ごまのはえさんインタビュー

第9回北海道戯曲賞で大賞を受賞した、ごまのはえさんによる『チェーホフも鳥の名前』。激動とも言える近代樺太の100年とそこに行き交う人々を描いた今作が、いよいよ2024年8月に札幌と大空町で、ごまのはえさんが代表を務め京都を拠点に活動するニットキャップシアターによって上演されます。

公演に先立ってごまのはえさんと演劇、劇団との関わり、今回上演する『チェーホフも鳥の名前』についてお話を伺いました。

 

ごまのはえ
1977年生まれ、大阪府枚方市出身。劇作家・演出家・俳優。 1999年、ニットキャップシアターを旗あげ。京都を拠点に日本各地で活動を続けている。 2004年に『愛のテール』で第11回OMS戯曲賞大賞を、2005年に『ヒラカタ・ノート』で第12回OMS戯曲賞特別賞を連続受賞。 2007年に京都府立文化芸術会館の『競作・チェーホフ』で最優秀演出家賞を受賞、2022年には『チェーホフも鳥の名前』が第9回北海道戯曲賞大賞を受賞するなど、劇作家、演出家として注目を集めている。

ニットキャップシアター
https://knitcap.jp/

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2022年『チェーホフも鳥の名前。』アイホール(伊丹)公演の様子 撮影:井上大志

ー演劇との出会いについて教えてください

 高校生の頃はスポーツをしていたんです。でも高校1年から2年の時に足を骨折してしまって。大学に入ってもスポーツを続けるかなあ?という想いで過ごしていました。大学に入った年に阪神大震災があって、僕の入った関西の大学もなんだかぐちゃぐちゃな状態でしたね。

 そんなある日、大学校内を歩いていたら発声練習をしているのが聞こえてきて。その発声練習をしていた劇団に新入生歓迎公演のようなものに誘われて、観に行ったら面白かったのでその学生劇団に入ったんです。

 入った当初は俳優と音響をしていました。初めて出た舞台は野田秀樹さん脚本の作品で、自分は「松の木」の役だったんですよ。松の木だったんですが台詞もあって。音楽と照明が入ってる状態で舞台に上がるとなんだか爽快感があって、不思議な感じがしたのを覚えています。

 

ー「ごまのはえ」という名前もその時に?

 その学生劇団では必ず芸名をつける風習がありました。なんかしょうもない話なんですけど、その劇団では代々伝統的に和菓子の名前をつけていたんです、安倍川餅とか桜餅とか。先輩に気に入られた人は和菓子の名前をつけられて和菓子グループみたいなのに入っていくんですが、僕はあまり気に入られなくて(笑) なので、自分で芸名をつけました。

撮影:井上大志

ー「ニットキャップシアター」は大学の卒業と同時に立ち上げたのですか

 劇団を立ち上げるとなると大事のように聞こえますが、ニットキャップシアターはその学生劇団のメンバーで始めましたね。自分が卒業した頃は年功序列がなくなったり一生同じ会社に勤めるということもなくなっていく、みたいに世の中の働き方が変わっていくんだなと感じる時代で。私達よりも上の世代が演劇をやり続けるとなったら、一生結婚できないとか親の死に目にも会えないとか、それぐらいの覚悟で始めていたかもしれませんが、僕たちはそれほどの覚悟もなく「いつか食べれるようになれたらいいね」くらいの淡い期待で始めました。

 

ー立ち上げから25年ほど経ちますが劇団を続けるのは大変でしたか

 最初の頃はまだ先輩方もいて助けてくれていました。そんな先輩もいなくなり、旗揚げを一緒にした人たちもいなくなっていった時はすごく不安になりましたね。でもありがたいことに新しい人達が入ってきてくれて。振り返ってみると長い人で10年くらい一緒にやってもらっています。そういう人が入れ替わりながら、その時その時で作品を創ってきました。

 活動が15年を過ぎたあたりから「ニットキャップシアター」が人格みたいな感じになりだして。「ニットキャップシアターさん」が今何を考えているのか、ぜひゆっくり話を伺いたくて。

 例えば助成金をいただいて主催公演をやるとして、助成金が取れなかったらもう大赤字なんですよね。そんな状態になってでも創りたい作品で頑張っていく劇団なのか、それとも「みんなノーギャラでもいいからやりたい時にやろうよ」みたいな柔らかい劇団になりたいのか、これが私にはわからないんですよ。

 ニットキャップシアターはもう僕だけのものじゃなくてニットキャップシアターという存在なんだから、僕が何かを決めることに自信がないんです。

それで「ニットキャップシアターさん」はどう思っているんだろう、と。現状そんな感じです。この人をなくしてしまうと、この人と一緒に経験してきたことが全部僕ひとりの記憶になってしまう。それはすごい寂しいことだなと。この人がいなくなってしまうと僕が一番困りますね(笑)

 

ー近年の作品では具体的な地名を上げた作品が多いようです。戯曲づくりの上で具体的な場所の存在は重要でしょうか

 元々はあまり場所に縛られずに書いていました。存在しない街・場所であっても人間はそこで生活して、食べたり寝たり着替えたり、朝ご飯を食べて「いってきます」と言って会社に行ったりとかするんです。そういう生活を描くことが戯曲を書くということだと思ってるところがあるんです。

 『ヒラカタ・ノート』*1の舞台である枚方(ひらかた)は僕の生まれ育った場所です。自分自身が生活していたわけですから、自分の知っている生活を描くわけで、なんだかとても書きやすかったんですね。この作品を発表後、ありがたいことに「この街を取材して書いてくれないか」といったお仕事が来まして。その町は飛行場が近い町でジェット機の音が聞こえてきたので、そんなところでの暮らしってどうだろうなと想像したり。

 『チェーホフも鳥の名前』でサハリン島を書くときも、どんなものを食べ、どんな服を着ていたのか、そういうことがわかるとなんかホッとするんです。人と人の間に食事を置いてお互い探り合うとか、ご機嫌を伺い合うような、そういう変化球を投げ合う会話が好きなんですよね。


撮影:井上大志

チェーホフも鳥の名前はどういった経緯で作られたのでしょう

 『チェーホフも鳥の名前』は、ロシアの劇作家アントン・チェーホフの作品から何か1つ選んで作品を創る、という企画で「サハリン島」というルポルタージュを読んだのがきっかけでした。サハリン島には、様々な人が政治や社会状況の中で集まってきて暮らしている場所だった、ということがわかり興味を惹かれたんです。

 これまでの作品は、例えば団地に住んでる人が普通であることに苦しむ、みたいなものを書いてきたんです。ただそれを書いていると、その人やその両親がそこに住むことになった理由は何だろうと考えてしまって。例えば私の父は滋賀から、母は京都から就職などの理由で枚方に住むことになったんですが、それは大きく言えば時代や社会の変化、その時の政治とかが影響しているかもしれなくて。そう考えると日常を描くには、それを産み出している社会状況や政治を見ないといけないなと。『チェーホフも鳥の名前』の舞台であるサハリン島は19世紀末から100年の間に政治状況が何度も変化し、さまざまな背景を持った人たちが集まってきます。なかには政治家の代理みたいになって喋る人もいますが、その言葉が実は政治に振り回されていたりとか、時代の変化に取り残されていたりとか、僕としては何かそういう人たちのことを書きたかったんです。

 

ーサハリン島にほど近い北海道で公演することについて

 2019年に大阪の伊丹で初演をして、2022年には伊丹と東京で再演をしたんですね。初演の時に実際に樺太に住んでいた年配の方々が観に来てくださって。「こういう作品があることが届いていたんだな。」と思いました。東京で上演した時にはサハリン協会の方が来てくださって「いつか作品の舞台であるサハリンにあるチェーホフ(という町)で上演できたらいいね」「北海道はサハリンと交流もあるから北海道公演ができたら何か繋がっていくのでは」と言っていただいて。

 ちょうど北海道戯曲賞の公募が始まった時だったかな。僕、過去作品が応募できると知らなかったんですよ。応募できることがわかったので少し書き直しをして応募しました。大賞をいただいて北海道で公演ができることになったのは本当に念願叶ったりですね。

 当時樺太にいた方はお年でしょうから劇場まで来ていただけるかわからないですけど、樺太に住んでいた方や、もしくはご家族が住んでた方とか、そういう方々に観ていただいて、懐かしがって頂いたり、違う部分があればご指摘していただいたりできたら良いなと思っています。

 

*1『ヒラカタ・ノート』

2004年12月に発表された劇団ニットキャップシアターの代表作。架空の街「ヒラカタ」を舞台に、1990年代を生きる若者達の青春を描いた作品。主人公は平凡で臆病で真面目な男の子。彼の高校時代から二十代後半までの受難の日々を生々しく描いた。またときおり幻想的とも言える場面が差し挟まれ、その独特の劇世界が発表時は高く評価された。[枚方市総合文化芸術センター]https://hirakata-arts.jp/event/detail_349.html

 

『チェーホフも鳥の名前』
札幌公演/大空公演特設サイト
https://knitcap.jp/bird2024/

札幌公演
2024年8月24日[土]25日[日]
札幌市民交流プラザクリエイティブスタジオ(札幌市民交流プラザ3階)

大空公演
2024年8月29日[木]
大空町教育文化会館

ART AleRT podcast
コーディネート/ポッドキャスト制作: 丸田鞠衣絵
インタビュー/ライティング: カジタシノブ
協力: 公益財団法人北海道文化財団

インタビュー: 2024年6月、オンラインにて