした大衆演劇(商業演劇)の対義語として使われる場合が多い。

    *3 ウェルメイド : 演劇ジャンルに於いては、新劇、アングラ劇などと比べ、展開が巧みで物語性がしっかりしている作品を指す。

    *4 岸田國士 : 日本を代表する演劇人のひとり。劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。パリでフランス演劇史を研究し、1930年代には明治大学に演劇・映画科を新設するなど、日本の近代演劇史に大きな影響を与えた。その業績を顕彰し、没後、岸田國士戯曲賞が創設された。女優・岸田今日子の父。

     

    弦巻啓太 / Keita Tsurumaki

    弦巻楽団代表。脚本家/演出家。札幌座ディレクター。扇谷記念スタジオシアターZOOディレクター。クラーク記念国際高等学校クリエイティブコース講師。

    札幌生まれ札幌育ち。19歳の時に高校演劇で知りあった仲間と「ヒステリック・エンド」を設立。2003年まで在籍しほとんどの公演で作・演出を務める。2006年より弦巻楽団として継続的な活動を開始。全ての公演で脚本・演出を務める。

    2006年『死にたいヤツら』で札幌劇場祭大賞、2010年『音楽になってくれないか』で札幌劇場祭脚本賞、2014年『ナイトスイミング』で札幌劇場祭オーディエンス賞を観客投票最多で受賞。2015年『四月になれば彼女は彼は』で日本演出家協会主催「若手演出家コンクール」にて最優秀賞受賞。

    劇団では初心者から参加できる『演技講座』『戯曲講座』も開催。他に年間80回を越すワークショップを道内各地で行っている。

    ーーーーーーーーーーーーーー

    《公演情報》「若手演出家コンクール2014」最優秀賞受賞記念

    弦巻楽団『四月になれば彼女は彼は』

    【作・演出】 弦巻啓太
    【出演】 深浦佑太 深津尚未

    【日時】2015年7月2日(木)15:00  /  20:00
       ※どちらの回も、弦巻による受賞報告を兼ねたアフタートークあり
       ※開場は開演の30分前です。

    【会場】シアターZOO
        (札幌市中央区南11条西1丁目ファミール中島公園1F TEL.011-551-0909)

    【料金】前売2,000円 当日2,500円 

    【チケット予約・問い合わせ】弦巻楽団 090-2872-9209
                          tsurumakigakudan@yahoo.co.jp

     

    インタビュー カジタシノブ 

    編集 阿部雅子、カジタシノブ  

    写真 弦巻楽団、山本曜子

  • NEVER MIND THE BOOKS 2015 開催決定! - つくるを楽しむ「ZINE」のススメ


    2011年、札幌のデザイナー菊地和広さんが衝動的に個人で主催したZINE(インディペンデント、自費出版の小冊子)販売イベント、「NEVER MIND THE BOOKS」。その後、回を重ねながら札幌の恒例ZINEイベントとして定着しつつあり、2014年は道外のZINEイベント団体との交流を行い、その活動の幅も広がっています。
    今年も7月20日海の日に、4回目の開催が決定。主催者であり、つくり手でもある菊地さんに、ZINEのおもしろさやイベントについて伺いました。

    —札幌でZINEのイベントを始めたきっかけを教えて下さい。

    もともと、紙媒体での表現が好きだった僕は、フリーペーパーみたいな紙もの作品をいろいろつくっていたんです。それをゲリラ的に配ったり売ったりしていたんですが、2009年から東京で行なわれているZINEの一大イベント、「THE TOKYO ART BOOK FAIR」(*1)に作り手として参加したことが、「NEVER MIND THE BOOKS」のそもそものきっかけになりました。自分のつくったZINEを直接お客さんに販売するという体験が新鮮で、すごく楽しかったんです。

    なかでも面白いエピソードがあって。「THE TOKYO ART BOOK FAIR」は数日間開催され、販売会場では数多くのブースが設けられてたくさんの出店者が並びます。僕は初日から行って、それなりに頑張ってつくったものを持ち込んで売るじゃないですか?でもそうそう売れないわけですよ。あるときふと自分の隣のブースを見たら、その場でZINEをつくっている人がいたんです。間に合わなかったのかなんなのかわからないけど(笑)、手を動かしながら、売りながら、ということをやっていたのが印象的でした。
    翌日2日目の朝に、たまたま「なでしこジャパン」が優勝したというので街が沸いて、号外が出ていた。その号外を一応もらって、かばんにしまって会場に向かいました。そして会場でまた周りがZINEをつくっているのを見て、「俺もやりたいな」って思った。そこで、もらった号外を折って、はさみで切って、めちゃめちゃにいたずら描きしてホチキスで留めて売ってみたんです。即興で。そしたら売れたんだよね〜!(笑)むしろ自分でつくってきたものよりも反応が良くて「うわー、これって成立しちゃうの?」と。もうめちゃくちゃだよね(笑)。


    —世界にひとつのアートブックという扱いになったんでしょうね。

    そう。そういう感覚は今までなかったから、これが成り立つとわかって、すごく面白くなってきたんです。そして、こういったZINEイベントを自分でやりたいなと。札幌でも「THE TOKYO ART BOOK FAIR」に参加する人が増えてきたし、ある瞬間に「もしかして、自分でもできるんじゃないか」っていう衝動が生まれてきた。
    そのベースには、色んな展示やイベントに参加したり観たりするうちに抱いていた「札幌は観る側としてでなくプレイヤーとしてなにか作りたいと思っている人が意外と多いのではないだろうか?」という感覚があって。もしそうなら、ZINEイベントは札幌にぴったりかもしれないと思ったんですよね。

    —その衝動とイメージから、初めてのZINEのイベント「NEVER MIND THE BOOKS」を開催するわけですね。

    やろう!と突発的に思い立って、決めてから開催まで2週間という短期間で、準備から人を集めることから基本一人でやりました。我ながらよくできたなと。とはいえ、知り合いもいないし、参加者をどうやって募集したのかも覚えていないです(笑)。ATTIC(*3)で開催した初回は、出店がZINEでなくても良くて、つくっているものを販売するというイベントでした。最初は、出店の応募が5組くらいしか来なかったらどうしよう?と不安もあったものの、急な募集にも関わらず15組ほどが参加してくれたんです。お客さんの入りも良くて、盛況に終わりました。
    今でもそうだけど、周りがすごいというか偉いというか、参加から手伝いから、いろいろとやってくれるんですよ。この土壌に感謝しなければといつも思ってます。

    —初回の手応えを感じて、その後もZINEイベントを継続しようと?

    とりあえず一人でやってみて、良かったなぁとのほほんとしていたら、思いがけず好評で「またやらないの?」という声が多かったので、次のイベントの構想をあたためていた。その頃、ZINEのつくり手でもあるデザイナーの3人と「一緒にイベントをやりたいね」と話していたんです。
    その構想を、札幌の大人気マーケットの「LOPPIS」(*2)さんの運営チームに話したら、「NEVER MIND THE BOOKS」をもう少し大きくちゃんとした形でイベントにして、一緒にやりませんか?と誘ってもらえたんです。デザイナーの3人を実行委員として迎え、ひとまわり大きなイベントとして2013年、「LOPPIS」さんとともに二回目の「NEVER MIND THE BOOKS」を開催しました。

    -NEVER MIND THE BOOKS 2013の会場風景

    —「LOPPIS」さんと同時開催してみて、反響はいかがでしたか?

    「LOPPIS」さんそのものにお客さんがたくさん来てくれて、大盛況でした。そこからの流れで「NEVER MIND THE BOOKS」も賑わっているように見えたし、僕自身も「僕らのイベント、すごく盛り上がってるな!」と満足していました(笑)。
    出店者は前回の倍に増えて、30組を越えました。イメージはあったものの、正直、札幌に、こんなにつくり手がいるんだ!と思うくらい。この回から、実行委員によるチョイスの委託ブースも設けています。

    —出店者の方たちがとても個性豊かで、お客さんも自分のお気に入りを見つける楽しみがありますね。

    うちのイベントは紙もの作品さえ出していれば、小物や雑貨、パブリック的な商品も販売OKなので、これにめがけて、小さい冊子をつくってくるお店、個人も多い。参加者の幅が広いんです。層としては個人からお店、ギャラリーなども出してくれているし、ジャンルとしてはアート、デザイン、写真、音楽、漫画…とさまざま。年齢は、高校生以上であれば参加OK。プロのデザイナーの方が参加してくれているのもいい。お客さんにとっては見応えがあるし、参加者同士ではつくる刺激になる場。札幌だけではなく、道内、道外からの出店者もいます。
    今年も5月末まで出店者を募集しているので、ぜひふるってご応募ください。

    —2014年は「NEVER MIND THE BOOKS」単体で、テレビ塔での開催でしたね。

    「年に一回開催」というスタンスを意識しているわけではないものの、なんとなく「去年はこうやったから、今年はどうしよう」「あれをやってみたい」って気持ちが出てくるんじゃないかな。イベントって、一回きりとか、すぐ終わったとかいうのはちょっとしゃくだし、続けてこそだと思っていて。「LOPPIS」さんとの回が終わった時点で、次は純粋に自分たちだけで場所を借りてやろうと思ってたので、ずっと狙っていたテレビ塔での開催を決めました。
    僕は個人的にテレビ塔がすごく好きで。昔から普遍的にあるけれど、あまり行く機会がない…そんなごく普通のところで、展示でもイベントでもいい、何か文化的なことをやりたかった。「NEVER MIND THE BOOKS」をやり始めたので、ちょうどいい、ここでやろうと。

    イベントを開催するにあたっては、この場所でこんなことをしたいというような、着眼点が大事だと思っています。それがイベントの顔になったり、自分のカラーになる。僕はそういうアイディアを普段から、しめしめとね、ストックしてるんです(笑)。しかもテレビ塔って電波にかかわってるし、いいぞ、ここから札幌に電波を発信するつもりでやろう、と。適当な感じですけど(笑)。

    -「10zine」をゲストに迎えて、福岡のZINEを販売

    —2014年の開催を振り返ってみていかがでしたか?

    前年「LOPPIS」さんと同時開催したことが妙な自信になって、僕個人は、これはいける!と思ってました。他の実行委員は不安だったらしいけど(笑)、フタを開けてみたら、なんと50組も出店してくれて、さらに規模が大きくなりました。しかも、毎回そうですが、面白いなあと思うものをつくっている方がたくさんいる。
    前回は、ご縁ができた道外のZINEイベントと交流を持てたこと、それぞれのイベントに参加しあえたことも大きな収穫でしたね。福岡でイベントを行っている「10zine」さん、浜松でワークショップを行っていた「ZING」さんをゲストとしてお呼びしたり。僕らも視察をかねて行ってきたんですが、すごくよかったんですよね。それぞれ地方色を活かした、とてもクオリティの高いイベントでした。参加者さんたちの、自分の考えているものを紙に定着させる力がすごくて、つくり手としてもたくさん刺激を受けた。地方でやっている人たちの存在が、札幌でまだまだ出来ることがあるんだという自信に繋がりましたね。

    —つくり手でもある菊地さんにとって、ZINEの魅力とは?

    やっぱり、最初に話した、いたずら描きしたものが普通に売れてしまうって言うことに集約されていると思う。感性だけで勝負できる。だって普通に生活していたら、そんな状況ってなかなかないでしょ?そういう感覚を味わえることですね。
    それと、ZINEは手書きでも、印刷でも、コピーでもつくれる。いろんな手法が使えて、表現の振り幅がある。一枚の紙をポンと与えられた時に、自分が何をつくれるだろう?と考えるのも楽しいです。
    ZINEをつくったことがない、またはやってみたいけどなかなか…という人も、手を動かしてつくってみるとわかることがあるので、是非やってみて欲しいですね。なんだったらもう何も考えないで、その場でつくってもいいわけだし、そういう方もいますね。たぶんね、あれは間に合わなかったんだと思う(笑)。

    うちのイベントは対面販売だから、ダイレクトにお客さんから反応をもらえるのもいいんです。手売りって、結構ビビるででしょ。最初はお客さんとうまく話せないとか、どうしたらいいの?っていう体験も、後から、こういうとき自分だったらこうするんだなって客観的に思い返して楽しかったり、刺激になったりする。
    お客さんとしてイベントを楽しんでもらうのはもちろん歓迎。ただそれ以上に、つくり手として参加して、手売りをするということがすごく楽しいので、絶対にオススメですね。売り手さんには、自分のブースをあけっぱなしでよそに行っちゃってる人もいる。なんでもいいわけですよ、もはや。それが面白いっていうのもある。イベントを開催する時期はテレビ塔の下でジンギスカンをやってるからそれめがけて来てもらってもいいし。もはやZINEと関係なくなってますね(笑)。

    -浜松からのゲスト「ZING」が行ったワークショップ

    —つくることと売ること、どちらも楽しめる場でもあるわけですね。

    そうです。かといって、「自分で、手でつくることが大事!」という意識もあまりない。僕がつくっていて気持ちのいいものって感じかな、とくにメッセージ性はないんです。ただ、ZINEっていうものが文化の中にあるなら、その面白さを伝達したいなという感覚でやってます。僕も、一応代表だけど、肩の力を抜いて楽しんでいます。
    ちなみに去年はZINEづくりのワークショップを開催したんですけど、参加してくれた小学生の男の子の作品に嫉妬した(笑)。もう自由に衝動的につくっているんだけど、発想がすごくって、天才だ!って思いましたね。

    —印象的なイベントタイトルは、初回に菊地さんが命名されたものですか?

    はい、ピストルズのアルバムタイトルですね。ダジャレ。反骨精神とか全くない。行き当たりばったりな命名をしてしまって、ちょっと長かったかなと後悔していますが、これにしてよかったと思うのは、自分達のカラーが出ているところですね。ぱっと見、ZINEのイベントなのかどうかわからないのもいい(笑)。僕は個人的に、このイベントがマルシェまで進化していってもいいと思っているんですよね。いかようにも変化していけるなと。

    —7月20日、海の日の開催。4回目となる今回も、テレビ塔での開催です。

    もう三年、だけどまだ三年。常日頃考えているアイディアをこれからどう形にしていくかがテーマだなと。今年も海の日一日限りで、テレビ塔の2階に、幅広くいろんなZINEが集結します。ジャンルを問わない、紙っていうものを通しての発表の場ですね。自分も参加者として楽しみです。
    19時半までやっているので、おでかけのついでにでも立ち寄ってみてもらえたら。ちなみに、テレビ塔の2階はかなり高いところなので、階段ではなくエレベーターに乗ってきて下さいね。

    NEVER MIND THE BOOKS 2015
    日 時:2015年7月20日(月・祝)11:00 – 19:30
    会 場:さっぽろテレビ塔2F しらかば・あかしあ・はまなす(札幌市中央区大通西1丁目)
    入場料:無料

    出展参加者募集中【2015年5月29日(金)まで】

     

    *1 THE TOKYO ART BOOK FAIR
    2009年から毎年定期的に東京で開催されている、現在アジアで最大規模のアートブックに特化したブックフェア。日本で本にまつわる活動を行う UTRECHT とロンドンのクリエイティブチーム PAPERBACK によるZINE’S MATEが主催。国内外のアートブックやZINEの発行者が直接プレゼンテーションする機会を目的に開催。2014年には出展者数350組、来場者数1万人を超える大きなフェアに成長。アーティストや出版社が一同に集結し、進化を続けるアーティストブックの世界観を体感することができる場となっている。

    *2 LOPPIS
    札幌を中心にした北海道各地のインテリア、雑貨ショップ、カフェ、ベーカリー、手工芸作家が集う、豊かなライフスタイルを提案する週末マーケット。2010年のスタート以来人気を博し、札幌のみならず道内各地で出張マーケットも行っている。2015年は札幌盤渓スキー場で6月5日(金)〜7日(日)開催。

    *3 ATTIC
    札幌の狸小路裏のビルにあったフリースペース。展覧会、ライブ、上映会など、サブカルチャーを中心に多種多様なイベントを開催していた。2013年12月に惜しまれつつ閉館。


    菊地 和広/Kazuhiro KIKUCHI
    1974年生まれ、札幌在住。
    2010年より“バックヤード”の屋号でアートディレクションとデザインを手掛けつつ、
    自主制作のZINEやグラフィックポスター、オリジナルプロダクトなどの制作活動もおこなう。
    NEVER MIND THE BOOKS代表。

    インタビュー:山本曜子
    撮影:minaco.(footic)、NEVER MIND THE BOOKS事務局、山本曜子
    撮影協力店:寿珈琲