REPORT/INTERVIEW

  • Sapporo Culture Knot Weekが11月開催へ向けて募集を開始

    札幌という地域で活動する文化の担い手、そして彼らの活動を鑑賞者とつなぐ場である文化拠点の分野横断的なネットワークを作る試みとして、2005年11月28日から12月7日にかけて『Sapporo Culture Knot Week(サッポロ・カルチャー・ノット・ウィーク)』が開催される。

    同時期に開催されるイベントを連携して広報するとともに、関係者のネットワークを構築、期間後も続く関係づくりを行い拠点間の情報共有やアーティストの協力体制の拡大を目指していく。

    現在、広報物(紙・WEB)やマップに掲載する札幌市内のイベントを募集中だ(9月15日(月)までの登録は紙・WEBに掲載。WEB掲載は12月15日(月)まで応募可能。)また、イベントが開催されていなくとも、普段文化拠点として活動している施設についても応募が可能となっている。掲載は無料だ。

    応募フォーム
    https://forms.gle/X3Wb1mnzMLT7fP948

    Sapporo Culture Knot Weekは「札幌市文化芸術創造活動支援事業(公募型)」の助成を受けて実施される。7月には上記期間に開催されるイベントを募集し、10件を採択。広報物への掲載が決定するとともに活動費として上限10万円を助成。開催へ向けて技術面・人的ネットワーク面でのサポートを行っている。

    この10件に今回の募集を加えることで、来場者の回遊をうながすとともに、さらなる他分野ネットワークの構築を行っていく。普段の活動だけではなかなか届かない観客へのリーチへと繋がる可能性があり、文化拠点においてはそこを利用して発表するアーティストへのPR効果も望めそうだ。

    ART AleRT SAPPOROでは引き続き『Sapporo Culture Knot Week』の取組について発信していきます。

  • ごまのはえさんインタビュー

    第9回北海道戯曲賞で大賞を受賞した、ごまのはえさんによる『チェーホフも鳥の名前』。激動とも言える近代樺太の100年とそこに行き交う人々を描いた今作が、いよいよ2024年8月に札幌と大空町で、ごまのはえさんが代表を務め京都を拠点に活動するニットキャップシアターによって上演されます。

    公演に先立ってごまのはえさんと演劇、劇団との関わり、今回上演する『チェーホフも鳥の名前』についてお話を伺いました。

     

    ごまのはえ
    1977年生まれ、大阪府枚方市出身。劇作家・演出家・俳優。 1999年、ニットキャップシアターを旗あげ。京都を拠点に日本各地で活動を続けている。 2004年に『愛のテール』で第11回OMS戯曲賞大賞を、2005年に『ヒラカタ・ノート』で第12回OMS戯曲賞特別賞を連続受賞。 2007年に京都府立文化芸術会館の『競作・チェーホフ』で最優秀演出家賞を受賞、2022年には『チェーホフも鳥の名前』が第9回北海道戯曲賞大賞を受賞するなど、劇作家、演出家として注目を集めている。

    ニットキャップシアター
    https://knitcap.jp/

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    2022年『チェーホフも鳥の名前。』アイホール(伊丹)公演の様子 撮影:井上大志

    ー演劇との出会いについて教えてください

     高校生の頃はスポーツをしていたんです。でも高校1年から2年の時に足を骨折してしまって。大学に入ってもスポーツを続けるかなあ?という想いで過ごしていました。大学に入った年に阪神大震災があって、僕の入った関西の大学もなんだかぐちゃぐちゃな状態でしたね。

     そんなある日、大学校内を歩いていたら発声練習をしているのが聞こえてきて。その発声練習をしていた劇団に新入生歓迎公演のようなものに誘われて、観に行ったら面白かったのでその学生劇団に入ったんです。

     入った当初は俳優と音響をしていました。初めて出た舞台は野田秀樹さん脚本の作品で、自分は「松の木」の役だったんですよ。松の木だったんですが台詞もあって。音楽と照明が入ってる状態で舞台に上がるとなんだか爽快感があって、不思議な感じがしたのを覚えています。

     

    ー「ごまのはえ」という名前もその時に?

     その学生劇団では必ず芸名をつける風習がありました。なんかしょうもない話なんですけど、その劇団では代々伝統的に和菓子の名前をつけていたんです、安倍川餅とか桜餅とか。先輩に気に入られた人は和菓子の名前をつけられて和菓子グループみたいなのに入っていくんですが、僕はあまり気に入られなくて(笑) なので、自分で芸名をつけました。

    撮影:井上大志

    ー「ニットキャップシアター」は大学の卒業と同時に立ち上げたのですか

     劇団を立ち上げるとなると大事のように聞こえますが、ニットキャップシアターはその学生劇団のメンバーで始めましたね。自分が卒業した頃は年功序列がなくなったり一生同じ会社に勤めるということもなくなっていく、みたいに世の中の働き方が変わっていくんだなと感じる時代で。私達よりも上の世代が演劇をやり続けるとなったら、一生結婚できないとか親の死に目にも会えないとか、それぐらいの覚悟で始めていたかもしれませんが、僕たちはそれほどの覚悟もなく「いつか食べれるようになれたらいいね」くらいの淡い期待で始めました。

     

    ー立ち上げから25年ほど経ちますが劇団を続けるのは大変でしたか

     最初の頃はまだ先輩方もいて助けてくれていました。そんな先輩もいなくなり、旗揚げを一緒にした人たちもいなくなっていった時はすごく不安になりましたね。でもありがたいことに新しい人達が入ってきてくれて。振り返ってみると長い人で10年くらい一緒にやってもらっています。そういう人が入れ替わりながら、その時その時で作品を創ってきました。

     活動が15年を過ぎたあたりから「ニットキャップシアター」が人格みたいな感じになりだして。「ニットキャップシアターさん」が今何を考えているのか、ぜひゆっくり話を伺いたくて。

     例えば助成金をいただいて主催公演をやるとして、助成金が取れなかったらもう大赤字なんですよね。そんな状態になってでも創りたい作品で頑張っていく劇団なのか、それとも「みんなノーギャラでもいいからやりたい時にやろうよ」みたいな柔らかい劇団になりたいのか、これが私にはわからないんですよ。

     ニットキャップシアターはもう僕だけのものじゃなくてニットキャップシアターという存在なんだから、僕が何かを決めることに自信がないんです。

    それで「ニットキャップシアターさん」はどう思っているんだろう、と。現状そんな感じです。この人をなくしてしまうと、この人と一緒に経験してきたことが全部僕ひとりの記憶になってしまう。それはすごい寂しいことだなと。この人がいなくなってしまうと僕が一番困りますね(笑)

     

    ー近年の作品では具体的な地名を上げた作品が多いようです。戯曲づくりの上で具体的な場所の存在は重要でしょうか

     元々はあまり場所に縛られずに書いていました。存在しない街・場所であっても人間はそこで生活して、食べたり寝たり着替えたり、朝ご飯を食べて「いってきます」と言って会社に行ったりとかするんです。そういう生活を描くことが戯曲を書くということだと思ってるところがあるんです。

     『ヒラカタ・ノート』*1の舞台である枚方(ひらかた)は僕の生まれ育った場所です。自分自身が生活していたわけですから、自分の知っている生活を描くわけで、なんだかとても書きやすかったんですね。この作品を発表後、ありがたいことに「この街を取材して書いてくれないか」といったお仕事が来まして。その町は飛行場が近い町でジェット機の音が聞こえてきたので、そんなところでの暮らしってどうだろうなと想像したり。

     『チェーホフも鳥の名前』でサハリン島を書くときも、どんなものを食べ、どんな服を着ていたのか、そういうことがわかるとなんかホッとするんです。人と人の間に食事を置いてお互い探り合うとか、ご機嫌を伺い合うような、そういう変化球を投げ合う会話が好きなんですよね。


    撮影:井上大志

    チェーホフも鳥の名前はどういった経緯で作られたのでしょう

     『チェーホフも鳥の名前』は、ロシアの劇作家アントン・チェーホフの作品から何か1つ選んで作品を創る、という企画で「サハリン島」というルポルタージュを読んだのがきっかけでした。サハリン島には、様々な人が政治や社会状況の中で集まってきて暮らしている場所だった、ということがわかり興味を惹かれたんです。

     これまでの作品は、例えば団地に住んでる人が普通であることに苦しむ、みたいなものを書いてきたんです。ただそれを書いていると、その人やその両親がそこに住むことになった理由は何だろうと考えてしまって。例えば私の父は滋賀から、母は京都から就職などの理由で枚方に住むことになったんですが、それは大きく言えば時代や社会の変化、その時の政治とかが影響しているかもしれなくて。そう考えると日常を描くには、それを産み出している社会状況や政治を見ないといけないなと。『チェーホフも鳥の名前』の舞台であるサハリン島は19世紀末から100年の間に政治状況が何度も変化し、さまざまな背景を持った人たちが集まってきます。なかには政治家の代理みたいになって喋る人もいますが、その言葉が実は政治に振り回されていたりとか、時代の変化に取り残されていたりとか、僕としては何かそういう人たちのことを書きたかったんです。

     

    ーサハリン島にほど近い北海道で公演することについて

     2019年に大阪の伊丹で初演をして、2022年には伊丹と東京で再演をしたんですね。初演の時に実際に樺太に住んでいた年配の方々が観に来てくださって。「こういう作品があることが届いていたんだな。」と思いました。東京で上演した時にはサハリン協会の方が来てくださって「いつか作品の舞台であるサハリンにあるチェーホフ(という町)で上演できたらいいね」「北海道はサハリンと交流もあるから北海道公演ができたら何か繋がっていくのでは」と言っていただいて。

     ちょうど北海道戯曲賞の公募が始まった時だったかな。僕、過去作品が応募できると知らなかったんですよ。応募できることがわかったので少し書き直しをして応募しました。大賞をいただいて北海道で公演ができることになったのは本当に念願叶ったりですね。

     当時樺太にいた方はお年でしょうから劇場まで来ていただけるかわからないですけど、樺太に住んでいた方や、もしくはご家族が住んでた方とか、そういう方々に観ていただいて、懐かしがって頂いたり、違う部分があればご指摘していただいたりできたら良いなと思っています。

     

    *1『ヒラカタ・ノート』

    2004年12月に発表された劇団ニットキャップシアターの代表作。架空の街「ヒラカタ」を舞台に、1990年代を生きる若者達の青春を描いた作品。主人公は平凡で臆病で真面目な男の子。彼の高校時代から二十代後半までの受難の日々を生々しく描いた。またときおり幻想的とも言える場面が差し挟まれ、その独特の劇世界が発表時は高く評価された。[枚方市総合文化芸術センター]https://hirakata-arts.jp/event/detail_349.html

     

    『チェーホフも鳥の名前』
    札幌公演/大空公演特設サイト
    https://knitcap.jp/bird2024/

    札幌公演
    2024年8月24日[土]25日[日]
    札幌市民交流プラザクリエイティブスタジオ(札幌市民交流プラザ3階)

    大空公演
    2024年8月29日[木]
    大空町教育文化会館

    ART AleRT podcast
    コーディネート/ポッドキャスト制作: 丸田鞠衣絵
    インタビュー/ライティング: カジタシノブ
    協力: 公益財団法人北海道文化財団

    インタビュー: 2024年6月、オンラインにて


     

  • 北海道と九州をつなぐ新たなアート活動支援プロジェクトが クラウドファンディングをスタート

    札幌を中心にコンテンポラリーダンス・舞踏のプロデュースを行っているCONTE-SAPPORO Dance Center代表/北海道コンテンポラリーダンス普及委員会委員長である森嶋拓さんが、新たに九州と北海道を繋ぐ継続的なプロジェクトを開始する。

    森嶋拓氏

    森嶋さんはこれまでにも札幌を中心に発表・交流・育成を様々な形で継続的に行ってきた。2017年からは北海道舞踏フェスティバルを開始。優れたダンサーを鑑賞できる機会の創出、アーティスト同士の交流を行ってきた。森嶋さんの多様な取り組みが継続的に行われていることで、札幌でのコンテンポラリーダンス公演は着実に増え、存在感が日に日に増している。

    幌国際舞踏フェスティバルの様[札幌国際舞踏フェスティバルの様子]

    森嶋さんが次に着目したのが九州だ。日本の北と南、風土や歴史に共通点がなくとも、抱えている課題には共通点が多いと言われてる。実際、札幌では他都市と比較をする場合、規模的にも近い福岡を比較対象に語られることが多い印象がある。

    共通点を持つ地域の人々が交流していくことで、単独では解決できなかった課題解決への道が開けたり、そこまで至らなくともヒントを持ち帰る可能性もあるだろう。しかし札幌と九州、交流があるかと言われると、継続的な交流はほぼ行われていないのが現状だ。また、いざ交流したいと思っても足がかりとなるものがほぼないため始めること自体が難しい。

    森嶋さんはそれまでの活動を礎として、北海道と九州を結んで継続的に交流を深める「北海道×九州のアート活動支援プロジェクトプロジェクト」を計画。2023年にはアーティストがそれぞれの土地へのリサーチを実施し、その内容を元に公演を行っていく予定だ。

    [森嶋さんは札幌のアーティストとともに2022年11月に九州へのリサーチ&ライブツアーを実施]

    こういった地域を跨ぐ取り組みはまだまだ実験的な要素が高く、過去にはイベント単発で終わってしまうパターンも散見された。その場合、その後の交流はそれぞれアーティストの自主性に任すことになってしまう結果、アーティストそれぞれが繋がっているに留まってしまったり、交流機会がなく関係が経ち消えてしまう場合もあり、確実に効果があるとはいえない。

    北海道×九州のアート活動支援プロジェクトでは単発で終わらせず、少なくとも10年はプロジェクトを継続。イベント的な成果よりも、ゆっくりと時間をかけて交流を続けていくことで、よりよい関係性を築く場とすることを目指す。

    このプロジェクトを始めるにあたり、MotionGalleryにてクラウドファンディングを開始した(2023年1月31日まで)。このクラウドファンディングもイベントを実現するための金銭的達成がメインの目標ではなく、プロジェクト自体を多くの人に知ってもらうことを目標として行われている。

    クラウドファンディングから始まる「北海道×九州のアート活動支援プロジェクトプロジェクト」が今後どのような効果を地域にもたらしていくのか、長い目で活動を見守っていきたい。


    クラウドファンディング
    北と南を芸術と文化で繋ぐ!北海道×九州のアート活動支援プロジェクト
    (音楽、ダンス、美術、演劇、郷土文化、食文化など)

    https://motion-gallery.net/projects/kita-to-minam

  • 月形町に新たなアート複合施設「ツキガタアートヴィレッジ」が誕生

    札幌から1時間ほどのところにある月形町に、アートギャラリー併設の多目的施設『ツキガタアートヴィレッジ』が2022年9月19日にオープンを迎え記念イベントが行われた。

    人口3000人弱の月形町は近年過疎化が進み空き家・空き店舗などが増えている。また比較的人口の多い都市間にありながらも、これといった観光資源がないため「通り過ぎる街」という印象を持つ人も多いようだ。明治から長い歴史を持っていた知来乙(ちらいおつ)小学校も2006年に廃校。その小学校施設を活用して誕生したのがツキガタアートヴィレッジだ。

    このツキガタアートヴィレッジで村長を勤める久保奈月さんは美術・書家として海外でも活躍する中、2019 年月形町へ移住。この地域の現状を思いツキガタアートヴィレッジ構想を開始。クラウドファンディングで改修資金を募り見事達成した。

    ツキガタアートヴィレッジはギャラリースペース、アーティストのアトリエスペース、イベントなどが行える旧体育館やグラウンドなど様々な使いかたができる施設として運営を開始。オープニングでは早速アーティストの朝地信介さんによる個展とワークショップが行われていた。

    また、15時からは体育館スペースでオープニングトークが行われた。代表を務める荒井純一さん、村長の久保奈月さんによる施設の説明ののち月形町職員による町の紹介が行われ、町外からの来場者にも地域のことを知る機会となった。

    後半には、まちづくりプランナー酒井秀治さんと月形町の若手で作られたプロジェクトつきがたデザインのメンバーが登壇し『まちづくりとはなにか?』をテーマにトークセッションが開始。街の課題や歴史が語られるなかでツキガタアートヴィレッジに期待することなど来場者含め活発な意見交換が行われた。また、つきがたデザインの梅木悠太さんが始めたコワーキングスペースTsukigata LABOの紹介など月形町で生まれ始めた新しい取り組みの紹介も行われた。

    ツキガタアートヴィレッジでは今後アトリエ利用するアーティストの募集をはじめる予定だ。もともと教室だった部分をアトリエ利用しながら、地域の人と交流を持ってくれるアーティストを広く募集する。続報については各種公式SNSや今後できる予定の公式サイトなどで随時発信していくとのこと。

    ツキガタアートヴィレッジ TSUKIGATA art VILLAGE
    instagram

    住所:北海道樺戸郡月形町知来乙22-6
    連絡先:tsukigata.a.v@gmail.com
    一般開放日:土曜日・日曜日13:00-18:00

    ※平日については要問い合わせ
    ※ご来場前にSNSチェックやお問合せ下さい。
    ※都合により開放日変更やイベント等での開放の場合あり