• BLAKISTON - mangekyoが手がける家具と生活雑貨のショップ、オープン

     

    ーインテリアデザインの道に入ったきっかけはどんなことですか?

    桑原 旭川の高専出身なんですけど、その学校はインテリアデザインでもなんでもない、化学を専門とした学校でした。学校に入った最初からもう、「自分のやりたいことと全然違うところに入ってしまった…ヤバイ」って思ってしまって。
    当時インテリアブームがあったのですが、雑誌などで、デザイナーズ家具やインテリアのことが取り上げられているのを見て、家具のデザインをやりたい!って思ったのが、インテリアデザインに進んだきっかけですね。ファッションと家具が近いところで繋がって「おしゃれなもの」というイメージで自分の中に入ってきたんでしょうね。

    児玉 洋服のお店などが集まっている東京の裏原宿っていうエリアがブームだった時期がありますが、ああいうのがかっこいい、みたいな意識が未だにあります。

    桑原 高専は5年制なのですが、僕は高校卒業と同等になる3年で辞めてインテリアデザインの学校に行こうと思って、それを親に言ったら大反対されました(笑)。
    5年間通えば、親も進学や就職で化学の道に進むことは諦めてくれるだろうと思って、5年間は頑張りました。
    その間に、インテリアデザインや家具の本を買って勉強したり、学校では漫画を描くのが好きな人とかが少しいたので、そういう人たちに絵の描き方を教えて貰ったり。
    高専卒業後は札幌で、念願だったデザインの専門学校に入りました。だけど専門学校では、想定外に家具デザインの授業はほとんどなかったんです。建築設計の授業が多かった。でもそれが楽しくて、建築設計の方にはまっていきました。

     

     

    桑原 学生のころ、学生を受け入れてくれる建築事務所に出入りしてたんですが、学校を卒業してそのままそこで数年働きました。その後、インテリアデザイン会社に入りました。
    昔抱いていた憧れのイメージが、建築よりインテリアデザインのほうが近かったようです。
    インテリアデザイン会社を辞めたとき、務めていた時のツテもあって、仕事がたくさん来たんです。それで仕事を必死にこなしている内に、ここまで来ちゃった感じはあります(笑)。

    児玉 私は小さな頃から、家の間取り図を眺めることや、自分で理想の間取り図を描いたりもしていました。自分の部屋がなかったので、空間への憧れが強かったのだと思います。当時は漫画家になりたいと思っていて、家に籠っていつも漫画を描いていたのですが、やたらと間取り図が出てくるような漫画でした。
    高校生の頃は、音楽活動をしていた時期もありましたが、ある時、将来何になろうか真剣に考えたときに、インテリアデザイン以外思い浮かびませんでした。私は芸術デザイン専門学校でインテリアデザインを学び、インテリアデザイン会社に入社して、そこで桑原さんと出会いました。
    桑原さんがその会社を辞めたあと、私は2〜3年働いて独立したのですが、その時彼は仕事をたくさん抱えていて凄く忙しかったので、よく手伝いに行っていたんです。そこで自分の仕事もしつつ、桑原さんの仕事のお手伝いもするというのを続けているうち、「会社として一緒にやらないかい」と言って貰って、ふたりでやることになりました。
    当時は本当に忙しかったですね。私たちはまだ20代で若かったのに、よくそんな私たちに依頼してくれる人がいたなって、今になって思います。

     

     

    ーちょうどその頃、mangekyoさんの存在を知って、面白いデザインを手掛けてる方がいるな、と注目していました。デザイン依頼後は、クライアントとはどのようにイメージを形づくって行きますか?

    児玉 クライアントのお話は凄く聞きます。その人のキャラクターとか人となりを良く見ます。

    桑原 インテリアデザインの仕事では、オーナーシェフとか美容師とか、実際にお店で働いている人がクライアントでもある場合が多いので、その人の好みとかキャラクターをお店のデザインに反映できるといいなと思っています。

    児玉 打合せの時間をとても長く設けて、色んな話をします。デザイナーの人は「アイデアが降ってくる」とかよく言いますが、私たちの場合はそういうことは一切なくて、話し合いの中で、クライアントと一緒に作って行く感じです。

    桑原 クライアントと一日ずっと一緒に過ごして、夜中まで話したり、どういう好みなのか探ったり。人の好きなことやモノって、その人の中に隠れてると思うんです。デザイナーじゃない人は、自分のことを形として具体的に表現できないことが多いと思うので、本人もまだ自分が何を好きなのか気づいていないこともあったりする。

    児玉 話すことや一緒に過ごすことは、それを引き出してあげる大事な課程です。

    桑原 そういう時間を通して、クライアントが自分で好きなイメージを言葉にできるようになると、お店を作ったときに「これは自分の店」って言えるんだと思う。僕たちが考えて作ったデザインをそのまま与えてしまっても、馴染めないし、自分のものとして店の空間を使いこなせないと思うんですよ。
    例えば、僕らは格好良くないと思っている什器や雑貨も、クライアントや店のスタッフがお店に置く可能性もありますよね。それもひっくるめて、お店の個性、空間の個性だと思うんです。
    昔はインテリアデザインだけじゃなく、そういう部分もコントロールしようとしてたんですけど、今はそうは思わなくなった。その人が好きなものを置くことをイメージして、その上で素敵だったり、かっこいい空間を作ることを心がけています。

     

     

    ーデザインの仕事やデザインをする課程で、インスピレーションを得たり、参考にする要素はありますか?

    児玉 新しいプロジェクトが始まったら、まず、クライアントのイメージに合うような音楽をセレクトして、その仕事に取り組んでいる間、ずっとその音楽をかけっぱなしにします(笑)。その音楽のテンションに合わせて仕事をすると、その人のイメージだったり、その人のテンションの仕事ができるなぁって思うんです。

    桑原 映画を見て、海外の風景とか、映画のセットの色使いなどを参考にしますね。この建具は凄くいいな、とか(笑)。

    児玉 ウェス・アンダーソンの映画は見てると凄く面白いですね。インテリアの感じが「なんかちょっと変」とか「このアイデアいいな」とか。私はお芝居が好きで東京や大阪によく見に行くんですけど、舞台セットや演出の仕方はとても勉強になります。
    インテリアデザインや建築の仕事を見てインスピレーションを受けるということは実はあまりないですね。

    桑原 昔は、インテリアデザインや建築を参考にすることもあったと思います。雰囲気よりは、もっと細かい部分、たとえばディティールの収め方、どういう材料がいいか、どれくらいの寸法がいいか、そういう部分を参考にしてましたね。建築の分野では、ファッション感があって表層的なものは邪道、みたいな雰囲気がある。僕も、そういった時期もあったんですが、そこから年齢を重ねたときに、最初に自分が影響を受けたファッションなどのストリートカルチャーがかっこいいな、と改めて思うようになりました。

     

    "「The Selby」はインテリアの写真集なのですが、人がいたり、住んでいる風景も一緒に撮るというところが凄く良いと思って、それから自分たちのインテリア写真の撮り方が変わりました。"(児玉)

    "好きで良く読む雑誌はこんな感じです。"(児玉)

     

    ークライアントと話してデザインイメージが積み重なった時、設計の段階ではどういう進め方をしますか?

    児玉 まずはイメージの共有から始まりますね。

    桑原 長く付き合いのある人で、好きなものの感覚がわかっている人には、デザインしたもののプレゼンもそんなにしないことが多いです。
    ノースコンチネントっていうハンバーグ屋さんのオーナーには、最初「一緒にドライブ行こう」って誘われて。ドライブに行った先で、「こんな感じの景色のイメージなんだよね」と言われた(笑)。

    児玉 山の中に一緒に入って落ち葉の上を一緒に歩いて「こういうフカフカな感じ」とか、山の中の匂いとかを伝えられました。自然の中をドライブして、山の中を歩いてイメージを共有してできたのが「ノースコンチネント -MACHI NO NAKA-」っていう地下にあるハンバーグのお店なんですけど(笑)。

    桑原 クライアントの話も聞くけれど、僕らの設計のことも凄く話します。デザインや設計のことを、相手がわからなくてもいいやと思ってずっと話していると、その内、彼らにも知識がついてきて、物の見方が変わりますね。
    店をやるかどうかもわからないけど、「こういうお店やりたいね」って三年くらいずーっと打合せだけしている場合もあります(笑)。

     

     

    ー東京に拠点を移していたことについて聞かせてください。

    桑原 北海道でインテリアデザインをやってきて、色んな面で限界を感じたというか。

    児玉 自分の理想とするインテリアデザインの仕事をするには、札幌で続けていくのは難しいのかな、と感じていた部分が大きいです。

    桑原 札幌にいて仕事していたら、東京のインテリアデザイン業界のことは何も知れない。だから、雑誌などを見て、東京ってこうなんじゃないか、という勝手な思い込みがありました。同業の有名な人たちの仕事をメディアなどで目にして、ああいう仕事をやらなきゃいけない、という焦りのような気持ちがありましたね。

    児玉 東京でやってないのに、自分たちはそのシーンに対して何にも意見を言えないな、って思って。だから、東京でやることは、自分たちにとってチャレンジでしたね。

    桑原 東京で仕事をすることで、メディアに出ていなくても、かっこいい仕事をしているデザイナーがいると知ることができました。だけど同時に、北海道にいた自分たちもそういう仕事をしてきたんじゃないか、って気づきました。東京にいても、札幌から僕らに声をかけてくれる人がいて、仕事の依頼をしてくれて、凄くありがたかった。
    僕らは設計はするけれど、作ってくれる人(施工業者)がいて初めて建築や内装ができるわけです。東京での仕事を通して、作ってくれる人とのコミュニケーションの取り方だとか、札幌での仕事のやり方が僕らには合っていると感じました。

    児玉 2012年に札幌に戻ってきて、せっかく北海道でやるなら、東京でできないことをやりたいねって、ずっと話していました。
    札幌に戻って「レスタウラント」というZINE(自主制作の冊子)を作ったんですが、それも「自分たちでなにかやりたい、発信したい」と考えて始めたことのひとつですね。

     

     

    ー好きなお店・素敵だなと思うお店はありますか?

    児玉 カメラマンの友人に教えてもらって行った、東京の浜松町にあるgallery 916ってところは、最近見た中でダントツでかっこよかったですね。写真家の上田義彦さんがキュレーションしている写真メインのギャラリーです。

    桑原 このBLAKISTONを100倍くらいスケールアップしたくらいの大きさでしたね。

    児玉 凄く広いし、天井も高いんですよ。gallery 916に感銘を受けて、倉庫の物件っていいなって思いました。私たちのお店をここに決めるきっかけにもなりました。

    桑原 gallery 916は、倉庫をリノベーションしたギャラリーなんですが、倉庫に少しだけ手を加えたみたいな。リノベーションって、手を加えすぎると元々の空間の良さがなくなっちゃうと思うんですけど、gallery 916はもともとかっこいい倉庫の雰囲気を残したままやっている。そういうのが自分は好きだなと思います。

     

     

    ーインテリアデザイン、お店で今後やっていきたいこと、ビジョンを教えてください。

    児玉 どちらも、「長く続ける」ってことだけですね。

    桑原 長く続けることと、僕たちは今まで二人だけでずっとやってきたんですが、せっかくこの仕事をしているので、楽しくやりたいですね。
    設計の仕事に対しては、特にこれをやりたいっていうのはなくて(笑)。

    児玉 設計をやってみたい業種(お店とかスペースなどの)という意味では、特に決めてないですね。

    桑原 ただ、一緒にやってて楽しい、感性や気が合う人と一緒に仕事ができれば、というのは凄く思いますね。

     

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    BLAKISTON
    〒060-0010
    札幌市中央区北10条西16丁目28-145 拓殖ビル1F Tel : 011-215-6004
    OPEN : 12:00〜19:00 火曜日・水曜日 定休
    http://www.blakiston.net/

     

    mangekyo
    2006年、北海道札幌市で設立。レストラン、ブティック、ヘアサロン、住宅などの内装デザインを中心に、インスタレーション、建築デザインのディレクションなど、多岐にわたるクリエイションを展開。
    http://mangekyo.net/

    桑原 崇 kuwabara takashi
    デザイナー、mangekyo代表取締役
    1977年、北海道の神社の家系に生まれる。化学を学んだのち、デザインの世界へ。建築設計事務所での勤務、インテリアデザイン事務所での勤務、フリーランスを経て、2006年、株式会社mangekyoを設立。同代表。

    児玉 結衣子 kodama yuiko
    デザイナー
    1982年、北海道生まれ。学生時代は、ストリートライブ、バンド、DJなどの音楽活動をして過ごし、デザインの世界へ。インテリアデザイン事務所での勤務、フリーランスを経て、2007年、株式会社mangekyoに参加。日常の中に潜むおもしろおかしいものを拾い上げて、アイディアのきっかけを作る役割。


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    インタビュー 佐藤史恵
    撮影 クスミエリカ

     

  • 写真家 岡田 敦さん - 被写体との対峙から生まれる作品、その強さの源泉とは

     

    2008年、現代の若者の姿を真正面から捉えた写真集「I am」(赤々舎)で木村伊兵衛写真賞を受賞したことも記憶に新しい北海道出身の写真家 岡田敦さん。
    昨年出版された出産の瞬間をテーマにした写真集「MOTHER」(柏艪舎)は、美術、写真表現の自由や規制についても大きな話題になっています。
    2015年2月、北海道立近代美術館で開催中の展覧会「もうひとつの眺め(サイト) - 北海道発:8人の写真と映像」、また現代アートギャラリーCAI02で個展「MOTHER - 開かれた場所へ」を開催中で札幌に滞在された岡田さんに、被写体に真正面から向き合い生まれる写真作品の力強さと、そのテーマ性などについて伺いました。

     

    - まず、岡田さんが写真を撮り始めたきっかけを教えてください。

    もともと写真を撮ってたわけじゃないんですよ。
    高校卒業後の進路を考えた時、美術は好きだったから、芸大や美大に行きたいと思ってはいたのですが、世界で活躍するような、飛び抜けた絵の才能が自分には無いと思ったので、「写真家になろう」と決め、写真を撮り始めました。

     

    - 大学に進学してから本格的に写真を撮り始めたのですか?

    そうですね、写真家になろうと決めてからです。
    当時はカメラを持っていなかったので、まずは友だちにカメラを借りて勉強して、一年浪人してから大学に入りました。
    叔父が絵描きだったので、美術に対しては小さな時から興味はありました。
    絵に進まなかったのも、叔父がやってることと同じことををするのもどうなのかな、という疑問があったのかもしれません。

     

     

    - 絵画以外のものを、と考えた時に写真を選択したのはなぜでしょうか?

    写真集での表現など、もっと面白い事が出来る可能性があるジャンルだと思ったので、それで決めたのかな、という気がします。

     

    - 写真家として、影響を受けた方はいますか?また、こういった写真を撮っていきたいという技術や作風はありましたか?

    あんまりないですね。
    むしろ、画家のエゴン・シーレとか好きだったので、そういう作品に影響を受けました。
    あと、ヨーゼフ・ボイスとか、ジャンルや表現方法は違うんですが、むしろ、違うジャンルから影響を受けたことのほうが大きいですね。

     

    - 岡田さんの作品では、リストカットの傷跡や出産シーンを題材にした作品の印象が強いのですが、それらは記録するという意味合いで撮影されているのでしょうか?

    どうしても「I am」や「MOTHER」の印象が強いせいか、そちらのイメージが一人歩きしている感じはありますね。記憶に残る作品を生みだせたという意味では、作家として幸せなことではあるのですが(苦笑)。
    逆に今は、根室沖にあるユルリ島という無人島で、野生馬の撮影などもしています。僕の中ではどの作品も同じ感覚で、エネルギーの強いものにいつも惹かれています。その対象に自分が向き合うことが出来るのか、そこから逃げださず、さらに深く掘り下げてゆくことが作家として大事なことだと思っています。リスクを背負わなければ、芸術は生まれません。簡単に撮れるものよりも、向き合うことが一番大変だろうなと思うのもを選んできたら、振り返るとそうしたインパクトの強い作品が多かったのかな、という感じです。

     

     

    - 今回の個展「MOTHER - 開かれた場所へ」では、出産を題材に扱っていますが、撮影するにあたり被写体になる方とはどういった形で繋がっていったのでしょうか?

    もともと被写体のご夫婦の旦那さんとは友だちで、奥さんとも面識がありました。妊娠されたと聞いて、以前から(出産を題材に)写真を撮りたいと思っていたので、お願いをして撮影の許可をもらいました。
    写真を撮るという行為は、ある意味で、被写体にリスクを背負わせるという行為でもあります。今回の作品はとくにそうでした。世の中でどのような反応が生まれるのか、被写体のご家族が批判されないようにしなければいけない、撮影をすることと、発表をすることで生じるあらゆるリスクについて慎重に考えました。そうしたことを彼らには事前に伝え、その上で撮影のお願いをしたので、信用してもらうことができ、あの作品が生まれたのだと思います。そういう意味では、僕は撮らせてもらっただけなんです。彼らの協力がなければ、あの作品を撮ることも、あの瞬間に僕が出会うこともできなかったと思います。
    「人が生まれるってどういうことなんだろう」という単純な僕の欲に巻き込んでいいのか、という責任感みたいなものは常に感じています。そうした責任やリスクを僕も背負った上で、この作品は世の中に発表しなければいけないと強く感じました。それが意味のあることだと思ったのです。

     

    - 撮影を終えた後、岡田さん自身に変化はありましたか?

    人は人から生まれてくるという当たり前のことを、もちろん知識としては知っていますが、母親が自分を産んでくれたことに対して、具体的に当時のことを想像したり、思いを馳せたりといったことは、今回の作品を作るまではありませんでした。母親への感謝という意味では変化があったのかもしれません。
    「命の大切さを知ってください」というようなテーマだったらわかりやすいかもしれませんが、写真集や展示を見てくれた人が自由に誰かを想ってくれたらそれでいいのかなと思っています。この作品にはそうした広がり方が出来る可能性があると思っています。
    「表現の自由」などいろいろ問題が出てくるのかもしれませんが、その問題を僕が背負えるのであればそれで良いのかなと思っています。

     

     

    - 展覧会と写真集としての発表では違いを設けたりしていますか?

    写真集は自分の死後も残るように作りたいと思っています。展覧会はある程度の期間で終わってしまうので、その時のライブ感を重要視するようにしています。

     

    - 写真集「MOTHER」を拝見した時に、ページをめくっていく中で合間に入っている白紙のページが、岡田さんの息づかいのように感じて臨場感があり、岡田さんとしてその場にいるような感覚になりました。

    今回の写真集のページ構成は僕がほぼ決めました。白いページに関しては、僕がここに入れてほしいと具体的にデザイナーに伝えました。
    写真のページだけが次々と並んでいると、読者の方が想像をする余地がなくなってしまう。白いページには何も写ってはいないけれど、読者の方がその空白に何かしら思いを馳せてくれたら良いなと思っています。間をおくとか、深呼吸をするとか、そうした効果も考えています。

     

    - 白いページの入り方に、深呼吸するイメージがありました。

    僕自身も、写真だけを一気に見ていくとしんどくなってしまうところがあるんです。ページをめくりながら、写真の合間に白いページがあることで、次が開けてゆく。白いページでひと休みをして、次のページへ読み進んでゆく感じがいいのかな。
    見ることに対するエネルギーが追いつかなくて、途中でしんどくなって写真集を閉じられてしまうのは残念だから、意識的に白いページを入れました。だから、そう感じていただけたのであれば良かったです。

     

    - 先ほどもお話に出ていた「ユルリ島」についてお聞ききしたいのですが、どういうきっかけで撮影することになったのでしょうか?

    東京でよく一緒に仕事をする編集者の方がユルリ島の話をしていて、そういえば昔、地元紙でユルリ島とそこに生息する野生馬の記事を読んだことがあるなと思い出して、いろいろ調べてゆくうちに、島の野生馬がいずれ居なくなることを知ったんです。そのことを根室市に問い合わせると、誰もユルリ島の馬の現状について記録をしていないということがわかったので、これは北海道の文化として絶対に記録しておくべきだと思いました。
    とは言っても、ユルリ島は北海道の天然記念物に指定されているため、メディアをはじめ人の立ち入りは禁止されています。僕もはじめは全く話を聞いてもらえませんでした。いろいろな方へ何度も手紙や電話でお願いをし、交渉を始めてから一年くらいかかって、ようやく根室市から正式に、島の歴史を記録することを委託されました。最初はユルリ島の馬について根室の人たちもあまり関心がなかったので、協力をしてくれる方を探すのも大変でした。でも今は、根室市をはじめ、落石漁業協同組合、島のガイドをしてくださる方など、根室のみなさんが本当に親切にしてくださるのでとても嬉しく思っています。
    発表する作品だけではなく、僕が活動を続けることによって周りの人たちの意識や考え方も変わってゆく、そうした変化も芸術のひとつだと僕は思っています。そういう意味でもユルリ島での撮影活動は面白いですし、発言や行動を続けてゆくことの大切さを感じます。街の人たちの島に対する思いが変わってきているのも感じますし、たくさんの方が協力してくださっているので、必ず写真集として形にしなければいけないなと思っています。

     

    - 私は北海道在住ですが、ユルリ島やそこにいる野生馬について、岡田さんが撮影していることで初めて知りました。

    そうですね、根室に住んでいる方でも現状を知らない人が多いと思います。「ユルリ島にいま馬が5頭しかいないの!」と驚かれる方も多いです。
    僕も北海道に住んでいた時には気づかなったこと、見えていなかったものがたくさんあったのですが、東京で活動するようになってから、逆に北海道のことがよく見えるようになりました。

     

     

    - 北海道で生まれ育ったことが作品に影響されることはありますか?

    北海道らしさというのは北海道に居たときにはわからなかったので、東京へ行ってから、幼い頃に経験したり、見ていたものが今の写真に影響していると思います。
    逆に道外の人がイメージするラベンダー畑とかひまわり畑みたいな北海道の風景写真は、僕の中にある北海道の原風景とはずいぶんズレがあるので、そういう意味で、北海道のイメージを変えていきたい。
    僕の中にある北海道の原風景を写真で表現してゆくこと、それが北海道出身の写真家として僕がすべきことのひとつなのかなと思っています。

     

    - 今後、北海道に限らず「こういったものを撮影したい」というビジョンはありますか?

    三十代になったら北海道を撮ろうとは思ってはいたんですが、たぶんそれが完結するのは45歳くらいになるのかなと思います。一応、うっすら(ビジョンが)見えてはいるんですけど、まだ語らないようにはしています。

     

    - 最後に、同時期に北海道立近代美術館(以下 近美)、CAI02と二つの会場で展示をしていますが、それぞれどういったところを見せたい、ということはありますか?

    いま、写真界全体、美術界もそうですが、自主規制に走ってしまう傾向があります。美術館の場合、公共施設ということもありその傾向がより強くなってしまいます。北海道立近代美術館での展覧会「もうひとつの眺め(サイト)北海道発:8人の写真と映像」は3月22日までですが、CAI02では美術館で展示出来なかった作品も含め、展示構成しています。
    美術館の批判をしたいわけではもちろんありません。ただ、作家が美術館の基準に合わせて作品を作りだしたり、美術館に展示出来るかどうかを事前に確認しなければいけなくなったら、そこから新しい芸術は生まれなくなると思うんです。メーカーギャラリーはブランドのイメージを守らなければいけない。「美術館は公共施設だから」という理由はよくわかるのですが、公共施設だからこそ芸術に対して開かれた場所であって欲しいとも思うのです。二つの展示を通し、芸術や芸術を発信する場の在り方について、多くの人が考えてくれる機会になればいいなと考えています。近美で感じることもCAI02で感じることも違うと思うので、両方観てほしいです。
    観てくれた人がいろんな反響を寄せてくれたら、北海道の芸術や文化ももっと盛り上がると思うので、そういう効果があれば一番良いなと思っています。

     

     

    岡田敦  写真家/芸術学博士

    1979年、北海道生まれ。
    富士フォトサロン新人賞受賞。第33回木村伊兵衛写真賞受賞。北海道文化奨励賞受賞。
    大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、博士号取得(芸術各学)。
    2007年、写真集「I am」(赤々舎)を発表。
    2010年、写真集「ataraxia」(岡田敦、伊津野重美、青幻舎)を発表。
    同年、映画「ノルウェイの森」(原作:村上春樹、監督:トラン・アン・ユン)の公式ガイドブック(講談社)の撮り下ろし企画などを手がける。
    2012年、写真集「世界」(赤々舎)を発表。
    2014年、写真集「MOTHER」(柏艪舎)を発表。
    海外からの注目も高い、新進気鋭の写真家である。
    http://www2.odn.ne.jp/~cec48450/

    ・Facebook
    https://www.facebook.com/okadaatsushi.official

    ・YouTube:ユルリ島
    https://www.youtube.com/playlist?list=PL_BpdvkbNXgUWznHHKIByojXr2oII60cF

     

    ◎開催中の展示

    岡田 敦 個展「MOTHER - 開かれた場所へ」
    会場:CAI02 札幌市中央区大通西5丁目 昭和ビルB2F
    会期:2015年02月14日(土)〜2015年02月28日(土) 13:00~23:00
    詳細はこちら

    もうひとつの眺め(サイト) - 北海道発:8人の写真と映像
    会場:北海道立近代美術館 札幌市中央区北1条西17丁目
    会期:2015年01月31日(土)〜2015年03月22日(日) 9:30~17:00
    詳細はこちら

     

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    インタビュー:小坂祐美子
    撮影:小島歌織

  • REPORT メディアアート・ラボから考える都市文化 vol.2「ラボから生まれるアート -ライゾマティクス-」

    こんにちはART AleRT編集部です。

    2015年1月20日、MIRAI.ST cafeにて「メディアアート・ラボから考える都市文化 vol.2」と題して「ラボから生まれるアート -ライゾマティクス-」が開催されました。今回はその様子をレポートします。今回のトークは昨年9月のに行われたイベントの第2弾。

    ゲストは、メディアアートを中心に幅広いフィールドで活躍し、国内外から注目をあつめているクリエイティブ集団「ライゾマティクス」の真鍋大度氏と石橋素氏。Perfumeライヴ演出やauのテレビCMシリーズなどなど、彼らを知らなくても手掛けたコマーシャルやミュージックビデオをあげれば、知っている人も多いのでは?

    今注目を集める豪華なゲスト陣ということもあり、会場は予約の段階で定員オーバーとなり、当日は立ち見席やライブビュースペースが設けられるほどの盛況ぶり。この日はJRや飛行機が一部運休になるほどの大雪。飛行機の都合で、ゲストの到着が遅れてスタートとなりましたが、その分「生の声」が聞けるかも?と観客席の期待は膨らみます。

     

    最初のお話はライゾマティクスを立ち上げたいきさつから。

    立ち上げた2006年、世間では少しずつWEBとリアルをつなぐようなプロジェクトが盛んになってきた頃。当初からインタラクティブな広告を作っていこうと思っていたのか?という問いに、「当時から今まで、広告を意識してやろうとは考えていなかった」という真鍋さん。インタラクティブ作品を見たクライアントが、面白がって使ってもらえるようになっていったそう。石橋さんは「当時Youtubeがあまり普及してなかったので、DVDに焼いて見せていた」と振り返ります。とにかく数を作って見せることを繰り返していたそうです。

    その後、筋電位センサーと電気刺激デバイスを用いて表情をコピーする実験プロジェクト「“Face Visualizer”,“Face Instrument”」を発表。Youtubeで一躍話題になりました。Perfumeのライブ演出を手がけていた演出振付家のMIKIKOさんに出会い、作品を猛アピール。これをきっかけにエンターテインメントへの活動が広がっていったそうです。


    2010年、Perfume東京ドームツアーでは風船爆破システム部分を担当。巨大な箱へと活動場所が移ってから、制作方法はどう変わっていったのか?スタッフの数の変化は…?の問いに、「段取りもわからず、とにかく集められるだけ人を集めて…」「場所がないので近くの公園で実験して、ここ(公園の写真を指して)にMIKIKOさんを呼んできて、見せる…(笑)」と当時の様子が伺えるお二人のやりとりに観客も思わず笑み。試行錯誤しながら演出に挑んでいた事を明かしていました。 「会場のスケールが図面上はわかっていても、身体感覚として無かった」と振り返る石橋さん。当時は今までやったインスタレーションとサイズ感が違うことに、戸惑いを隠せなかったようです。

    そして、2013年に開催され、国外でも話題になった「カンヌ国際クリエイティビティ・フェスティバル」の話へ。Perfumeのダンス・衣装に合わせてプロジェクションマッピング技法を用いたパフォーマンスについて。

    演出振付家のMIKIKOさんからもらった演出アイデアを実現するために、YCAM(山口情報芸術センター)での滞在制作でブラッシュアップを行ったライゾマチーム。「ファンとクリエイターでグラフィックを創りプロジェクションマッピングする」「衣裳を動かす」という難易度の高い技術にトライします。

    ドレスメーカーさんとひとつひとつ検証していったPerfumeの衣裳はまるで折り紙のような美しさ。「ショーのモデルが着るものとダンスするパフォーマーが着るものはまた違うから、シビアに制作した」と石橋さん。大きなステージで難しい課題をクリアしていくプロセスに観客席も聞き入っていました。


    続いてライゾマの最新のお仕事を紹介。センサーとドローン(小型無人航空機)を使ったダンスインスタレーション「モザイク」の演出を紹介してくれました。

    滑らかにダンサーの上を浮遊する様は、ピラミッド型のUFOのようです。ドローンは「四角錐がついてない状態」からスタートしましたが、作品のコンセプトと結びつけるために四角錐をつけたいというオーダーが入り、取り付けることに。真鍋さん曰く、「結果、不安定になったけどそれが面白くなった」。ドローンは制作途中、コンピュータ制御のプログラムでは、きっちり揃った機械的な動きとなってしまうため、ドローンの動きをレコーディングするシステムを開発。ドローンを持ってダンサーが動いた軌跡を使うことで、有機的な動きの表現を可能にしたそうです。

    真鍋さんはメディアアートならではの醍醐味をこう語ります。「ダンサーと映像のインタラクションは、やりつくされている。ARやVRだけではなく、ダンサーと実世界でリアルにインタラクションするオブジェクトを使う仕組みを考えていきたい。ドローンを使ったのも、その考えがベースにある」。また「新しい技術を用いたアイデアを演出振付家に見せ、ディスカッションして即興でダンスをつくってもらう。この瞬発力が受け入れられているのは、恵まれているなと思うし、技術デモを表現に昇華してくれるMIKIKOさんの力に常に助けられている。普通の演出家・振付家だと技術に引っ張られてしまうことが多いのだけど、技術を使う理由をきちんと紹介してくれる。」と自身の環境についても振り返りました。


    こうしてライゾマティクスの仕事をみて感じるのは、圧倒的な完成度やボリューム感、そして新しい仕組みづくり。にも関わらず、それを実現させるタイミングはとてもスピーディです。

    スケジュールが短いほど、実現性を重視して「今回はここまで」と、はじめから出来る範囲でのゴール設定をしてしまいがちです。そうなると仕事の仕方は合理的になっていきますがクリエイティビティに影響がでるという懸念も 。ライゾマのお二人はどうやって仕事を進めているのか、司会が質問を投げかけます。

    「仕事によってはリハーサルの時間が限られていたり、制約があるなかで効率のいい方法をとる場合もある。そのなかでどれだけ面白いことを出来るか。逆に長期でスタジオを借りて、テスト繰り返すような作業は効率としてはどうしても悪くなってしまう。両方あると思う」と真鍋さん。

    「色々チャレンジするためには、一個一個の結果が短時間でわかれば、その他のケースも多く試すことができる。試したいときに最短の時間でテストするようにしている」と石橋さん。沢山のプロセスを踏むことは必要ですが、自分の過去のデータや経験を生かして、どのように創り、何を使えばいいかを取捨選択しながら効率をあげていく。そんな現場の様子が伺えます。


    次に、ラボでの取り組みについて話が移ります。

    その前に、タイトルにもなり、トークのキーワードにもなっている「ラボ(ラボラトリー)」について。真鍋大度氏と石橋素氏率いる「ライゾマティクス」は、2008年に研究・創作スペース「4nchor5 la6(アンカーズラボ)」を開設。「チームでも個人でも戦えるアンカー達がひっそりと集い、何かを生み出し続けるための場所」として少数精鋭のクリエイターが集まる場所を作りました。これが今回の「ラボ」を指しています。今までのプロジェクトも、ラボでの研究開発やチームづくりがもとになって作られたものばかり。

    アイデアを思いついたときに、どのようにラボを活用しているのでしょう。「ラボではまず小さなプロトタイプを作り、実験し、大きなスタジオを借りてスケールアップさせていく」と、真鍋さん。では、スケールアップさせる段階で、様々な問題が生じたとき、メンバーでどうジャッジしていくのか、の質問に「去年はそういったジャッジが必要でこの環境では出来ないと判断し、諦めなければいけないこともあった。もっと理想的な環境では出来るけど、この場所ではできないとかね。時間をかけているのでもったいないけれど、出さない勇気も大事だと思っている。」と語りました。

    実験していく中で、アイデアの引出しは今どれくらいあるんでしょう?と司会に尋ねられると「(アイデアは)17個」とコメント。テスト検証をしたり、誰でも使えるようなツールを使い、汎用性を上げていろんな場面でも対応できるような形にまで仕上げていく。そういう姿勢だからこそ、この数字なのでしょうか。

    また、最近注目している技術は?の問いに、「(調査資料を見せながら)生体データと機械学習、ディープラーニングなどを用いた人工知能ネタに、最近興味あります」と説明する真鍋さん。NEVERまとめでもアップされているように、真鍋さんは研究論文や美術史など様々な調査(サーベイ)資料をもとに制作しています。機械学習についても専門家の方にインタビューして調べたり、学生の力を借りて資料を作成しているそう。


    創造都市であるここ札幌。もしも、この札幌にライゾマティクスを移動させるとしたら…?という質問に、「滞在制作できる場所はあるんですか?」とお二人とも興味をのぞかせます。東京にいるメリットについて質問が及ぶと「だんだんなくなってきている。最近では、筑波の宿泊施設のあるスタジオを使っていますから」と真鍋さん。今後、札幌に使いたい施設が出来れば、ライゾマティクスをはじめとする多くのメディアアーティストが札幌に集まるかもしれません。

    札幌という場所で制作するなら、どんなことをしたいか?には、「モエレ沼公園の草原でなにかやりたい」「自然とメディアアートでなにかしたいですね」とお二人。「札幌は、まだラボという概念は馴染みが薄い。研究・実験・開発・発表していく施設が必要ではないかと思っています。いつかライゾマティクスにも札幌に滞在制作に来て欲しい」と司会の小町谷さんも今後の札幌について語ります。

    司会の小町谷さん、石田さんが大学教員ということもあり、学生の観覧も多かった今回のイベント。最近では、メディアアートのジャンルを志す人が増えているそう。トークショーの最後に、学生へ向けてのメッセージを聞かれ、真鍋さんは、手を動かしてつくることの大切さと心構えについて語ってくださいました。

    『日本メディアアート史』(馬定延[マ・ジョンヨン] 著)という本があるのですが、読んでみると30年前のメディアアート史を語っている内容が、今とほとんど変わらない。これより新しいことをそんなにすぐは考えられないだろうなと思うんですが(笑)。時代が追いついたといったら偉そうですけど、今はメディアアートにとって、とても良い時代になってきた。ここにいる学生さんも学校で新しいアイデアや作品をつくって発表する機会があると思うんだけど、手を動かすより悩む時間のほうが多くなってしまうということには、ならずにいてほしい。僕はIAMAS(国際情報科学芸術アカデミー)にいたとき、プレゼンの度にへこんでいた。今思えば、気にせずにガンガンやればよかったな、と。Twitterで、意思表明しているやつを見かけると『それはいいから!とりあえず作ろうよ』と思う。(クリエイターは)作品でしか評価されないんだから。」

    自身が悩みながらも、「まずは作ってみる」ことを続けたことで道が開けた経験があるからこそ。このコメントに大いに刺激を受けた学生さんも多かったのではないでしょうか。今後ますます目が離せないライゾマティクス。全体を通して、ラボという概念の重要性を参加者が共有できる充実したトークでした。


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    ゲストプロフィール

    真鍋大度/Daito MANABE
    プログラマ/アーティスト

    1976年生まれ。東京理科大学理学部数学科卒業、国際情報科学芸術アカデミー (IAMAS) DSPコース卒業。2006年にウェブからインタラクティブデザインまで幅広いメディアをカバーするデザインファーム「rhizomatiks」を立ち上げ、2008年には、石橋素とハッカーズスペース「4nchor5 La6」(アンカーズラボ) を設立。

    ジャンルやフィールドを問わずプログラミングを駆使して様々なプロジェクトに参加。ars electronica、eyeo festival、resonate、OFFF、FITC、Transmediale、EXIT、Scopitone Festivalを始めとした海外のフェスティバルにアーティスト、スピーカーとして参加。Prix Ars Electronicaでは2009年度審査員を務め、2011年度インタラクティブ部門準グランプリ受賞、2013年度インタラクティブ部門栄誉賞受賞。文化庁メディア芸術祭においては大賞2回、優秀賞2回、審査委員会推薦作品選定は8回を数える。

    2010年よりPerfumeの演出サポートを担い、ディレクションを担当したPerfume Global Site Projectはカンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル、サイバー部門にて銀賞を受賞。データ解析とインスタレーションを担当した「Sound of Honda/ Ayrton Senna1989」が2014年カンヌライオンズでチタニウム&インテグレーテッド部門にてグランプリを受賞、8部門でゴールド6つ、シルバー6つを含む15の賞を受賞、2014年D&AD賞で最高賞であるブラックペンシルを受賞。米Apple社のMac誕生30周年スペシャルサイトにてジョン前田、ハンズ・ジマーを含む11人のキーパーソンの内の一人に選出されるなど国際的な評価も高い。

     

    石橋素/Motoi ISHIBASHI
    エンジニア/アーティスト

    1975年生まれ。東京工業大学制御システム工学科、国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)卒業。4nchor5 la6を真鍋大度と共同主宰。ハードウェア制作を主軸に、様々なプロジェクトに参加している。デバイス制作を主軸に、数多くの広告プロジェクトやアート作品制作、ワークショップ、ミュージックビデオ制作など、精力的に活動行う。

    工業用刺繍ミシンを使った『Pa++ern』や産業用ロボットアームを使った『proportion』など、ロボットを取り入れた作品。『Lenovo』『ラフォーレグランバザール』TVCMへの作品提供。やくしまるえつこMV『ルル』『ノルニル』『少年よ我に帰れ』に参加。『perfume 3rd tour -JPN-』武道館追加公演にてLED衣装制作。多数の作品がメディア芸術祭審査委員会推薦作品に選定。2011年 第15回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞受賞。2011年 Prix Ars Electronica インタラクティブ部門準グランプリ受賞
     

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    ラボから生まれるアート -ライゾマティクス-

    日時:1月20日(火)19:00~21:00(開場は18:30になります。)
    場所:MIRAI.ST cafe
    北海道札幌市中央区南3条西5丁目1-1 ノルベサ1F
    入場料:無料(キャッシュオンスタイル)
    主催:札幌大谷大学,札幌市立大学
    協力:MIRAI.ST cafe

    ゲストスピーカ:真鍋大度+石橋素(ライゾマティクス)

    司会:小町谷 圭(札幌大谷大学 美術学部)
    石田 勝也(札幌市立大学 デザイン学部)

    詳しくはこちら


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    レポート:小島歌織
    撮影:大場優子

  • 移転オープンへ ー 代表の川上大雅さんに聞く、cojicaの今までとこれから

    2010年、札幌の北3東2にあるビルの1階に誕生した「salon cojica」。ほどなく、企画ギャラリーとして、札幌の現代美術作家たちを内外へ向けて紹介し始めます。2013年にいったん移転準備に入った後、2014年12月、北24条に移転オープンを果たします。より発信力を高めるとともに、弁護士・ギャラリーオーナーの二つの顔を持ちながら歩み続ける川上さんに、「salon cojica」への想いとこれからのビジョンを伺いました。

     

    ー まず、川上さんが現代美術に興味を持ったきっかけを教えて下さい。

    大学生の頃、北海道立近代美術館で見た宮島達男さんの作品に衝撃を受けたのが始まりですね。現代美術に興味を持ち始めた当時から、作家をサポートする何かができたらという想いがありました。そのために、CAI現代芸術研究所の夜間アートスクールに通い始めました。本業である弁護士の仕事を始めて一年目のことでした。

     

    ー salon cojicaはどのように立ち上がったのでしょうか?

    CAIに在籍していたころ、2010年だったと思います。スクール生の同期たちと「自分たちの場所があればいいのに」とよく話していました。そのタイミングで、たまたま、カラオケスナックを居抜きで使う人を探しているという話を聞いて、すぐ場所を借りました。ギャラリーにするということも考えず、ひたすら、掃除をしたり、改装みたいなことをしたりしていました。
    結局、自分たちの手ではやりきれなくて、建築士さんにお願いして根本的に改装をしてもらって、「salon cojica」を2010年にオープンすることになりました。
    この改装を手がけてくれた建築士の一色玲児さんには、現salon cojicaの設計もお願いしました。
    特に、ギャラリーにするとは決めていませんでした。結局、半分くらいは自分たちで企画したり貸したりして、だんだんとギャラリーのような形態になってきました。だけど、とっても大変で…。
    1年間運営してみて、気づいたら、同期生たちはみんな離れてしまって、自分ひとりになっていました。

     

     

    ー その、1度目のリニューアルオープンに至った経緯を教えて下さい。

    継続するかどうか迷いました。だけど、ここで展示をしたいという作家も増えていたし、オープン以来この場所を支えてくれた作家たちを、もう少し深く支えられたらと思うようになりました。美術に興味を持ったときの原点に返った感覚です。そのためには、前よりしっかりとしたギャラリーにならなくていけないと思ったんです。
    それから、取扱う作家もだんだんと増えていきましたし、作品の扱い方も少しずつ覚えていきました。

     

    ー そのような思い入れのある場所から離れ、現在の北24条に移転することになった理由は?

    きっかけは、salon cojicaが入っていたビルの老朽化でした。やむを得ず次の場所を探し始めたのです。
    そして、ギャラリーとカフェが一体化しているために「ここはギャラリーなのか、カフェなのか、」という制約が目立つようになってきました。内装を何度も変えたり、壁面を立て直したり、試行錯誤をしましたけど、最終的には解決しきれない制約のようにも思えてきて、場所に対する限界を感じることが多くなっていたように思います。

    そこから約二年間、場所探しを続けていました。その間に、これでもかという程いろんなことが起きましたが、最終的に、「これはもう自分で建てるしかない」と決心しました。
    もともと僕は弁護士でしたから、それも合わせてひとつのスペースを作ろうと考え、「salon cojica」「COJICA COFFEE」「札幌北商標法律事務所」の入る「coneco bld.」として、また新たなスタートを切ることになりました。始めた頃は、今の状態を想像すらしていませんでしたね。(笑)

     

    ー 印象的な名前の「cojica」は、どのように命名したのでしょう?

    スペースの名前をつけるとき、CAIの同期生で居酒屋に集まって話し合っていたら、目の前にあった焼酎のラベルがたまたま「山ねこ」と「小鹿」だったんです(笑)。響きからいって「やまねこ」と「こじか」なら「こじか」かな…?じゃ、「こいぬ」は?「こねこ」は?という具合に上げていった結果、おさまったのが「こじか」でした。「こねこ」は今回、建物名になってますね。そういえば(笑)。

     

     

    ー スタート当初から併設していたカフェについて。現在の「COJICA COFFEE」までの流れはどのようなものでしたか?

    当初は僕自身がネスプレッソでコーヒーを出していたくらいなので(笑)、カフェへそこまでこだわりがあったわけではありません。前にリニューアルしたとき、「カフェがあればギャラリーを開けておける」と考えて、カフェスタッフを募集したんです。最終的にカフェスタッフは3人になりました。
    3人は、だんだんと、カフェのみならずギャラリー運営も含め、cojicaの全部に関わってくれるようになりました。ART OSAKAでも、コーヒーを淹れたりしていました。
    3人は、場所をつくっていく上で欠かせない存在になっていきましたので、さらにカフェ自体もクオリティを上げ、「COJICA COFFEE」として、ともに新たなスタートを切ることに決めました。

     

     

    ー 新生「salon cojica」に込められた想いや今後のスタンスを教えて下さい。

    これからは、本当に来たい人さえ来てくれればそれでいいという気持ちもあります。閉じる必要もないけど、無理して開いていく必要もないのかなと思っています。 それよりも、ギャラリーとして、作家が自分の力を出す機会を、継続的に積み上げていくことが大事になると思っています。
    また、今後は、外から作家を呼ぶことも増えると思います。滞在も前より楽にできるように整えました。じっくりと製作に向き合ってほしいという思いがあります。
    その他のスタンスは、今までと変わらない気がします。作品や空間を、一番最初に見られるということは、ギャラリーをやっていく中でのひとつの特権だと思っています。これからは、やっと、作品に一番近いところで生活していくことができそうです。やりたいことに集中できる環境が整ったのかなと思います。

     

    ー「salon cojica」が抱える作家はどのように選んでいますか?

    こちらからお願いをすることももちろんあります。ですが、選んでいるというよりは、自然に集まってきた作家たちを一生懸命支えているという感覚の方が強いようにも思います。関わる人たちとは、自然と深い付き合いになっていきます。作品のこと、展示のこと以外にもたくさんの話を聞かせてもらっています。取扱っている作家に、cojicaのカラーがあると言われることがあります。自然に集まってきているものが、cojicaのフィルターを通じて出てくると、色彩を帯びていくのかもしれないですね。

     

     

    ー 企画ギャラリーとして、道外のアートフェアやイベントに参加し、作家を積極的に発信していますね。

    作家にとって必要であれば、何でもします。東京や大阪などのアートフェアにも参加してきました。札幌って、展示する場所は案外たくさんあって、どこでも展示ができちゃって、循環する仕組みすらなんとなくできちゃっています。どこのスペースでも、同じ作家の作品が見れるというのは、他の地域と比べても特殊なことかもしれません。案外悪くない環境だと考える作家もいるでしょうし、それはそれでひとつの形ではあるかとは思います。
    札幌は良くも悪くも閉じている部分があるので、札幌の中で全部成立させることもできちゃいます。アーティスト風、ギャラリー風な装いをするのは案外簡単だったりもします。
    だけど、それって、外からは全然見えてないという一面もあったりして。
    だから、そこにとどまらないで、一歩進みたい、次のステージに進みたいと思っている作家に、できる限りのサポートをしていくことが必要かなと思っています。作家だけだとなかなかできないことなので。 そうでないと、いい作家たちが、近くで作品を作ってくれなくなってしまうという危機感もあります。
    とはいえ、最近は、アートフェアすら乱立しちゃってます。 そんな時代に、ギャラリーを続けていくことの意味はいつも考えています。

     

    ー なかなか札幌では見ることのできない道外の現代美術作家の展示も手がけていますが、ご自分で作家にオファーをされるんでしょうか。

    自分で探しにいったり、ご縁をいただいたりということももちろん多いです。道外での発表の機会も増えてきているので、札幌にこういうギャラリーがあると知って見に来て下さる道外の作家もいます。少しずつネットワークというか、つながりが増えてきているかなと思います。


     

    ー ギャラリーの代表の他、弁護士・弁理士としても活躍されていらっしゃいます。

    今までは、事務所とギャラリーとがバラバラだったので、大変でした。行き来だけでも大変でしたし、結果、どちらも中途半端みたいなことになりそうな時期もあったように思います。今は、集約されてやっと落ち着いてきた感じです。仕事でもギャラリーの運営でも、一度出会うと、長いお付き合いになる場合がほとんどです。「最後まで寄り添い続けること」は、大事にしていることの一つです。人と深く関わり、そこから信頼関係が生まれていく。そのわりにメールのやりとりはとっても苦手だし、すぐ音信不通になるタイプなのですけどね(笑)。
    自分からやろうとしたことって実はそんなにないんです。ぼんやりと、こんなことやりたいなー、やらなきゃなーと思っていたら、いつのまにかこんなことになっちゃってた感じ(笑)。

    salon cojicaを始めて4年ほどになります。これから先、いい時も悪い時もあると思います。悪い時にいかにあきらめ悪く続けられるかが大事だと思っています。もう、続ける覚悟は決めちゃっているので、どんな形になっても、ずっと自分は、「salon cojica」をやっているんだと思います。

     

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    salon cojica 代表 川上 大雅(かわかみ たいが)
    1980年札幌生まれ 
    札幌北商標法律事務所 弁護士・弁理士 / salon cojica 代表
    企業法務および知的財産を中心に取り扱っている。
    スキーを最近また始めた。

     

    salon cojica
    北海道札幌市北区北23条西8丁目 coneco bld. 1F
    tel.011-700-0700 fax. 011-700-0701
    営業時間 11:00~19:00(その他の時間はアポイントください)
    休廊日  日・月曜日
    http://www.salon-cojica.com/
    取扱い作家 武田浩志、風間雄飛、樫見菜々子、鈴木悠哉、南俊輔ほか

    詳細はこちら

     

    開催中の展示
    「3回目のはじめてに from the first to the third」

    会期:2014年12月13日(土)~2015年1月31日(土)11:00~19:00
    休廊:年末年始・日月
    出展作家:青山裕企、有本ゆみこ、いそのけい、今村遼佑、小野翔平、風間雄飛、樫見菜々子、クスミエリカ、鈴木悠哉、武田浩志、田中佐季、pater、前田ひさえ、南俊輔 ほか

    詳細はこちら

     

     

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    インタビュー:山本曜子
    撮影:門間友佑、小島歌織、山本曜子