• 祭りの妖精、祭太郎でございます!ー 活動20周年、知られざるその軌跡に迫る


    写真:小牧寿里

     

    私と祭太郎との出会いは、ライジングサンロックフェスティバル。
    初めて彼を見たのは2003年頃。毎年会場に行くと必ず祭太郎はそこにいた。

    うさぎの耳を付け、上半身は裸、八百屋みたいな前掛けにスパッツ姿のその男はひたすら、誰に向けたのかわからない、呟きのような悟りのような口調で言葉を発しながら、草の路上でひとり受け身を取っていた。
    そこここでライブの音が聴こえてくる会場でステージ間を移動する道すがら、彼の前を通り過ぎる人たちが、そのパフォーマンスを眺めては面白がり、一緒に拳を上げながら、また次の場所へ流れてゆく。

    彼を見る人は思っていただろう。
    ステージも何もないところで、おかしな格好をして、次の日の陽が昇るまで、声が枯れても叫び続けている…。「ヤツは何者なんだ?」

    受け身や口上などのパフォーマーとして、美術家として、時にリングアナウンサーとして、はたまた鍼灸治療師として、さまざまな活動を続ける祭りの妖精・祭太郎。
    10年以上見続けていても未だに生態がわからないその人(妖精?)の、現在に至るまでを聞いてみた。

     

    ーそもそもいつ頃からアーティストやパフォーマーを志していたのですか?

    正直、アーティストを志したことは一度もないです。
    将来の夢が思いつかない子どもでしたから(笑)。
    自分の頭の中にあるアイディアや身体から沸き起こる閃きを外にだしたいという生理的な現象をどう処理するか?ということがこれまで生きてきた中での命題でした。

    私がアーティストやパフォーマーなどで括られる事にこだわりはないのです。
    ですが、関わってきた人たちの多くがプロフェッショナルな仕事をしている人です。間近に接して、その人の生きざまを感じて憧れたり、あの人のあの部分をこっそり真似して、いつか披露しようかな?と思っていると、現在はいつのまにか機会を頂けることがあるので、有難いですね。 

     

    ー祭太郎としての活動を始めたきっかけは?また、祭太郎の名前の由来とは?

    私が20歳の頃、ドイツ・ハンブルグで行われた端 聡さん(美術家)の個展のオープニングパーティーの時、受け身パフォーマンスを披露しました。そこで私は大きな刺激を受け、いろいろな場所で人に会いたいと思うようになりました。
    のちにハンブルグで開催するアートの展覧会のお誘いを受け、そのための活動資金を貯めようと、活動拠点を札幌から実家のある名寄に移しました。
    その間、埼玉の工場に出稼ぎに行ったのをきっかけに、休みを利用して東京にある現代美術ギャラリーやクラブに行っては、そこで会う人たちから多くのことを吸収していきました。

    また、同じような時期に、美術家やなぎみわさんの仕事で、北海道ロケのアシスタントをする機会がありました。それまでは地元の作家さんの仕事を見る機会しかなかったですから、やなぎさんや、スタッフの方の仕事に対する姿勢や眼差しの強さに衝撃的な感動がありました。その後も何度かアシスタントさせて頂く機会があり、撮影ロケでロサンゼルス、ニューヨークなどにも帯同しました。刺激的な毎日で気持ちが昂り続けていましたね。
    作家の方の話しを聞いたり仕事を間近に見るという事が自分の糧になると確信してからは、知らないところに行って新しい刺激を受けるのが楽しくて仕方ありませんでした。 

     

    「祭太郎は、ノートの落書きから生まれたのでございます。」

    同時期に、とかち国際現代アート展「デメーテル」関連企画で、帯広で道内新人アーティストの展覧会が行われることを知り、作品募集のプレゼンテーションに応募しました。
    2002年、私がちょうど24歳の時ですね。私は若手作家枠、ボランティアスタッフとして参加しました。
    デメーテルの期間は帯広競馬場に世界で活躍するアーティストがたくさんやってくる。そこには相当な刺激があると、確信的にわかっていました。自分がスタッフとして参加すればその刺激は何倍にもなると思いました。
    まさにその通りの毎日でしたね。スタッフや関係者の方々は運営が大変だったと思いますけど(笑)。

    デメーテルの開催期間中、帯広駅前通りにある藤丸デパートの向かいに、サポートステーションというアート展のインフォメーションコーナーがありました。そこに常駐するボランティアスタッフが共有する日誌ノートに「祭太郎のお悩み相談」という落書き的な書き込みをし、「祭太郎という架空の人物」がボランティアスタッフの悩みを豪快に解決していく。
    いわゆる、おふざけな絵と文を書き込んだのが、祭太郎の本当の始まりですね。
    ふざけた落書きから始まったなんて、恥ずかしいからあまり人に言っていません。 

    それから数ヶ月後、平原まつり(帯広市)の盆踊り団体枠に「祭太郎と男女うさぎおどり道」というチーム名でエントリーしました。私以外、全員うさぎのコスチュームでおどりました。見切り発車でいきなり本番を迎えましたから参加した人たちは不安と緊張の中、スタートから20分くらいは、ただただ練り歩くという(笑)。それでも、だんだんコツをつかんできたのか盆おどりの後半はみんなノリノリで気持ち良く踊ったり跳ねたりして楽しかったですね。そうそう、審査員なんとか賞なんてのも頂いて嬉しかったのが思い出ですね。

    余談ですが
    その次の日にライジングサンロックフェスティバルに参加しました。うさぎ受け身パフォーマンスをおこなう予定だったのですが、会場に着いてから、うさぎコスチュームを帯広に全部忘れてきてしまったことに気がつき、仕方なく車で取りに戻るということがありました。往復で8時間くらいかかりましたね。
    始まる前から心も身体もヘトヘト。そのあともいろいろありまして、ライジングサンロックフェスにも自分にも完敗し打ちのめされたことを強く記憶しています。

    写真:小牧寿里

     

    その後、某TV「青年の主張」的な番組に出演しました。受け身パフォーマンスに関する主張をしたのですが、ガチガチに緊張して、自分でも聞いている人たちも何を言っているのかわからない主張になってしまい、放送事故のようなことをおこしてしまいました。この大失敗により自分自身が完全崩壊した感覚と同時に少しホッとした感覚が湧き起こりました。それまでは自分の事、人の事を意識しすぎて、精神も身体もがんじがらめになっていたのです。それが大失敗したことにより、気恥ずかしさと可笑しさとしょうがなさが全身いっぱいに広がり身体が解きほぐれていくような、吹っ切れた感覚がありましたね。

    それまでは、キャラを演じることが気恥ずかしい部分があったり、やる気ある自分を茶化して誤魔化して生きてきました。思春期におこりそうなことですね(笑)。
    ですが、人の事なんて関係ない、自分が夢中になって頑張りたいことは自信を持ってやる。その方が、何もやらないでモヤモヤして生きるより断然いいんじゃない?とそう思いました。

    翌年、決意しました。2003年のライジングサンロックフェス、自分が祭太郎なんだと。ネタも落ちもない、太鼓も叩けない、あるのは石狩の地に立ち続ける心意気だ。そんな風に自覚しましたね。

     

    ー15年間、毎年出演しているライジングサンロックフェスティバル、最初に出ることになったきっかけって?

    友達の紹介で、PROVOの吉田龍太さんと知り合ったのがきっかけです。2002年、ライジングの会場でART表現する場を設けるので、なんか面白いことやろうよと集まったペインターや立体作家、いろいろなタイプのアーティスト中の1人として参加しました。

     

    ー忘れられない思い出はありますか?

    2007年、夜もふけたころ、太鼓口上パフォーマンス中に怒髪天の増子直純さんに声をかけて頂いたときですね!
    増子さんは、私との出会いを「キャッチセールスみたいな出会いだった」と(笑)。
    数時間後にezoistという北海道出身のアーティスト編成バンドのステージに一緒に上がる事になりました。そんなことを夢には思っていましたが、現実になるとは、びっくりと緊張と色々な感情が溢れましたね。
    それから、プロのミュージシャンと共演させて頂く機会が一気に増えました。

     

    ーライジングサンでやらかしちゃったことがあれば教えてください。

    2002年、1番最初に参加した時、祭太郎を名乗る前、口上スタイルもできていなかった頃、うさぎのコスチューム着て会場でほとんどなにもやらなかったことですね。ただただ歩いていましたね(笑)。その時は楽しいから何も感じなかったんですよ。

    ただ、その年出演されていた井上陽水さんの「傘がない」という曲の「都会では自殺する若者が増えている」というフレーズを聴いてガツーンと頭を殴られたような衝撃を受けました。
    その時、俺はここで何をしたいのか?を自問自答し続けましたね。実はそれがきっかけになり、祭太郎口上スタイルが出来たわけです。
    会場をただ歩くなんて今なら絶対やらないことをやっちゃった。その時悔しい思いをして、なにをするべきか気づけたのが良かったと思います。

     

    ー今では恒例となったライジングサン、日曜朝のラジオ体操がスタートしたわけは?

    最初は朝の誰も何もやっていない隙間の時間が空いていたのがきっかけですね。
    ライジングに参加して次の日の朝だいたい筋肉痛でしたから(笑)。
    その頃は20代から30代のお客さんが多いイメージでしたので、懐かしい夏休みの朝の思い出と共にラジオ体操をみんなで一緒にやったらいいなと思って始めました。

     

    ー出演回数を重ねて、いまでは祭太郎はライジングサンにはなくてはならない存在だと思いますが、現在は参加することをどんな風に思っている?

    2000年のライジングサンに、エゾロッカーズ(ライジングサンに参加するお客さんの呼び名)として参加したときに、これまで生きてきて「こんな楽しい面白い世界、時間があるんだな」と思ったと同時に1人でいくら表現しても辿りつかないものが存在するんだと心底思いました。
    音楽聴いて踊って、飲んで食べて、知らない人とはっちゃけたり、疲れたら寝て、朝を迎えて、夜がきて、また朝がくる。その繰り返し。お祭りを作るって、こういう事だなと思いました。生活まるごと持っていくとこんなに楽しいんだなと。
    自分にとってライジングサンの影響が大きいので、世の中のたくさんあるイベントの一つにしたくない思いが強かったのと、ライジングは音楽が主軸であることは言うまでもないですが、衣食住、生活まるごとを持って楽しむ意義みたいなものを、道をただ移動しているだけでも楽しさが沸き起こる空間、時間があるってことを伝えたいんです。それが毎年同じうさぎのおっさんがなんかやってるだけでも記憶の目印になると思うんですね。

    15年の間、幸運にも、運営、アーティスト、お客さん側からの視点を持つことが出来ました。たくさんの人の視点を持つことが出来て世界がますます広がっています。
    無責任に一生懸命にライジングサンロックフェスティバルを表現出来ることは自分にとって本当に光栄なことです。
    いつまでも出来ることではないから、チャンスがあったらその都度、後悔のないよう、はっちゃけるだけです。
    だけど、最初はとにかく必死でしたね。一年のうちの数日ですから大したことないですけどね(笑)。 

     

    ーところで…祭太郎ってなにものなの?

    「テンションと哀愁を足して2で割ったもの。」

    音楽フェス、現代美術、プロレス、鍼灸、合気術、などなどあらゆる分野の成分を独自に配合し続ける存在、それが祭の妖精・祭太郎ということでよろしいでしょうか。

     

    ー祭太郎として表現したいことは?

    「命にまつわるすべての中にある一部分を表現したいのでございます。」

    その、ある一部分のすべてを私の内側であったり、外側だったりで感じたなにかを自分なりに咀嚼して外に吐き出したいのです。そして飲み込みたいのです。

     

     

    ー現在、札幌で開催中の個展について教えてください。

    「わかっちゃいるけど、ついやっちゃいました。」

    20歳の頃、ドイツ・ハンブルグで受け身パフォーマンスを披露した時、人々の反応に心の底から自分の魂が喜んだのは生まれてはじめてでした。
    見てくれた人から
    「どうして自ら身体を打ちつけるのか?」
    「あなたにとって痛みとは一体なに?」
    「よくわからないけど面白い」
    「言葉にするのは難しいけど私もわかる。」
    などの感想を貰い、外国の地で、自分の表現が真っ直ぐに届いた感がありとっても嬉しかったです。

    あれから20年の月日が流れて、自分の環境が変わったり、心境が変わったりする中で、少しづつではありますが身体を通じて生きるという実感が湧いてきました。
    今年で40才、特に30代で起こった人生の分岐点である出来事のキーワードが幾つか浮かびました。
    例えば、祭り、震災、結婚、家族、子供、仕事の経験から生と死、出会いと別れ、男と女、エネルギー、私は私なりにこの世界から自立しようと懸命に努力をするも自分にも他者にもある部分依存していたことに気がついたのです。気がつくのが遅かったのでございます。
    人生の分岐点を自分なりにまとめるために、今まで自分の知っていたこと 自分の知らないことを深く掘り下げる方法として、映像、絵、写真コラージュなど私が20年前に刺激を受けた現代美術の手法を使いました。

    自分の内側にある今まで知らなかったことを知るという行為は、たとえ不安定な環境や状況が続いていたとしても、安定的な自己に戻れるのではないか?世界の不安定さを外から受け止めるだけではなく、自己の中に、世界の不安定さを入れ込むことが出来たならば、矛盾を矛盾として受け止めることが出来るのではないか?なんて思ったり思わなかったりしながら、 新しい出会いを生み育み繋がりとしての世界を身体全体で認識したいが為のきわめて個人的な作品、展示内容になってしまいました。
    (個展の開催情報は下記に掲載)

     

     

    道北の名寄出身だそうですが、札幌を拠点に活動する理由は?

    「なんだかんだ言って居心地がいい場所だからだと思います。幼い時から大好きな土地ですしね。」

    肉体的にも精神的にも常に移動しないと生きてる心地がしないのですが、仕事柄、定位置についていなければならない事が多いので、札幌に住みながらも、精神的に移動するよう常に気をつかっていますね。
    例えば、読書したりとか。…普通ですね(笑)。
    つい最近まで、自分に関わるジャンルのシーンを自身にざっくり当てはめて、息苦しさや足りなさをストレスにしていた嫌いがありましたが、現在は、一人の世界をじっくり観察、考察して面白さを発見することに喜びを感じるようになりました。それはある意味、"旅先で偶然出会ったあの風景、あの時間"のような感覚を覚えます。
    私の居場所で面白い人物と出会い続けているから飽きることなく札幌で活動していると思います。

     

    ー鍼灸師としても活動しているそうですが、鍼灸治療院を始めることになったいきさつは?

    「いろんなタイミングが重なっての開業でした。」

    なぜ鍼灸師の免許を取得したのかと言うと、小さい頃から両親や祖母の肩を揉んであげていたことがきっかけかもしれません。親指の関節が柔らかくて曲げた角度がちょうどいいツボにあたるみたいで褒められて嬉しかったことを記憶しています。

    30才を前にして治療家の方とお会いする機会がありました。世界中旅をしながら一宿一飯のお礼に治療をする話を聞いて自分もそうしたいと思いました。
    また東洋医学の話を聞いてみると、自分が受け身パフォーマンスや祭太郎を表現する上で考えていたこと、疑問に思っていたことがなんとなく腑に落ちて、親近感が湧き、鍼灸の道へ進もうと思いました。
    資格取得後、5年間、治療院に勤めながら、表現活動は続けていました。合気道を始めたのもこの時期ですね。

    あくまで、自分の心持ち的なことなんですが、それぞれの分野の経験を一つにまとめて力を発揮出来る場所を作りたいなと単純に思いました。治療にしても、生活にしても、お金にしても、受け身にしても、祭太郎にしても、何にしてもやはり行き着くところ、落ち着くところは、身体にまつわることだと直感し、自分の悩みどころは、他の人の悩みどころでもあり、自分なりの出し物でお互いがお互いを助け、助けられるようなそんな場所。その一つの方法が治療院という形でした。
    まだまだ課題は山積みですけど、今まで見えなかった課題が見つかるので飽きることなくこれからも続けられそうです。
    あれ、質問の答えになってますかねぇ?

     

     

    ー 今後やりたいこと・目標はなんですか?

    さっきから自分、自分て、自分でもうざいと思いますが、やはり自分の出し物が人に喜んでいただけるように精進して生きていきたいということが目標みたいなものでしょうか?
    最近は植物や鉱物にも興味が湧いてきたので色々知ったり体験していきたいですね。

     

    文・聞き手 佐藤史恵

     

     

    パフォーマンス動画
    RSR2014 ダイジェスト 特別編 祭太郎 - YouTube
    https://youtu.be/X3fDqbXHr6Q

     

    祭の妖精・祭太郎個展 受け身パフォーマンス活動20週年記念
    「KUNZU HOGURETSU・組んず解れづ・クンズホグレズ」

    会期  2017年5月27日(土)〜6月24日(土)
    休館日  日祝
    時間  13:00 - 21:00
    会場  CAI02 札幌市中央区大通西5 昭和ビルB2
    主催 | CAI 現代芸術研究所
    http://cai-net.jp

     

    プロフィール

    祭太郎
    現代美術家、鍼灸師、1977年北海道名寄市生まれ
    1998年公共の路上で突然一人で受け身をとる身体パフォーマンスを始める。痛みを含めその様子を撮影、周囲のリアクションを含めた映像作品をギャラリーなどで発表、2003年 媒介者(祭の妖精)をコンセプトにした祭太郎というキャラクターで表現を始める。2007年北都プロレス、リングアナウンサーとして活動開始、2010年より 鍼灸師の免許を取得。2015年、札幌市内に「未来miraiマッサージ・あんま・指圧・はりきゅう」を開設。現在作家、パフォーマーと並行して活動を行っている。
    大東流合気 実践あらい道場 初段。

     

    経歴

    祭太郎 / maturi taro
    1977 北海道名寄市出身
    1999   CAIアートスクール卒
    2010 北海道鍼灸専門学校 卒

    主な展覧会、イベント

    2017  500m美術館vol.21 500メーターズプロジェクト004「おはようございます、おつかれさまです」展(札幌)
    2003~2017  RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO /石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ(石狩)
    2007~2016  さっぽろアートステージ (札幌)
    2014     さっぽろアートステージ ART STREET / 地下歩行空間 (札幌)
    2013   旅するアート /500m美術館 (札幌)
    2013   まつりのつぼ /CAI02(札幌)
    2012   春山登山展 /hickory03travelers(新潟)
    2011   サッポロ未来展 /北海道立近代美術館/(札幌)
    2011     横浜トリエンナーレ特別連携プログラム 新・港村~小さな未来都市 BankARTLifeⅢ(横浜)
    2009    雪国の華 /M50 Creative Garden, Vanguard Gallery 上海莫干山路50号 – 4号楼A座204、6号楼1F、18号楼1F (3会場)(上海)
    2008   FIX・MIX・MAX!2-現代アートのフロントライン[最前線]- /宮の森美術館(札幌)
    2006   FIX・MIX・MAX!-現代アートのフロントライン[最前線]- /北海道立近代美術館(札幌)

     

    祭太郎ブログ
    https://ameblo.jp/maturi-taro/

    未来mirai あんま・指圧・マッサージ・はり・きゅう
    http://www.maturimirai.com

    北都プロレス
    http://sports.geocities.jp/winplaza2000/

    大東流合気 実践あらい道場
    http://www.daitoryu-araidojo.com

     

     

     

  • 僕らは同じ夢をみる − 飛生芸術祭、TOBIU CAMP、そして森づくりとは?【前編】

    photo : Kazuki Matsumoto

     

    札幌から高速で1時間ほどの白老、そのさらに森の奥で毎年9月に1週間開催される飛生芸術祭と、その最後の2日間に開催されるTOBIU CAMP。アートと音楽が一堂に会すこの祭典は、会場となる飛生の森づくりとともに、年々進化を遂げています。どこか物語のような不思議な世界観をはらみ、自分たちの手でつくりあげていくというこの一大イベント、どうやらただのフェスではないようです。芸術祭のディレクターであり、飛生アートコミュニティーの代表で彫刻家でもある国松希根太さんと、TOBIU CAMPメインディレクターの木野哲也さんに、お話を聞いてみました。

     

    — そもそもなぜ、白老の飛生という場所だったのでしょう?

    国松 僕の父で彫刻家の國松明日香(*1)が、1986年、廃校になった飛生小学校を借りて、仲間たちとの共同アトリエとして飛生アートコミュニティーをつくったんです。僕が子どものとき家族と飛生に2年間住んでいた頃、体育館を使って年に1回ジャズのコンサートが開かれていました。そのときの、いつも全然人が来ない飛生にわっと人が集まってくる感じを覚えています。

    大学卒業後、札幌に仕事場がなかなか見つからなかったとき、当時は家具作家さんが1人で使っていた飛生アートコミュニティーに僕も入れることになったので、思い切って2002年に飛生に引っ越しました。最初は単にアトリエとして使っていたけど、体育館もあるし好きなことができるので、だんだん人が集まってくる場になりました。(木野)哲也はその中の仲間の1人です。

    そのうち、昔やっていたコンサートのように人を呼んで何かできないかなと思って、始めたのが2007年の「TOBIU MEETS OKI」(*2)です。今もTOBIU CAMPのかなめ的キャストであるトンコリ奏者OKIさんのライブと、会場に自分や仲間たちの作品を展示する一日だけのイベントで、OKIさんのコーディネートや音響を手伝ってくれたのが哲也でした。このとき思ったよりたくさんお客さんが来てくれて、すごくいい雰囲気になったので、続けたいねという話になりました。

     

     

    — その後、2009年に「飛生芸術祭」と名前を変えたきっかけは何ですか?

    国松 2009年は1日限りではなく、さらに面白いことをやりたくて、これからも継続していくイベントとしてアートや音楽などを含める「芸術祭」という名前をつけ、「飛生芸術祭」をスタートさせました。アートの展示会期が8日間になり、OKIさん以外にも音楽アーティストを呼んで内容も充実したイベントになってきた時期です。

    2011年には、会場となる飛生の森づくりを始めます。この年、哲也主催の野外フェスMAGICAL CAMP(*3)を、TOBIU CAMPという名前で環境を変え、芸術祭の一環として開催することになりました。また、この年は飛生で美術教室を始めたり、今も続く富士翔太朗くんの竹浦小学校の生徒とのワークショップ(*4)を開始したり。色々なことが一気に始まった転機の年ですね。飛生アートコミュニティーが25周年を迎えたこともあって、気合いを入れてやろう!と規模を大きくしたら、それをなかなか小さくできなくなったんです(笑)。

     

    「topusi」art work : Taiho Ishikawa  photo : Hideki Akita

     

    — 芸術祭について伺いますが、参加アーティストはどのように選んでいますか?

    国松 はじめは仲間うちのアーティストを中心にしていたのが、芸術祭になってからは、こちらからオファーして呼ぶアーティストが増えてきました。作品は芸術祭の最終日に開催するTOBIU CAMPの間も展示するので、野外の彫刻の作家だけではなく、TOBIU CAMPで作品をつくってその日限りの作品を見せる人もいます。選ぶ基準は、この人の作品は面白いなと思い、飛生の空間で見たいと思ったら声をかけるというスタンスです。

    木野 芸術祭で常設展示をするアーティストと、TOBIU CAMPでその場限りの展示をするアーティストで、作品の見せ方などをいかに分けるかっていうのもポイントなんです。

     

    — 室内に展示するということではなく、外に置いたままやがて森の一部になるような作品が多いですが、そういった条件を前提に作家へオファーをしているのですか?

    国松 そうですね。TOBIU CAMPと森づくりが始まった2011年に、今後の芸術祭のテーマとして、物語的な要素を演出によってもっと強めて、なんだか不思議な村に来た…という感じのイメージをつくろう、と決めました。会場になる飛生小学校は古い木造校舎なので、来た人に「タイムスリップしたみたい」とか「現実じゃないみたい」と言われていたから。

    アートも、有名なアーティストを呼んで新作をぼんと置くのではなくて、オファーしたアーティストに森のイメージを伝え、そこにあくまでも森のひとつの要素として作品をお願いしたいと依頼します。そのために必ず下見に来てもらったり、飛生芸術祭のストーリーを理解してもらうことを大切にしています。これはアートも音楽も一貫していますね。

     

    — 今回、飛生の森のアーティストに淺井裕介さん(*5)、今村育子さん(*6)を新たに迎えていますね。

    国松 これまでは森と一体化し、風化、増殖するような作品が多かったのですが、今年は少し異質な作品が欲しいと思っていました。その場所に馴染んで置かれるものというより、お客さんに探し出してもらって、そこでだけ体験できるような作品。2人には、森に馴染むようにというお願いはしていなくて、そのままをどんと出してもらおうと思っています。

    淺井さんは東京出身の第一線で活躍する現代美術家で、偶然、知人を通じて飛生を訪れたことがあり、それが今回の参加につながりました。2人の作品がどんなものになるか、僕らも楽しみにしています。

     

    淺井裕介さんの制作風景  photo : Kineta Kunimatsu

     

    — 芸術祭は8日間の開催。見どころはどんなところでしょうか?

    国松 初日の9/6(日)は森を回りながら森づくりの話やアーティストトークを聞ける「飛生の森びらきツアー」や、今年5年目の節目を迎える森づくりプロジェクトの報告会があるので、ここをメインで来てもらえたらいいですね。アートだけでなく、森づくりに興味のある人にも。芸術祭の日程だとひとつひとつの作品をゆっくりと見られて、もちろん継続してTOBIU CAMPでも全ての作品が見られます。芸術祭は16時までの明るい時間帯、TOBIU CAMPではライトアップされる夜の時間帯。雰囲気が変わるので、2回来る人もいますよ。

     

    — では、現在芸術祭の柱にもなっている「飛生の森づくりプロジェクト」について聞かせてください。

    国松 飛生小学校は町から借りているんですが、あらためて調べたら敷地が意外と広くて、裏の林も使えるとわかった。ここを芸術祭の会場としてつくりながら、芸術祭とTOBIU CAMPを同時に始めていった感じですね。最初はただ一本の道だけを切り開いて、そこにステージをつくったり、作品を置いていました。森づくりっていうと、植林などを思い浮かべると思いますが、飛生はあたらしいかたちの試みということで、他の森づくりの活動をしている団体などから注目してもらっています。

    木野 行政や自治体ありきでなく、アーティストや僕たちスタッフのイニシアチブで森づくりをやっていることは、地方発信のありかたとしては強いと思うし、そもそも純粋に「やろう!」っていうところからスタートして大きくなってきているから、かなり自発的なアクションだと思いますね。

    毎年、(国松)希根太が中心になって1年間のプログラムを考えて、毎週何をやるか作業工程も細かく決めてネットで配信して、それに来られる人とすすめていく。基本的に森づくりの参加は自由なんだけど、循環した作業工程にはまっちゃう人もいます。やめられなくなる、そういう力がある場所なんです。

     

    photo : Naoki Takahari

     

    国松 もうひとつは、芸術祭やTOBIU CAMPで多くの人に見てもらうお披露目の意味もあるので、みんなそこに向かって進めていくんです。その年の芸術祭が終わった後に、来年はだいたいここまでやろうと決める。5年計画で、今年はその5年目を迎える、ひとつの区切りの年ですね。家や火を囲むところ、会場のシンボルとなるトゥピウタワーなど、大きいところは大体できて、場所は整ってきました。来年以降はここで何をするか、中身をこれからつくりこんでいきたいなと。

    森づくりには、世代も職業もバラバラな人たちが自発的に関わってくれていて、のべ200人くらいは参加していますね。作業が終わって温泉行ってバーベキューして1泊して…合宿スタイルでやっていくうちに、だんだん家族のようになってくるんです。今は、アーティストよりも普通に仕事している人、そして白老というより札幌・苫小牧など外の参加者が多い。チェーンソーを持ったこともなかった人が持てるようになって、そのうち自分で買っちゃったり(笑)。

    木野 ただのうっそうとした笹だらけの場所だったから、今出来上がってきた会場を見ると、ちょっと自分たちも信じられないですよ。

    国松 森って木がどんどん育っていくから、管理しないと荒れてしまう。ある意味、森づくりに終わりはないんです。どうつきあっていくか、どう守っていくかが今後の課題ではあるけど、それでも、なにかやりたいとかつくりたいって誰かが言い出して、結局何かをこの森でやっていくんだろうなと思っています。

     

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    *1 國松明日香:彫刻家。鉄を題材にした大型のモニュメントを手がけ、札幌市内の公共施設に多くの作品が展示されている。現在、東海大学国際文化学部デザイン文化学科講師。

    *2 「TOBIU MEETS OKI」:2007年、飛生アートコミュニティーで開催。アイヌのトンコリ奏者OKIをはじめ、音楽LIVEとアートフェア、空間演出などに様々なアーティストが参加。

    *3 MAGICAL CAMP:2007〜2009年まで札幌テイネハイランドにて開催された、音楽とアートが渾然一体となった野外フェス。プロデューサーは木野哲也。

    *4 竹浦小学校の生徒とのワークショップ: 2011年から継続して行なわれている、美術家の富士翔太朗と白老町立竹浦小学校全生徒によるプラネタリウム制作や音楽制作。作品や音楽はTOBIU CAMP会場で公開される。

    *5 淺井裕介:テープ、ペン、土、埃、葉っぱ、道路用白線素材など身の回りの素材を用いて、キャンバスに限らずあらゆる場所と共に奔放に絵画を制作する美術家。国内外での展示多数。

    *6 今村育子:主に日常の中にある些細な光景をモチーフにインスタレーション作品などを制作している札幌在住の美術家。

  • 僕らは同じ夢をみる − 飛生芸術祭、TOBIU CAMP、そして森づくりとは?【後編】

    photo : Ami Igarashi

     

    — では木野さんにお聞きしますが、MAGICAL CAMPからTOBIU CAMPへと変わったいきさつとは?

    木野 MAGICAL CAMPは3回テイネハイランドで開催した後、続けるつもりで札幌近郊の別な場所を探していたけど、グッとくる場所がなかったんです。そんなとき飛生で希根太と話していて、「森をつくろう」って話になったときに、それはすごいな!ってめちゃくちゃワクワクしたのが、TOBIU CAMPの始まりかな。ここで俺は本当の「つくる」っていう意味を知るんだなって思いました。だって、自分たちやお客さんが歩く道自体から、全部つくらないといけないわけだから。

    MAGICAL CAMP とTOBIU CAMPは、対極にあるような気がしていて。MAGICALは都市にわざとカオスをつくりだすような、キラキラした刹那的な感じ。TOBIUは、完全に地べたに足がついて、自力の、自分たちのスピードで進んで、薮を切りひらかないと始まらないイベントなんです。

    僕はTOBIU CAMPではなるべくその日だけの仮設物を減らしたい。そのときだけ置いて、終わったら撤収!じゃなくて、その次の年も使えたりそのまま残ったり、いつか朽ちて行くものがいい。でもそれって特別なことじゃなくて、実はあたりまえのことだなと実感できることがすごく新鮮だったし、TOBIU CAMPはそんなペースの中で演出を考えていきたいと思いました。

    そもそも、イベントとしてアーティストだけを前面に出すというやり方もしなくなったし、むしろ僕たちスタッフは1年に5ヶ月くらい森に入って会場づくりをしているから、アーティストよりスタッフの想いのほうが強いんじゃないかな。アーティストはいちキャストでありいち演出のひとつ、TOBIU CAMPという時間を構成する人たちっていう捉え方です。

    MAGICAL CAMPはいわゆる野外フェス的な志向だったけど、TOBIU CAMPはそれとはまったく違うものですね。

     

     

    — その違いとは、どんなところにあるのでしょうか?

    木野 TOBIU CAMPのキーワードは、物語。今回は昨年に引き続き、芸術祭のテーマが「僕らは同じ夢を見る」なんですが、TOBIU CAMPも一夜の物語にたとえられるんです。一夜、森や古い校舎で過ごすということや、その感覚のなかで見たり聴いたりすることって、非日常で、すごく特別な体験になると思うから。

    象徴的なエピソードがあるんです。昨年、サックスやアコーディオンを演奏しながら人形劇をする「おたのしみ劇場ガウチョス(*7)」がキャストで参加してくれたとき、2回目の上演は夜だったから、子どもたちはみんな寝ていて見ていないはずでした。だけど翌朝、子どもたちが「昨日、人形劇見た?」「見た見た!」って言っているのを劇団の人が聞いて、”見ていないのに、まるで見たかのように話している、これこそ「僕らは同じ夢を見る」じゃないですか?”って僕に言ってくれたんです。飛生には、そういうことが起こるような力、シチュエーションがあるような気がしますね。

    芸術祭ともリンクするけれど、僕がアーティストにオファーするときに伝えているのは、「あなたはこの飛生という場所でなにができますか?普段あなたが出演するようなライブ会場や、アート作品を展示するギャラリーでやっていることをそのままここでやっても、強くはないし、作品の伝えたい意図がマッチングするわけでもない。だからなるべく事前に一度この場所にきて、インスピレーションを感じてもらって、本番に制作や発表の照準を合わせてきてほしい」っていうこと。そのアーティストが出る前後の流れもあるし、そこでどんな表現をしたいのかを考えてほしい、という宿題を出しているようなもので…まあしかし、生意気なイベントですよね(笑)。

     

    photo : Noriaki Kanai

     

    — アーティスト側は、そのオファーにどう反応されますか?

    木野 アーティストは、イベント側からそんな風に言われたことがないから「なんかすごいこと言いますね!」って、いい意味で言ってくれます(笑)。「表現者としてやっていくうえでの価値にプラスになるような気がしてすごく楽しみだ」と。

    主催者側と、プロデューサーやディレクションで関わる人たちと、スタッフ達、そしてアーティストが全て同じ方向を向いたら、すごく強いものができると思いませんか?たとえば映画だと、最後エンドロールでずーっと名前が出るでしょう。ロケバスを運転した人やお弁当つめてくれた人の名前まであると聞いたことがあって、その人たちがみんな同じ台本を持っている。芸術祭やTOBIU CAMPは、その台本を何年も何年もかけてつくるんだから、そりゃあすごいものができるよ!っていう、大げさだけどそういう感じですね。

    国松 そういう意味合いもあって、美術、音楽などジャンルにかかわらず、キャストっていう呼び方に統一してみんな並列にしているんです。美術作品は、大道具じゃないけど、ひとつの舞台の要素をつくっているっていう感じがありますね。お客さんも、その舞台を構成するキャストのひとりです。

    木野 キャストには地元色も出していきたいと思っていて。たとえば今回ゲストで呼んでいる「GIANT SWING(*8)」はタイで5年以上続いている、世界中の人や音楽好きが集まるバンコクの中でも選りすぐりの素晴らしいパーティーで、それをつくっているのが北海道人であり、そのうちの1人が室蘭出身なんです。

    そして、地元という意味では、白老にはアイヌ民族の存在がある。今やポロトコタン(アイヌ民族博物館)とのつながりができ、館長をはじめとして僕たちにいろいろ協力してくれたり、そこで働くアイヌの若者たちがTOBIU CAMPに参加してくれるようになったことは、ありがたいことだなあと思っています。

     

    photo : Hideki Akita

     

    — その中でも、マレウレウ(*9)による「ウポポ大合唱」は5年間続いていますね。これはどんな風景になるんでしょう?

    木野 ウポポとはアイヌの伝承歌で、多くは輪唱です。リムセっていうのが踊り。このときはほかのステージを全部止めて、みんなで火の周りに集まります。大きな焚き火を囲んでみんなで円になって歌うんだけど、輪唱だから終わらないし、人間の声のエネルギー、倍音も発生する。全員でつくる儀式のようなもので、TOBIU CAMPの中でも象徴的な時間ですね。そこでアイヌの若者たちが踊るんです。

    とくにアイヌ民族だからということではなく、大きな表現の時間軸の中で、同じ町に住んでいる先住民族の活動や表現が見られる時間があったらいいと思っているんです。こっちは演出を、向こうはパフォーマンスと人と時間とを、対等に出しあって良い場面をつくろうという想いがだんだん混ざり合ってきたという感じ。これってすごく大きなポイントだと思いますね。

    国松 TOBIU CAMPでは土に足をつけて、本当に大きな火を囲んで踊るから、昔はこうだったんだろうなという踊りの雰囲気が再現できていると感じます。

    木野 自分たちでやれることしかやらないとは言いつつ、もっともっと演出を作り込んでいきたい。去年から舞台の照明作家さんが関わってくれて、「暗闇をつくるために灯りをともす」っていう素晴らしいプロの仕事を見せてくれて、これこそ本当の物語だ!って思いました。大きな理想ですが、お客さんが、エントランスをくぐった瞬間に「あ、これは何かやばいな」って思ってくれるような仕掛けをつくっていきたいですね。

     

    — TOBIU CAMP初心者の人のために、当日持ってきたら良いもの、また、メッセージをお願いします。

    木野 テント、雨具、秋のキャンプだから防寒具、温泉セット、虫除けスプレー、懐中電灯、長靴、このあたりは必須。駐車場からちょっと距離があるから、荷物が多い人は、折りたたみ式のキャリーカートがおすすめ。小さいお子さんがいたり、どうしてもキャンプはできないって人は、近くに安い民宿や温泉宿もあるから、それを使ってもいいですしね。

    国松 去年は小さな子ども連れの家族の参加がとても多かったですね。キャンプサイトにはファミリースペースがあるし、全部屋外ではなく校舎や体育館もあるので、キャンプのつもりで気軽に遊びにきてほしいなと。ちなみに、高校生以下は入場無料です。それと、TOBIU CAMP当日、実は人気なのがワークショップ。見たり聞いたりだけでなく、自分で手を動かすっていうのが楽しいんです。

    木野 TOBIU CAMPは森で過ごす一夜を自分のペースで楽しめるのがポイント。アーティスト目当てというよりは、森をふらっと歩いたら誰かが演奏していた、それが誰なのか知らない…っていうのも、きっと面白いですよ。

     

    photo : minaco.

     

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    【開催概要】

    飛生芸術祭 2015「僕らは同じ夢をみる−」
    会期:2015年9月6日(日)〜13日(日)
      *12日(土)〜13日(日)「TOBIU CAMP 2015」開催(入場料がかかります)
    会場:飛生アートコミュニティー
       北海道白老郡白老町竹浦520(旧飛生小学校)

    TOBIU CAMP 2015 (トビウキャンプ2015)
    日時:2015年9月12日(土)~13日(日) オールナイト(キャンプイン)
       12日 開場12:00 開演13:00/13日 閉場14:00 雨天決行
    会場:飛生アートコミュニティー校舎と周囲の森
       北海道白老郡白老町竹浦520 (旧飛生小学校)
    入場:チケット発売中
    ◎前売 3,500円 予定枚数に達し次第販売終了
    ◎ウェブ前売予約 4,000円 [ウェブサイトにて要予約 ]
    ◎しらおい割前売券 3,000円[白老町内取扱店のみ:限定枚数]
    ◎当日 4,500円
    ◎大学生 2,500円 [メール予約の上、当日学生証掲示]
    ◎高校生以下 無料[保護者同伴のもと]
    駐車場:無料(会場まで徒歩約7分)

     

    *7 おたのしみ劇場ガウチョス:札幌を拠点に活動する人形劇団。マリオネットを使った人形劇は子どもから大人まで楽しめるユニークさがあり、北海道各地で上演している。

    *8 GIANT SWING:タイ・バンコクにて5年以上、北海道出身の日本人DJによってオーガナイズされてきたパーティー。mAsa niwayamaとNKchanのDJがTOBIUCAMP2015に登場。

    *9 マレウレウ:アイヌに昔から伝わる伝承歌を歌う4人組。様々なリズムのパターンで構成される『ukouk』というアイヌの輪唱は、聴く者を天然トランスな世界に誘い込む。

     

     

    インタビュー 山本曜子、小島歌織
    写真 飛生芸術祭実行委員会、小島歌織

  • 若手演出家コンクール2014 最優秀賞受賞 弦巻楽団 代表 弦巻啓太さんに聞く

    劇団代表、演出家、俳優、演劇講師、札幌座ディレクター…様々な肩書きを持ちながら札幌で演劇活動を続けている、「弦巻楽団」代表の弦巻啓太さん。彼は昨年、全国の演出家を対象に日本演出者協会が毎年開催する「若手演出家コンクール2014」で、見事、最優秀賞を受賞しました。受賞作品『四月になれば彼は彼女は』は、7月に札幌でも公演が行われます。

    精力的に活動を行なう多忙な合間をぬって、弦巻さんご自身のこれまでの活動や今回の受賞について、お話を伺いました。

     

    ―弦巻さんが演劇を始めたきっかけはなんですか?

    中学校の時、学芸会で僕が『十五少年漂流記』を脚本化することになったんですよ。書いたら今度は先生に「お前が脚本にしたんだから演出もしなさい」と言われてやってみたら、「なんて楽しいものがこの世にあるんだ!」と電流に打たれたように感激して(笑)高校に入ったら本格的に演劇をやろうと思いましたね。その頃ちょうど姉が東京の第三舞台(*1)にハマりだして、それで小劇場演劇(*2)というものがあることを知りました。

    それで当時からすごく人気があった脚本家の野田秀樹さんや鴻上尚史さんの本を図書館に読みに行きました。だから高校時代にオリジナルで書いたものは、彼らの影響を凄く受けていましたね。

     

    ―その後大学に進学しても演劇は続けていたのですか?

    高校の時に、約40校から演劇部員100人以上が集まって、年に一本作品をつくる合同公演というのをやっていたんです。そこで知り合った人たちと高校を卒業してから「ヒステリック・エンド」という劇団を立ち上げました。メンバーは札幌だけでなくあちこちにいたので、決まった活動方針もないままのスタートでした。

    その頃は“テーマを選ぶ時、生きて行く上で感じてしまう矛盾や生きづらさなど、ちゃんと自分の血の通っているものを選ぶ”という鴻上尚史さんからの影響が大きかったですね。

    でも、それを形にしていく中で、鴻上さんの影響どおりにものづくりに取り組んでいても、彼のような作品になりきらない、ということが増えてきたんです。自分にとって必然なことをテーマに物語を描こうとしたら、もうちょっと違うジャンル、違う作風になっていくのが自分だとだんだん分かってきました。

    鴻上さんは「舞台上の演劇は、物語として完成させたくない」と仰ってるんですけど、僕はむしろ物語として完成したウェルメイド(*3)なものであってもいいんじゃないかと思うように徐々になって。そうであってもテレビなどに置き換えられない何かを舞台上に残すことができるんじゃないか、と思うようになったんです。

    僕の書いたウェルメイドな作品として『朝顔の部屋』という作品があるんですが、起承転結があるきっちりした物語で、伏線が最後は畳み掛けるように完結する、みたいな感じなんですね。でもそういった作品を作った後に自己嫌悪に陥ったんです。泣いて欲しいと思って書いて「ここで泣いてくれ、俺も泣きたいんだ!」と上演すると、その通り反応してくれるお客さんがいる。嬉しい反面、それが人の心を弄んでるような罪の意識に苛まれて。僕はやっちゃいけないことをやったんじゃないか?と。

    なので逆にあらすじは考えない、自分がこうしたいという狙いを一切持たないで、ぼんやりした想いだけで書いた作品が『ココロを消して』という作品です。台本を読んだ役者から「これはどういうことなの?」と聞かれても、僕は「いや、わかんないから書いてんだよ」っていう返答しかできないから、自分でもすごく苦しくて。あれは役者側も苦しかったでしょうね。でも、出来が悪かったとは思わないです。反省はあっても後悔はないというか、そういう風にしたことでやっと到達できたなという部分もあったんです。でも、もうこういうやり方はしないぞって思ったけど(笑)

    そういう色々な試行錯誤を経て、それ以降は割とウェルメイドで行こうと決めました。

     

    —その後、「弦巻楽団」になっていくわけですね。

    はい。「あ、『ヒステリック・エンド』でできることは終わったな」と思ったんです。それは別に悪いことじゃなく「俺、野球選手になるつもりでいたけど、よく考えたらソフトボールだったよ、だから俺はソフトボールをやるよ」という感じで。それで、ヒステリックエンドを辞めました。

    その後札幌で自分がやりたいことをやる時に、どのくらいのペースで、どのくらいのことをやっていくべきなのか、サイズみたいなものを考えて2006年に「弦巻楽団」を始めました。最初は「気が向いた時にやる」くらいのつもりで始めたんですが、その年の札幌劇場祭(TGR)で上演した作品が大きな賞をいただき、色んな所から「上演して欲しい」という話が来て。僕は高校生の頃から「演劇なんてやめてしまえ!」と家族や部長、高校の演劇部の顧問、周りの部員に言われ続けていたので、「公演してください」と言われると嬉しくて、全部引き受けちゃって、ひっきりなしに公演することになったんですよ。

    弦巻楽団を本格的に始めるまでの間、児童劇団の講師をやっていたんですが、そうするとまわりが「教えることができる人」と見てくれるようになって、講師のような仕事も増えました。そうこうしているうちに北海道演劇財団付属の札幌座ディレクターにもなったりと、現在も様々な形で演劇を続けています。

    -弦巻楽団『ナイトスイミング』より

     

    —長く続けることになった演劇の魅力とはどのようなところだと思いますか。

    僕はウェルメイドな作品を若い時から嗜好しているんですが、それって一見するとテレビドラマや映画でも出来そうな作品なんです。なので「これだったらテレビでいいじゃん」「これだったら演劇でやる意味ないじゃん」と昔からよく言われていたんですけど、僕はそれが全然理解できなかったんです。目の前に人間がいること自体、もう演劇としての価値が充分あると思っているので、仮にテレビドラマの脚本をそのまま目の前でやられても、僕にとってそれは演劇であってテレビドラマではないんです。

    テレビドラマは録画されて固定化されたものですが、劇場で起きたことは、多分その時一回だけのものなんです。同じように誰かが喧嘩したり誰かを殺したりしても、その時「何か起きた」ことはその時一回限りに生まれたものであるはずだし、あるべきだと思うし、それをできることが役者の仕事だと思っているんです。そして、その一回限りを目撃してしまうという生々しさが、演劇の魅力だと思うんですよね。

    人生の中で1度だけ起こる悲喜劇を前のめりな感じで目撃できる。それを通して「自分の人生にこれが起きたら?」「人間はこういう時どうするべきなんだろう?」と考えたり面白がったりできる。僕にとって演劇の魅力って言うのは多分そこにあるんです。

    僕から見ると、映画とかドラマは監督のものなんです。演劇はもうちょっとフラットというか、観客も一緒になってそれを目撃して、ある意味共犯関係を築いて、その問題に対して体験する。そういうところが演劇や劇場のいいところだと思っています。

    逆に言うと、どんなに演劇でしかやれないことをやっていても、舞台上にいる人間同士が今この一瞬初めて芽生えたものが見えなかったら、テレビや映画と一緒だってことになるんだな、と。僕にとってのラインはそこだと思います。

    -弦巻楽団『死にたいヤツら』より

     

    —長いキャリアの中で今回、若手演出家コンクールに応募したのはなぜですか?

    今までは、「演出家コンクールだから、演出に比重を置いた作品を送らないとダメなんだろうな」と思っていたんです。僕の作品の魅力になっている要素は脚本が7割くらいだと思っているんです。そもそも演出というものをあんまりしたくないという気持ちがあって「音と光でこういう風にしたらこんな気持ちになる」とかお客さんを誘導できるのはなんとなくわかっているけれど、「それってやっていいの?」という罪悪感がどうしても拭えなくて、あんまり演出に凝った仕掛けをしないんですよね。

    今回応募したのは、今年の8月に再演する『ブレーメンの自由』という作品で、ドイツのファスビンダーという劇作家の作品を僕が演出したんですが、演出だけにすごく力を注ぎ込んだ舞台だったので、「これは送ってもいいんじゃないかな?」と思ったのがきっかけでした。

    一次くらいは通るかなと思ってたんですが、二次も通り、三次審査は東京で行われました。三次審査に出品した作品は『四月になれば彼女は彼は』という作品で、今度7月2日に札幌シアターZOOで上演します。この作品は「岸田國士(*4)の『紙風船』を稽古している2人」という内容で、ありがたいことに最優秀賞をいただきました。

     

    —なぜ題材に「紙風船」を選んだのですか?

    そもそも優秀賞を取れると思っていなかったので、三次審査出品にあたって、何の準備もしていなかったんですよね(笑)時間も予算もあまりないのでシンプルなことをやろうというのと、脚本は書けないなって思ったのも理由です。「演出家コンクール」だから演出を見せなきゃいけないと思った訳です。何をやるべきなんだろう?自分にとって演出家コンクールの決勝でやる必然のあることってなんだろう?自分の演出の根幹をちゃんと見せないとダメだよな、とか小難しく考え始めちゃって。むしろ「みんなこの課題台本を演出しなさい」と言われた方が楽だった気がします。

    稽古を始めても何やっていいか全然わからなくて。男女1人ずつが出ることは決めていて、そこからどうしよう?って時に、とりあえずいろんな2人芝居の台本を読んでもらったんです。岸田國士の作品だと『葉桜』とか『ブランコ』なども読んでもらいました。

    『紙風船』も、最初は「やっぱり違うかなあ」と思ったんだけれど、何かの拍子に、ふと『紙風船』の夫だけの台詞を役者に言ってもらって、妻の台詞は全くなくしてみたんです。奥さんの代わりに人形をひとつ置いて、それを奥さんと見なして。そこで「これだ!これならやってもいい!」と思えたんです。そこから『紙風船』を稽古している2人という設定で3回くらい通し稽古をやっていく中で、少しずつ変え、結果として50分くらいの作品になりました。最後以外は音もなく、光の変化はあるけれど、それも「えっ?」みたいな使い方だし、全体的に削ぎ落とす作業の連続で、自分にとって今必然と思えることだけを詰め込みました。「とにかく完成させるために」を目標にしないようにしていたので、役者の2人は相当苦しかったと思います。

    -弦巻楽団『四月になれば彼女は彼は』より

     

    —弦巻さんの中では、自身の演出という部分に関するものが凝縮された作品ということでしょうか。

    そうですね。他の人はどうかわからないけれど、自分にとって「演出」というものは「生の人間がそこにいて何かが起きるかもしれない」という瞬間を作るか作らないか、が一番大事な部分なので、そこへ向けてすごく削ぎ落としたという感じですね。

    正直、(最終審査では)みんなそんな風に冒険した作品を持ってくると思っていたんです。でも僕ら以外の方々は、作品としてすごく完成されていたんですよね。「自分たちは今こういうことをやっています」という演出論が全部きれいにパッケージされているような作品でした。どの作品もすごくレベルが高くて、「この人たちが(賞を)取るな」って思いましたね。

    僕らだけ全く別なことをやっていたんで、「あれ?ソフトボールのまま甲子園に来ちゃったかな?」って感じでしたね(笑)そしたら「この作品が受賞するだろうな」と思っていた人と決勝で残りまして、結果、運良く最優秀賞を頂けました。僕が他の三名と同じような戦い方をしていたら、勝てなかったかもしれません。

    『四月になれば彼女は彼は』はそういった作品なので、普段の弦巻楽団みたいに「客席に座っていれば、何もかも全部送り届けてくれるエンターテイメント」ではないですね。でも、これまでのすべての作品を繋ぐ、芯のような作品です。

    僕の母親がたまたま東京で観てくれたんですけれど、「なんかよくわかんなかったわ」って言っていました(笑)7月観に来てくださる方は、そのあたり踏まえて見てもらえるといいかもしれませんね(笑)

    *1 第三舞台 : 1980年代の小劇場ブームを牽引した劇団のひとつ。早稲田大学演劇研究会メンバーにより1981年結成。主宰は鴻上尚史(劇作家・演出家)。筧利夫、勝村政信らを輩出。

    *2 小劇場演劇 : 本来は「小さな劇場で公演される演劇、またはそこで活動している劇団」を示していた。現在は、有名人をキャスティングした大衆演劇(商業演劇)の対義語として使われる場合が多い。

    *3 ウェルメイド : 演劇ジャンルに於いては、新劇、アングラ劇などと比べ、展開が巧みで物語性がしっかりしている作品を指す。

    *4 岸田國士 : 日本を代表する演劇人のひとり。劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。パリでフランス演劇史を研究し、1930年代には明治大学に演劇・映画科を新設するなど、日本の近代演劇史に大きな影響を与えた。その業績を顕彰し、没後、岸田國士戯曲賞が創設された。女優・岸田今日子の父。

     

    弦巻啓太 / Keita Tsurumaki

    弦巻楽団代表。脚本家/演出家。札幌座ディレクター。扇谷記念スタジオシアターZOOディレクター。クラーク記念国際高等学校クリエイティブコース講師。

    札幌生まれ札幌育ち。19歳の時に高校演劇で知りあった仲間と「ヒステリック・エンド」を設立。2003年まで在籍しほとんどの公演で作・演出を務める。2006年より弦巻楽団として継続的な活動を開始。全ての公演で脚本・演出を務める。

    2006年『死にたいヤツら』で札幌劇場祭大賞、2010年『音楽になってくれないか』で札幌劇場祭脚本賞、2014年『ナイトスイミング』で札幌劇場祭オーディエンス賞を観客投票最多で受賞。2015年『四月になれば彼女は彼は』で日本演出家協会主催「若手演出家コンクール」にて最優秀賞受賞。

    劇団では初心者から参加できる『演技講座』『戯曲講座』も開催。他に年間80回を越すワークショップを道内各地で行っている。

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    《公演情報》「若手演出家コンクール2014」最優秀賞受賞記念

    弦巻楽団『四月になれば彼女は彼は』

    【作・演出】 弦巻啓太
    【出演】 深浦佑太 深津尚未

    【日時】2015年7月2日(木)15:00  /  20:00
       ※どちらの回も、弦巻による受賞報告を兼ねたアフタートークあり
       ※開場は開演の30分前です。

    【会場】シアターZOO
        (札幌市中央区南11条西1丁目ファミール中島公園1F TEL.011-551-0909)

    【料金】前売2,000円 当日2,500円 

    【チケット予約・問い合わせ】弦巻楽団 090-2872-9209
                          tsurumakigakudan@yahoo.co.jp

     

    インタビュー カジタシノブ 

    編集 阿部雅子、カジタシノブ  

    写真 弦巻楽団、山本曜子

  • NEVER MIND THE BOOKS 2015 開催決定! - つくるを楽しむ「ZINE」のススメ


    2011年、札幌のデザイナー菊地和広さんが衝動的に個人で主催したZINE(インディペンデント、自費出版の小冊子)販売イベント、「NEVER MIND THE BOOKS」。その後、回を重ねながら札幌の恒例ZINEイベントとして定着しつつあり、2014年は道外のZINEイベント団体との交流を行い、その活動の幅も広がっています。
    今年も7月20日海の日に、4回目の開催が決定。主催者であり、つくり手でもある菊地さんに、ZINEのおもしろさやイベントについて伺いました。

    —札幌でZINEのイベントを始めたきっかけを教えて下さい。

    もともと、紙媒体での表現が好きだった僕は、フリーペーパーみたいな紙もの作品をいろいろつくっていたんです。それをゲリラ的に配ったり売ったりしていたんですが、2009年から東京で行なわれているZINEの一大イベント、「THE TOKYO ART BOOK FAIR」(*1)に作り手として参加したことが、「NEVER MIND THE BOOKS」のそもそものきっかけになりました。自分のつくったZINEを直接お客さんに販売するという体験が新鮮で、すごく楽しかったんです。

    なかでも面白いエピソードがあって。「THE TOKYO ART BOOK FAIR」は数日間開催され、販売会場では数多くのブースが設けられてたくさんの出店者が並びます。僕は初日から行って、それなりに頑張ってつくったものを持ち込んで売るじゃないですか?でもそうそう売れないわけですよ。あるときふと自分の隣のブースを見たら、その場でZINEをつくっている人がいたんです。間に合わなかったのかなんなのかわからないけど(笑)、手を動かしながら、売りながら、ということをやっていたのが印象的でした。
    翌日2日目の朝に、たまたま「なでしこジャパン」が優勝したというので街が沸いて、号外が出ていた。その号外を一応もらって、かばんにしまって会場に向かいました。そして会場でまた周りがZINEをつくっているのを見て、「俺もやりたいな」って思った。そこで、もらった号外を折って、はさみで切って、めちゃめちゃにいたずら描きしてホチキスで留めて売ってみたんです。即興で。そしたら売れたんだよね〜!(笑)むしろ自分でつくってきたものよりも反応が良くて「うわー、これって成立しちゃうの?」と。もうめちゃくちゃだよね(笑)。


    —世界にひとつのアートブックという扱いになったんでしょうね。

    そう。そういう感覚は今までなかったから、これが成り立つとわかって、すごく面白くなってきたんです。そして、こういったZINEイベントを自分でやりたいなと。札幌でも「THE TOKYO ART BOOK FAIR」に参加する人が増えてきたし、ある瞬間に「もしかして、自分でもできるんじゃないか」っていう衝動が生まれてきた。
    そのベースには、色んな展示やイベントに参加したり観たりするうちに抱いていた「札幌は観る側としてでなくプレイヤーとしてなにか作りたいと思っている人が意外と多いのではないだろうか?」という感覚があって。もしそうなら、ZINEイベントは札幌にぴったりかもしれないと思ったんですよね。

    —その衝動とイメージから、初めてのZINEのイベント「NEVER MIND THE BOOKS」を開催するわけですね。

    やろう!と突発的に思い立って、決めてから開催まで2週間という短期間で、準備から人を集めることから基本一人でやりました。我ながらよくできたなと。とはいえ、知り合いもいないし、参加者をどうやって募集したのかも覚えていないです(笑)。ATTIC(*3)で開催した初回は、出店がZINEでなくても良くて、つくっているものを販売するというイベントでした。最初は、出店の応募が5組くらいしか来なかったらどうしよう?と不安もあったものの、急な募集にも関わらず15組ほどが参加してくれたんです。お客さんの入りも良くて、盛況に終わりました。
    今でもそうだけど、周りがすごいというか偉いというか、参加から手伝いから、いろいろとやってくれるんですよ。この土壌に感謝しなければといつも思ってます。

    —初回の手応えを感じて、その後もZINEイベントを継続しようと?

    とりあえず一人でやってみて、良かったなぁとのほほんとしていたら、思いがけず好評で「またやらないの?」という声が多かったので、次のイベントの構想をあたためていた。その頃、ZINEのつくり手でもあるデザイナーの3人と「一緒にイベントをやりたいね」と話していたんです。
    その構想を、札幌の大人気マーケットの「LOPPIS」(*2)さんの運営チームに話したら、「NEVER MIND THE BOOKS」をもう少し大きくちゃんとした形でイベントにして、一緒にやりませんか?と誘ってもらえたんです。デザイナーの3人を実行委員として迎え、ひとまわり大きなイベントとして2013年、「LOPPIS」さんとともに二回目の「NEVER MIND THE BOOKS」を開催しました。

    -NEVER MIND THE BOOKS 2013の会場風景

    —「LOPPIS」さんと同時開催してみて、反響はいかがでしたか?

    「LOPPIS」さんそのものにお客さんがたくさん来てくれて、大盛況でした。そこからの流れで「NEVER MIND THE BOOKS」も賑わっているように見えたし、僕自身も「僕らのイベント、すごく盛り上がってるな!」と満足していました(笑)。
    出店者は前回の倍に増えて、30組を越えました。イメージはあったものの、正直、札幌に、こんなにつくり手がいるんだ!と思うくらい。この回から、実行委員によるチョイスの委託ブースも設けています。

    —出店者の方たちがとても個性豊かで、お客さんも自分のお気に入りを見つける楽しみがありますね。

    うちのイベントは紙もの作品さえ出していれば、小物や雑貨、パブリック的な商品も販売OKなので、これにめがけて、小さい冊子をつくってくるお店、個人も多い。参加者の幅が広いんです。層としては個人からお店、ギャラリーなども出してくれているし、ジャンルとしてはアート、デザイン、写真、音楽、漫画…とさまざま。年齢は、高校生以上であれば参加OK。プロのデザイナーの方が参加してくれているのもいい。お客さんにとっては見応えがあるし、参加者同士ではつくる刺激になる場。札幌だけではなく、道内、道外からの出店者もいます。
    今年も5月末まで出店者を募集しているので、ぜひふるってご応募ください。

    —2014年は「NEVER MIND THE BOOKS」単体で、テレビ塔での開催でしたね。

    「年に一回開催」というスタンスを意識しているわけではないものの、なんとなく「去年はこうやったから、今年はどうしよう」「あれをやってみたい」って気持ちが出てくるんじゃないかな。イベントって、一回きりとか、すぐ終わったとかいうのはちょっとしゃくだし、続けてこそだと思っていて。「LOPPIS」さんとの回が終わった時点で、次は純粋に自分たちだけで場所を借りてやろうと思ってたので、ずっと狙っていたテレビ塔での開催を決めました。
    僕は個人的にテレビ塔がすごく好きで。昔から普遍的にあるけれど、あまり行く機会がない…そんなごく普通のところで、展示でもイベントでもいい、何か文化的なことをやりたかった。「NEVER MIND THE BOOKS」をやり始めたので、ちょうどいい、ここでやろうと。

    イベントを開催するにあたっては、この場所でこんなことをしたいというような、着眼点が大事だと思っています。それがイベントの顔になったり、自分のカラーになる。僕はそういうアイディアを普段から、しめしめとね、ストックしてるんです(笑)。しかもテレビ塔って電波にかかわってるし、いいぞ、ここから札幌に電波を発信するつもりでやろう、と。適当な感じですけど(笑)。

    -「10zine」をゲストに迎えて、福岡のZINEを販売

    —2014年の開催を振り返ってみていかがでしたか?

    前年「LOPPIS」さんと同時開催したことが妙な自信になって、僕個人は、これはいける!と思ってました。他の実行委員は不安だったらしいけど(笑)、フタを開けてみたら、なんと50組も出店してくれて、さらに規模が大きくなりました。しかも、毎回そうですが、面白いなあと思うものをつくっている方がたくさんいる。
    前回は、ご縁ができた道外のZINEイベントと交流を持てたこと、それぞれのイベントに参加しあえたことも大きな収穫でしたね。福岡でイベントを行っている「10zine」さん、浜松でワークショップを行っていた「ZING」さんをゲストとしてお呼びしたり。僕らも視察をかねて行ってきたんですが、すごくよかったんですよね。それぞれ地方色を活かした、とてもクオリティの高いイベントでした。参加者さんたちの、自分の考えているものを紙に定着させる力がすごくて、つくり手としてもたくさん刺激を受けた。地方でやっている人たちの存在が、札幌でまだまだ出来ることがあるんだという自信に繋がりましたね。

    —つくり手でもある菊地さんにとって、ZINEの魅力とは?

    やっぱり、最初に話した、いたずら描きしたものが普通に売れてしまうって言うことに集約されていると思う。感性だけで勝負できる。だって普通に生活していたら、そんな状況ってなかなかないでしょ?そういう感覚を味わえることですね。
    それと、ZINEは手書きでも、印刷でも、コピーでもつくれる。いろんな手法が使えて、表現の振り幅がある。一枚の紙をポンと与えられた時に、自分が何をつくれるだろう?と考えるのも楽しいです。
    ZINEをつくったことがない、またはやってみたいけどなかなか…という人も、手を動かしてつくってみるとわかることがあるので、是非やってみて欲しいですね。なんだったらもう何も考えないで、その場でつくってもいいわけだし、そういう方もいますね。たぶんね、あれは間に合わなかったんだと思う(笑)。

    うちのイベントは対面販売だから、ダイレクトにお客さんから反応をもらえるのもいいんです。手売りって、結構ビビるででしょ。最初はお客さんとうまく話せないとか、どうしたらいいの?っていう体験も、後から、こういうとき自分だったらこうするんだなって客観的に思い返して楽しかったり、刺激になったりする。
    お客さんとしてイベントを楽しんでもらうのはもちろん歓迎。ただそれ以上に、つくり手として参加して、手売りをするということがすごく楽しいので、絶対にオススメですね。売り手さんには、自分のブースをあけっぱなしでよそに行っちゃってる人もいる。なんでもいいわけですよ、もはや。それが面白いっていうのもある。イベントを開催する時期はテレビ塔の下でジンギスカンをやってるからそれめがけて来てもらってもいいし。もはやZINEと関係なくなってますね(笑)。

    -浜松からのゲスト「ZING」が行ったワークショップ

    —つくることと売ること、どちらも楽しめる場でもあるわけですね。

    そうです。かといって、「自分で、手でつくることが大事!」という意識もあまりない。僕がつくっていて気持ちのいいものって感じかな、とくにメッセージ性はないんです。ただ、ZINEっていうものが文化の中にあるなら、その面白さを伝達したいなという感覚でやってます。僕も、一応代表だけど、肩の力を抜いて楽しんでいます。
    ちなみに去年はZINEづくりのワークショップを開催したんですけど、参加してくれた小学生の男の子の作品に嫉妬した(笑)。もう自由に衝動的につくっているんだけど、発想がすごくって、天才だ!って思いましたね。

    —印象的なイベントタイトルは、初回に菊地さんが命名されたものですか?

    はい、ピストルズのアルバムタイトルですね。ダジャレ。反骨精神とか全くない。行き当たりばったりな命名をしてしまって、ちょっと長かったかなと後悔していますが、これにしてよかったと思うのは、自分達のカラーが出ているところですね。ぱっと見、ZINEのイベントなのかどうかわからないのもいい(笑)。僕は個人的に、このイベントがマルシェまで進化していってもいいと思っているんですよね。いかようにも変化していけるなと。

    —7月20日、海の日の開催。4回目となる今回も、テレビ塔での開催です。

    もう三年、だけどまだ三年。常日頃考えているアイディアをこれからどう形にしていくかがテーマだなと。今年も海の日一日限りで、テレビ塔の2階に、幅広くいろんなZINEが集結します。ジャンルを問わない、紙っていうものを通しての発表の場ですね。自分も参加者として楽しみです。
    19時半までやっているので、おでかけのついでにでも立ち寄ってみてもらえたら。ちなみに、テレビ塔の2階はかなり高いところなので、階段ではなくエレベーターに乗ってきて下さいね。

    NEVER MIND THE BOOKS 2015
    日 時:2015年7月20日(月・祝)11:00 – 19:30
    会 場:さっぽろテレビ塔2F しらかば・あかしあ・はまなす(札幌市中央区大通西1丁目)
    入場料:無料

    出展参加者募集中【2015年5月29日(金)まで】

     

    *1 THE TOKYO ART BOOK FAIR
    2009年から毎年定期的に東京で開催されている、現在アジアで最大規模のアートブックに特化したブックフェア。日本で本にまつわる活動を行う UTRECHT とロンドンのクリエイティブチーム PAPERBACK によるZINE’S MATEが主催。国内外のアートブックやZINEの発行者が直接プレゼンテーションする機会を目的に開催。2014年には出展者数350組、来場者数1万人を超える大きなフェアに成長。アーティストや出版社が一同に集結し、進化を続けるアーティストブックの世界観を体感することができる場となっている。

    *2 LOPPIS
    札幌を中心にした北海道各地のインテリア、雑貨ショップ、カフェ、ベーカリー、手工芸作家が集う、豊かなライフスタイルを提案する週末マーケット。2010年のスタート以来人気を博し、札幌のみならず道内各地で出張マーケットも行っている。2015年は札幌盤渓スキー場で6月5日(金)〜7日(日)開催。

    *3 ATTIC
    札幌の狸小路裏のビルにあったフリースペース。展覧会、ライブ、上映会など、サブカルチャーを中心に多種多様なイベントを開催していた。2013年12月に惜しまれつつ閉館。


    菊地 和広/Kazuhiro KIKUCHI
    1974年生まれ、札幌在住。
    2010年より“バックヤード”の屋号でアートディレクションとデザインを手掛けつつ、
    自主制作のZINEやグラフィックポスター、オリジナルプロダクトなどの制作活動もおこなう。
    NEVER MIND THE BOOKS代表。

    インタビュー:山本曜子
    撮影:minaco.(footic)、NEVER MIND THE BOOKS事務局、山本曜子
    撮影協力店:寿珈琲

  • 札幌軟石造りのスペース"HUG"がオープン - 展覧会を開催中の美術家 東方悠平さんに聞く

     

    2015年3月、大通公園からほど近くにオープンした北海道教育大学によるアーツ&スポーツ文化複合施設 Hue* Universal Gallery、通称HUG(ハグ)。*Hue=Hokkaido University of Education

    札幌軟石を使ったこの建物は、1931年(昭和6年)に八百屋問屋の貯蔵庫として建造され、その後も倉庫やカフェなどに姿を変えながら今日まで残されてきた街のシンボル的な存在です。 札幌軟石で造られたこの建物は、元の建物を一度分解した後にコンクリートで躯体を作り直し、再建されたものです。そのため、防音環境が充分整っており、今後は映画上映やパブリック・ビューイングでのスポーツ観戦といった使い方も視野に入れているそう。
    また、北海道の若手作家を紹介していく試みである「HUE Project(ヒュー プロジェクト)」の継続や「HUE Masters(ヒュー マスターズ)」と題して、北海道教育大学で過去に指導されていた作家の先生たち、大学卒業の作家やデザイナー、研究者などの作品を紹介する企画も計画中とのこと。

    今回は、現在「HUE Project」第一回目としての展覧会を開催中の美術家 東方悠平さん、HUGスタッフの南さんに今後のHUGの活動や公開制作中の展覧会についてお話を伺いました。

     

     

    ー「HUE Project」第一回目の試みとして東方さんを選んだ理由を教えてください。

     この場所は札幌軟石でできた建物で、HUGとして使われる前から地域の方々や歴史的建造物ファンの方の間では知られた存在で、そういった方々が建物を見にいらっしゃることも多いです。
    そのような普段はアートに触れる機会があまりない方々にも興味を持って頂けるような、わかりやすくユーモアをもった作品を見て頂きたいと思い、東方さんにお願いすることになりました。

     

    ー今回は完成形としての展覧会だけではなく、公開制作にしたのはなぜでしょうか?

     東方さんは作品における場所性を大切にしている作家だと思うので、このスペースでどういった展示ができるのかという可能性を探っていってほしいという期待と、作品が出来上がっていく過程を見せることでよりアートを身近に感じてもらえるのではと考えたからです。

     

     

    ー 展覧会のタイトル「Authentic Fabrication」の由来を教えてください。

    東方 <authentic>とは“真正の、信頼できる”といった意味で、<fabrication>は“偽造、でっちあげ”といった意味の単語です。
    本物と言われるものを否定してやろうというような斜めからの態度ではなく、絶対的なもののように思われる価値感や権威を前に、個別に判断することを放棄して、いわゆる思考停止になってしまった状態、そこに揺さぶりをかけるエクササイズのような展覧会を目指しました。
    そのための手段として、今回は札幌軟石を選びました。建材を扱った作品は以前から継続して制作していて、興味のあるモチーフの一つでした。

     

     

    ー建材への興味とはどういうものですか?

    東方 たまたま大学の授業で知った、「ヴァナキュラー建築」という言葉がきっかけです。
    例えば気候風土の特徴に合わせて工夫された形、その地域で手に入れやすい素材、昔から伝わる加工方法など、場所固有の特性によって培われてきた土着的な建築のことです。
    建材として鉄・セメント・ガラスにとって代わられる以前は、素材や形、技法の全てに、その場所だからこそ、という必然性があったのですが、現在はそれが失われつつあるということを知りました。
    自分が当時大学で専攻していた工芸にもそれを勝手に当てはめて、素材や技法の必然性のことなどを考えていました。それはその後、サイト・スペシフィックと呼ばれる、場所性が大事な構成要素とされる芸術作品への興味につながっていきました。
    特定の建材について考えるだけでも面白いコンテクストがたくさん見つかります。 例えば旧北海道庁赤レンガのようなレンガ造りの建物の普及は、日本が欧米の技術などを取り入れて近代化していく過程と重なるし、その後に何百年も経って、発泡スチロールでできたインテリア用のレンガが東急ハンズで売られていることについて考えると、何だか不思議な気持ちになります。
    札幌軟石についても、公開制作中に軟石について調べている方々がたくさん来られました。素材の特性や、建材として盛んに用いられていた当時のことなどを教えていただいたことは、少なからず作品にフィードバックされていると思います。

     

     

    ー作品のひとつであるゆるキャラも「Authentic Fabrication」の一環なのでしょうか?

    東方 そうですね。今回は「なんとなくなんせきくん」というキャラクターを作りました。実際に箱をかぶってキャラになることができる、いわゆる観客参加型作品です。
    ゆるキャラがそこら中に溢れている状況は、日本的なさまざまな問題を象徴しているように感じていて、これについても最近継続して取り組んでいます。

     

    ー展覧会の告知フライヤーでタイトルの下に書かれた「軟石を投じる?!」の意味を教えてください。

    東方 タイトルの「Authentic Fabrication」だけだとわかりにくいと思ったので、キャッチコピーみたいなつもりでつけました。

     昨年夏に札幌国際芸術祭で展示された島袋道浩さんの作品「一石を投じる」(日高の二風谷から運んできた巨石を札幌市北三条広場に置くという作品)は、道外から見た北海道・札幌への問いだと思いますが、それに対する北海道を拠点とした若手作家がどう応えていくのかという事を表してるんじゃないかと思います。

     

     

    HUE Project Vol.1/東方悠平:Authentic Fabrication - Sapporo
    会場 北海道教育大学 アーツ&スポーツ文化複合施設 HUG
    札幌市中央区北1条東2丁目4番地 札幌軟石蔵
    日程 2015年04月15日(水)〜2015年05月10日(日)
    時間 12:00 - 20:00 / 公開制作 4月15日(水)- 24日(金), 作品展示 4月25日(土)- 5月10日(日)
    休館日 火曜日

    詳しくはこちら

     

    東方 悠平/Yuhei HIGASHIKATA
    1982年生まれ、北海道出身。
    2006年 北海道教育大学札幌校 芸術文化課程美術コース 金属造形研究室 卒業。
    2008年 筑波大学大学院 芸術研究科 総合造形コース 修了。
    『第13回 岡本太郎現代芸術賞』に入選したほか、2011年には『神戸ビエンナーレ』の『しつらいアート国際コンンペディション』で奨励賞を受賞。個展やグループ展、海外でのアーティストインレジデンス等で積極的に活動している。見慣れたイメージをモチーフに、それぞれの意味や文脈を、ユーモアを交えて組み変えるような作品やプロジェクト、ワークショップ等を数多く手掛けている。
    http://higashikata.com/

     

    北海道教育大学 アーツ&スポーツ文化複合施設 HUG
    北海道札幌市中央区北1条東2丁目4番地 札幌軟石蔵
    tel.011-300-8989
    営業時間 12:00〜20:00 火曜日定休
    web:http://www2.hokkyodai.ac.jp/iwa/user/?uid=h_universal_gallery
    Facebook:http://www.facebook.com/h.universal.gallery

     

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    インタビュー 小坂祐美子
    撮影 佐藤史恵
    写真提供 HUG

  • BLAKISTON - mangekyoが手がける家具と生活雑貨のショップ、オープン

     

    2015年3月7日、札幌の桑園駅にほど近い元倉庫を改装してオープンした家具と雑貨のお店BLAKISTON。
    インテリアデザイナーのユニットmangekyoのお二人が手掛けるこの広くて高い天井が気持ちのいい空間には、オリジナルデザインの家具と、彼らがセレクトした生活道具や器、雑貨がゆったりと並べられています。
    鉄製の階段を上るとインテリアデザイン設計の仕事場でもあるロフトの空間が。
    オープンして間もないBLAKISTONにて、桑園エリアでこれから注目されていくだろうこのスペースに込めた思い、インテリアデザインの仕事への取り組みについて、mangekyoの桑原 崇さんと児玉 結衣子さんのお二人に聞きました。

     

    ー家具と日用品のお店 BLAKISTONをはじめようと思ったきっかけはどのようなことでしたか?

    児玉 以前からお店をやりたいなとは思ってたんですけど、何のお店をやるかは決めていませんでした。
    インテリアデザインの仕事では今まで、飲食店を手がけることが多かったのですが、クライアントは食に関してはもちろんプロフェッショナルな方々です。だから、自分たちがお店をやる時に、飲食の分野に参入して行こうというのはリアルに考えられませんでした。

    桑原 何をやるかは決めずに、色々と物件を見て回っていた時期があったんです。その時この場所を見つけて、ここでなら何かやりたいと思いました。そういう流れで物件を決めてから、何をやるかというソフトの面を考えて行きました。

    児玉 今まで10年以上インテリアデザインをやってきて、その中で家具や生活雑貨に関わってきました。だから、もっとインテリアを掘り下げて行くという意味でも、家具や雑貨を扱う方が自分たちのやることとして正しいんじゃないかと思ったんですね。それで、オリジナル家具と雑貨の店をやることに決めたんです。
    お店を構えることによって間口が広がり、インテリアデザインの仕事を手がける私たちのことを知ってもらえる機会が増えるんじゃないかなとも思っています。

    桑原 僕らはこれまで長年インテリアデザインに携わってきました。クライアントには理想的なライフスタイルを提案しておきながら、一方で自分たちは仕事に追われる毎日で、ひどく荒んだ暮らしをしていることにずっと矛盾を感じていたんです。生活に密着した身近なものに深く関わりを持つことが、自分たちの暮らしについて考えるきっかけになるのではと思いました。

     

     

    ーお店をやりたいと思い始めたのは、何か理由があったのですか?

    桑原 2010年から2年くらい、東京に拠点を移して仕事をしていました。東京で仕事をしていた時に「北海道で僕らができることって結構あるかもしれないな」と思ったことが大きいです。
    こういうお店も、東京で仕事をしていたら多分できなかっただろうし、北海道に戻って来たら何かやりたいなと思っていました。仕事や旅行で地方都市に行った時に、こじんまりした良い店が結構あって、そういう店に触発された部分もあります。

     

    ー物件を決めて、お店ができるまでどれくらいかかりましたか?

    桑原 インテリアデザインの仕事では、店舗の場合、設計を依頼されてからオープンまで最短で3ヶ月くらいなんですけど、ここを作るのはかなり時間がかかりましたね。
    物件を決めて、内装を考えて作ってから、何をやるかを考えて徐々に作っていった感じです。だからお店ができても、商品も何もない、がらんどうの状態が結構長く続いてました(笑)。

     

     

    児玉 お店の中身について、内装と平行して考えていた部分もありますが、できあがってから考えて進めて行ったことも多いです。当初は今年の1月末オープン予定だったんですけど、オリジナルの家具をしっかり作りたいと思ってやっていたら、3月までかかってしまいました。
    家具が完成してお店に来る日に合わせてオープン日を決めた感じです(笑)。

    桑原 お店としては、家具が来るまでやることがないので、ひたすら設計の仕事をしてました(笑)。

     

     

    ーBLAKISTONという店名の由来を聞かせてください。

    児玉 トーマス・ブラキストンというイギリス出身の動物学者の名前からきています。
    ブラキストンは、北海道と本州の間にある津軽海峡を東西に横切る生物地理上の境界線(ブラキストン線)、動植物の分布が変わる境界線を発見した人です。
    1925年、思想家である柳 宗悦が、民衆の暮らしの中から生まれた美しさの価値を人々に広めようと「民藝運動」を始めました。けれども現在「民藝」についての話題になる時、ブラキストン線を境にして北側にある北海道の「民藝」については情報がほとんどないんです。
    私たちは柳 宗悦の「民藝」の精神を大事に思いながら、このBLAKISTONを作りました。このお店にはまだ「民藝」とされるものは多くないですが、歴史が浅い北海道の地で、「民藝」の精神で活動したいと思っています。

     

    ーお店で扱っている家具や雑貨はどのようにセレクトされているのですか?

    児玉 家具はオリジナルでデザインして製作しています。雑貨はその周辺で使えるもの。器などは、作家ものというよりは、民藝運動から生まれたような、無名性のものであり、日常で使いやすいもの。ヘビーデューティーなもの。手に取りやすい金額というのも大事な要素です。自分たちで気に入って何年も使っているものも多いですね。
    インテリアデザインの仕事をする中で、最初は内装デザインのみだったのが、最近では雑貨とか細かいもので空間に合うもの、良いものを教えて欲しいと頼まれることも多くなりました。家具や雑貨はもともと好きだったのもありますが、自分たちでも調べたり考えるようになってきました。

     

     

    ーどんな方が多くお店に来ますか?これから、どんな人に来てほしいですか?

    児玉 Facebookなどの情報を見てきましたという方や、近所の方が多いかな。
    建物自体はできて、中になにもない期間が結構あったので、近所の方はここに何ができるのか気になってたみたいです。

    桑原 生活に興味がある人に来てほしいですね。
    僕らもそうですが、家庭を持つような年齢になると、生活に興味が出てくると思うんです。今まではファッションに興味があってお金をかけてきたような人も、だんだん暮らす場所やそこに置く家具、雑貨にも興味が移って、より良く生活をしていきたいというような。
    僕らも、ずっと安いテーブルを使っていたのを、無垢の木のテーブルにした時、実際使ってみて、すごく気分が良かった。

    児玉 良い器をひとつ買っただけで、満たされた気持ちになる。そういうことを実感できたことが大きいです。

    桑原 最初は食器などの小さいものから、質の良いものに変えてみたりする。
    一度いいものを使うと、そうでないものとの違いがどんどんわかってきました。それまでは、あまりものの質を気にしてなかったはずなんだけど。
    そしたら、質の悪いものがだんだん使えなくなっていって、小さいものから大きいもの、家具も良いものを使いたくなるんです。最終的には空間もいいものを、って思うようになるといいな、と思っています。そうすると、気持ちがいい生活ができるのかな、と。
    暮らしには色々な考え方がありますが、僕らはインテリアデザインをやってるので、そういうアプローチがいちばんしっくり来るのかなと思います。

     

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  • BLAKISTON - mangekyoが手がける家具と生活雑貨のショップ、オープン

     

    ーインテリアデザインの道に入ったきっかけはどんなことですか?

    桑原 旭川の高専出身なんですけど、その学校はインテリアデザインでもなんでもない、化学を専門とした学校でした。学校に入った最初からもう、「自分のやりたいことと全然違うところに入ってしまった…ヤバイ」って思ってしまって。
    当時インテリアブームがあったのですが、雑誌などで、デザイナーズ家具やインテリアのことが取り上げられているのを見て、家具のデザインをやりたい!って思ったのが、インテリアデザインに進んだきっかけですね。ファッションと家具が近いところで繋がって「おしゃれなもの」というイメージで自分の中に入ってきたんでしょうね。

    児玉 洋服のお店などが集まっている東京の裏原宿っていうエリアがブームだった時期がありますが、ああいうのがかっこいい、みたいな意識が未だにあります。

    桑原 高専は5年制なのですが、僕は高校卒業と同等になる3年で辞めてインテリアデザインの学校に行こうと思って、それを親に言ったら大反対されました(笑)。
    5年間通えば、親も進学や就職で化学の道に進むことは諦めてくれるだろうと思って、5年間は頑張りました。
    その間に、インテリアデザインや家具の本を買って勉強したり、学校では漫画を描くのが好きな人とかが少しいたので、そういう人たちに絵の描き方を教えて貰ったり。
    高専卒業後は札幌で、念願だったデザインの専門学校に入りました。だけど専門学校では、想定外に家具デザインの授業はほとんどなかったんです。建築設計の授業が多かった。でもそれが楽しくて、建築設計の方にはまっていきました。

     

     

    桑原 学生のころ、学生を受け入れてくれる建築事務所に出入りしてたんですが、学校を卒業してそのままそこで数年働きました。その後、インテリアデザイン会社に入りました。
    昔抱いていた憧れのイメージが、建築よりインテリアデザインのほうが近かったようです。
    インテリアデザイン会社を辞めたとき、務めていた時のツテもあって、仕事がたくさん来たんです。それで仕事を必死にこなしている内に、ここまで来ちゃった感じはあります(笑)。

    児玉 私は小さな頃から、家の間取り図を眺めることや、自分で理想の間取り図を描いたりもしていました。自分の部屋がなかったので、空間への憧れが強かったのだと思います。当時は漫画家になりたいと思っていて、家に籠っていつも漫画を描いていたのですが、やたらと間取り図が出てくるような漫画でした。
    高校生の頃は、音楽活動をしていた時期もありましたが、ある時、将来何になろうか真剣に考えたときに、インテリアデザイン以外思い浮かびませんでした。私は芸術デザイン専門学校でインテリアデザインを学び、インテリアデザイン会社に入社して、そこで桑原さんと出会いました。
    桑原さんがその会社を辞めたあと、私は2〜3年働いて独立したのですが、その時彼は仕事をたくさん抱えていて凄く忙しかったので、よく手伝いに行っていたんです。そこで自分の仕事もしつつ、桑原さんの仕事のお手伝いもするというのを続けているうち、「会社として一緒にやらないかい」と言って貰って、ふたりでやることになりました。
    当時は本当に忙しかったですね。私たちはまだ20代で若かったのに、よくそんな私たちに依頼してくれる人がいたなって、今になって思います。

     

     

    ーちょうどその頃、mangekyoさんの存在を知って、面白いデザインを手掛けてる方がいるな、と注目していました。デザイン依頼後は、クライアントとはどのようにイメージを形づくって行きますか?

    児玉 クライアントのお話は凄く聞きます。その人のキャラクターとか人となりを良く見ます。

    桑原 インテリアデザインの仕事では、オーナーシェフとか美容師とか、実際にお店で働いている人がクライアントでもある場合が多いので、その人の好みとかキャラクターをお店のデザインに反映できるといいなと思っています。

    児玉 打合せの時間をとても長く設けて、色んな話をします。デザイナーの人は「アイデアが降ってくる」とかよく言いますが、私たちの場合はそういうことは一切なくて、話し合いの中で、クライアントと一緒に作って行く感じです。

    桑原 クライアントと一日ずっと一緒に過ごして、夜中まで話したり、どういう好みなのか探ったり。人の好きなことやモノって、その人の中に隠れてると思うんです。デザイナーじゃない人は、自分のことを形として具体的に表現できないことが多いと思うので、本人もまだ自分が何を好きなのか気づいていないこともあったりする。

    児玉 話すことや一緒に過ごすことは、それを引き出してあげる大事な課程です。

    桑原 そういう時間を通して、クライアントが自分で好きなイメージを言葉にできるようになると、お店を作ったときに「これは自分の店」って言えるんだと思う。僕たちが考えて作ったデザインをそのまま与えてしまっても、馴染めないし、自分のものとして店の空間を使いこなせないと思うんですよ。
    例えば、僕らは格好良くないと思っている什器や雑貨も、クライアントや店のスタッフがお店に置く可能性もありますよね。それもひっくるめて、お店の個性、空間の個性だと思うんです。
    昔はインテリアデザインだけじゃなく、そういう部分もコントロールしようとしてたんですけど、今はそうは思わなくなった。その人が好きなものを置くことをイメージして、その上で素敵だったり、かっこいい空間を作ることを心がけています。

     

     

    ーデザインの仕事やデザインをする課程で、インスピレーションを得たり、参考にする要素はありますか?

    児玉 新しいプロジェクトが始まったら、まず、クライアントのイメージに合うような音楽をセレクトして、その仕事に取り組んでいる間、ずっとその音楽をかけっぱなしにします(笑)。その音楽のテンションに合わせて仕事をすると、その人のイメージだったり、その人のテンションの仕事ができるなぁって思うんです。

    桑原 映画を見て、海外の風景とか、映画のセットの色使いなどを参考にしますね。この建具は凄くいいな、とか(笑)。

    児玉 ウェス・アンダーソンの映画は見てると凄く面白いですね。インテリアの感じが「なんかちょっと変」とか「このアイデアいいな」とか。私はお芝居が好きで東京や大阪によく見に行くんですけど、舞台セットや演出の仕方はとても勉強になります。
    インテリアデザインや建築の仕事を見てインスピレーションを受けるということは実はあまりないですね。

    桑原 昔は、インテリアデザインや建築を参考にすることもあったと思います。雰囲気よりは、もっと細かい部分、たとえばディティールの収め方、どういう材料がいいか、どれくらいの寸法がいいか、そういう部分を参考にしてましたね。建築の分野では、ファッション感があって表層的なものは邪道、みたいな雰囲気がある。僕も、そういった時期もあったんですが、そこから年齢を重ねたときに、最初に自分が影響を受けたファッションなどのストリートカルチャーがかっこいいな、と改めて思うようになりました。

     

    "「The Selby」はインテリアの写真集なのですが、人がいたり、住んでいる風景も一緒に撮るというところが凄く良いと思って、それから自分たちのインテリア写真の撮り方が変わりました。"(児玉)

    "好きで良く読む雑誌はこんな感じです。"(児玉)

     

    ークライアントと話してデザインイメージが積み重なった時、設計の段階ではどういう進め方をしますか?

    児玉 まずはイメージの共有から始まりますね。

    桑原 長く付き合いのある人で、好きなものの感覚がわかっている人には、デザインしたもののプレゼンもそんなにしないことが多いです。
    ノースコンチネントっていうハンバーグ屋さんのオーナーには、最初「一緒にドライブ行こう」って誘われて。ドライブに行った先で、「こんな感じの景色のイメージなんだよね」と言われた(笑)。

    児玉 山の中に一緒に入って落ち葉の上を一緒に歩いて「こういうフカフカな感じ」とか、山の中の匂いとかを伝えられました。自然の中をドライブして、山の中を歩いてイメージを共有してできたのが「ノースコンチネント -MACHI NO NAKA-」っていう地下にあるハンバーグのお店なんですけど(笑)。

    桑原 クライアントの話も聞くけれど、僕らの設計のことも凄く話します。デザインや設計のことを、相手がわからなくてもいいやと思ってずっと話していると、その内、彼らにも知識がついてきて、物の見方が変わりますね。
    店をやるかどうかもわからないけど、「こういうお店やりたいね」って三年くらいずーっと打合せだけしている場合もあります(笑)。

     

     

    ー東京に拠点を移していたことについて聞かせてください。

    桑原 北海道でインテリアデザインをやってきて、色んな面で限界を感じたというか。

    児玉 自分の理想とするインテリアデザインの仕事をするには、札幌で続けていくのは難しいのかな、と感じていた部分が大きいです。

    桑原 札幌にいて仕事していたら、東京のインテリアデザイン業界のことは何も知れない。だから、雑誌などを見て、東京ってこうなんじゃないか、という勝手な思い込みがありました。同業の有名な人たちの仕事をメディアなどで目にして、ああいう仕事をやらなきゃいけない、という焦りのような気持ちがありましたね。

    児玉 東京でやってないのに、自分たちはそのシーンに対して何にも意見を言えないな、って思って。だから、東京でやることは、自分たちにとってチャレンジでしたね。

    桑原 東京で仕事をすることで、メディアに出ていなくても、かっこいい仕事をしているデザイナーがいると知ることができました。だけど同時に、北海道にいた自分たちもそういう仕事をしてきたんじゃないか、って気づきました。東京にいても、札幌から僕らに声をかけてくれる人がいて、仕事の依頼をしてくれて、凄くありがたかった。
    僕らは設計はするけれど、作ってくれる人(施工業者)がいて初めて建築や内装ができるわけです。東京での仕事を通して、作ってくれる人とのコミュニケーションの取り方だとか、札幌での仕事のやり方が僕らには合っていると感じました。

    児玉 2012年に札幌に戻ってきて、せっかく北海道でやるなら、東京でできないことをやりたいねって、ずっと話していました。
    札幌に戻って「レスタウラント」というZINE(自主制作の冊子)を作ったんですが、それも「自分たちでなにかやりたい、発信したい」と考えて始めたことのひとつですね。

     

     

    ー好きなお店・素敵だなと思うお店はありますか?

    児玉 カメラマンの友人に教えてもらって行った、東京の浜松町にあるgallery 916ってところは、最近見た中でダントツでかっこよかったですね。写真家の上田義彦さんがキュレーションしている写真メインのギャラリーです。

    桑原 このBLAKISTONを100倍くらいスケールアップしたくらいの大きさでしたね。

    児玉 凄く広いし、天井も高いんですよ。gallery 916に感銘を受けて、倉庫の物件っていいなって思いました。私たちのお店をここに決めるきっかけにもなりました。

    桑原 gallery 916は、倉庫をリノベーションしたギャラリーなんですが、倉庫に少しだけ手を加えたみたいな。リノベーションって、手を加えすぎると元々の空間の良さがなくなっちゃうと思うんですけど、gallery 916はもともとかっこいい倉庫の雰囲気を残したままやっている。そういうのが自分は好きだなと思います。

     

     

    ーインテリアデザイン、お店で今後やっていきたいこと、ビジョンを教えてください。

    児玉 どちらも、「長く続ける」ってことだけですね。

    桑原 長く続けることと、僕たちは今まで二人だけでずっとやってきたんですが、せっかくこの仕事をしているので、楽しくやりたいですね。
    設計の仕事に対しては、特にこれをやりたいっていうのはなくて(笑)。

    児玉 設計をやってみたい業種(お店とかスペースなどの)という意味では、特に決めてないですね。

    桑原 ただ、一緒にやってて楽しい、感性や気が合う人と一緒に仕事ができれば、というのは凄く思いますね。

     

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    BLAKISTON
    〒060-0010
    札幌市中央区北10条西16丁目28-145 拓殖ビル1F Tel : 011-215-6004
    OPEN : 12:00〜19:00 火曜日・水曜日 定休
    http://www.blakiston.net/

     

    mangekyo
    2006年、北海道札幌市で設立。レストラン、ブティック、ヘアサロン、住宅などの内装デザインを中心に、インスタレーション、建築デザインのディレクションなど、多岐にわたるクリエイションを展開。
    http://mangekyo.net/

    桑原 崇 kuwabara takashi
    デザイナー、mangekyo代表取締役
    1977年、北海道の神社の家系に生まれる。化学を学んだのち、デザインの世界へ。建築設計事務所での勤務、インテリアデザイン事務所での勤務、フリーランスを経て、2006年、株式会社mangekyoを設立。同代表。

    児玉 結衣子 kodama yuiko
    デザイナー
    1982年、北海道生まれ。学生時代は、ストリートライブ、バンド、DJなどの音楽活動をして過ごし、デザインの世界へ。インテリアデザイン事務所での勤務、フリーランスを経て、2007年、株式会社mangekyoに参加。日常の中に潜むおもしろおかしいものを拾い上げて、アイディアのきっかけを作る役割。


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    インタビュー 佐藤史恵
    撮影 クスミエリカ

     

  • 写真家 岡田 敦さん - 被写体との対峙から生まれる作品、その強さの源泉とは

     

    2008年、現代の若者の姿を真正面から捉えた写真集「I am」(赤々舎)で木村伊兵衛写真賞を受賞したことも記憶に新しい北海道出身の写真家 岡田敦さん。
    昨年出版された出産の瞬間をテーマにした写真集「MOTHER」(柏艪舎)は、美術、写真表現の自由や規制についても大きな話題になっています。
    2015年2月、北海道立近代美術館で開催中の展覧会「もうひとつの眺め(サイト) - 北海道発:8人の写真と映像」、また現代アートギャラリーCAI02で個展「MOTHER - 開かれた場所へ」を開催中で札幌に滞在された岡田さんに、被写体に真正面から向き合い生まれる写真作品の力強さと、そのテーマ性などについて伺いました。

     

    - まず、岡田さんが写真を撮り始めたきっかけを教えてください。

    もともと写真を撮ってたわけじゃないんですよ。
    高校卒業後の進路を考えた時、美術は好きだったから、芸大や美大に行きたいと思ってはいたのですが、世界で活躍するような、飛び抜けた絵の才能が自分には無いと思ったので、「写真家になろう」と決め、写真を撮り始めました。

     

    - 大学に進学してから本格的に写真を撮り始めたのですか?

    そうですね、写真家になろうと決めてからです。
    当時はカメラを持っていなかったので、まずは友だちにカメラを借りて勉強して、一年浪人してから大学に入りました。
    叔父が絵描きだったので、美術に対しては小さな時から興味はありました。
    絵に進まなかったのも、叔父がやってることと同じことををするのもどうなのかな、という疑問があったのかもしれません。

     

     

    - 絵画以外のものを、と考えた時に写真を選択したのはなぜでしょうか?

    写真集での表現など、もっと面白い事が出来る可能性があるジャンルだと思ったので、それで決めたのかな、という気がします。

     

    - 写真家として、影響を受けた方はいますか?また、こういった写真を撮っていきたいという技術や作風はありましたか?

    あんまりないですね。
    むしろ、画家のエゴン・シーレとか好きだったので、そういう作品に影響を受けました。
    あと、ヨーゼフ・ボイスとか、ジャンルや表現方法は違うんですが、むしろ、違うジャンルから影響を受けたことのほうが大きいですね。

     

    - 岡田さんの作品では、リストカットの傷跡や出産シーンを題材にした作品の印象が強いのですが、それらは記録するという意味合いで撮影されているのでしょうか?

    どうしても「I am」や「MOTHER」の印象が強いせいか、そちらのイメージが一人歩きしている感じはありますね。記憶に残る作品を生みだせたという意味では、作家として幸せなことではあるのですが(苦笑)。
    逆に今は、根室沖にあるユルリ島という無人島で、野生馬の撮影などもしています。僕の中ではどの作品も同じ感覚で、エネルギーの強いものにいつも惹かれています。その対象に自分が向き合うことが出来るのか、そこから逃げださず、さらに深く掘り下げてゆくことが作家として大事なことだと思っています。リスクを背負わなければ、芸術は生まれません。簡単に撮れるものよりも、向き合うことが一番大変だろうなと思うのもを選んできたら、振り返るとそうしたインパクトの強い作品が多かったのかな、という感じです。

     

     

    - 今回の個展「MOTHER - 開かれた場所へ」では、出産を題材に扱っていますが、撮影するにあたり被写体になる方とはどういった形で繋がっていったのでしょうか?

    もともと被写体のご夫婦の旦那さんとは友だちで、奥さんとも面識がありました。妊娠されたと聞いて、以前から(出産を題材に)写真を撮りたいと思っていたので、お願いをして撮影の許可をもらいました。
    写真を撮るという行為は、ある意味で、被写体にリスクを背負わせるという行為でもあります。今回の作品はとくにそうでした。世の中でどのような反応が生まれるのか、被写体のご家族が批判されないようにしなければいけない、撮影をすることと、発表をすることで生じるあらゆるリスクについて慎重に考えました。そうしたことを彼らには事前に伝え、その上で撮影のお願いをしたので、信用してもらうことができ、あの作品が生まれたのだと思います。そういう意味では、僕は撮らせてもらっただけなんです。彼らの協力がなければ、あの作品を撮ることも、あの瞬間に僕が出会うこともできなかったと思います。
    「人が生まれるってどういうことなんだろう」という単純な僕の欲に巻き込んでいいのか、という責任感みたいなものは常に感じています。そうした責任やリスクを僕も背負った上で、この作品は世の中に発表しなければいけないと強く感じました。それが意味のあることだと思ったのです。

     

    - 撮影を終えた後、岡田さん自身に変化はありましたか?

    人は人から生まれてくるという当たり前のことを、もちろん知識としては知っていますが、母親が自分を産んでくれたことに対して、具体的に当時のことを想像したり、思いを馳せたりといったことは、今回の作品を作るまではありませんでした。母親への感謝という意味では変化があったのかもしれません。
    「命の大切さを知ってください」というようなテーマだったらわかりやすいかもしれませんが、写真集や展示を見てくれた人が自由に誰かを想ってくれたらそれでいいのかなと思っています。この作品にはそうした広がり方が出来る可能性があると思っています。
    「表現の自由」などいろいろ問題が出てくるのかもしれませんが、その問題を僕が背負えるのであればそれで良いのかなと思っています。

     

     

    - 展覧会と写真集としての発表では違いを設けたりしていますか?

    写真集は自分の死後も残るように作りたいと思っています。展覧会はある程度の期間で終わってしまうので、その時のライブ感を重要視するようにしています。

     

    - 写真集「MOTHER」を拝見した時に、ページをめくっていく中で合間に入っている白紙のページが、岡田さんの息づかいのように感じて臨場感があり、岡田さんとしてその場にいるような感覚になりました。

    今回の写真集のページ構成は僕がほぼ決めました。白いページに関しては、僕がここに入れてほしいと具体的にデザイナーに伝えました。
    写真のページだけが次々と並んでいると、読者の方が想像をする余地がなくなってしまう。白いページには何も写ってはいないけれど、読者の方がその空白に何かしら思いを馳せてくれたら良いなと思っています。間をおくとか、深呼吸をするとか、そうした効果も考えています。

     

    - 白いページの入り方に、深呼吸するイメージがありました。

    僕自身も、写真だけを一気に見ていくとしんどくなってしまうところがあるんです。ページをめくりながら、写真の合間に白いページがあることで、次が開けてゆく。白いページでひと休みをして、次のページへ読み進んでゆく感じがいいのかな。
    見ることに対するエネルギーが追いつかなくて、途中でしんどくなって写真集を閉じられてしまうのは残念だから、意識的に白いページを入れました。だから、そう感じていただけたのであれば良かったです。

     

    - 先ほどもお話に出ていた「ユルリ島」についてお聞ききしたいのですが、どういうきっかけで撮影することになったのでしょうか?

    東京でよく一緒に仕事をする編集者の方がユルリ島の話をしていて、そういえば昔、地元紙でユルリ島とそこに生息する野生馬の記事を読んだことがあるなと思い出して、いろいろ調べてゆくうちに、島の野生馬がいずれ居なくなることを知ったんです。そのことを根室市に問い合わせると、誰もユルリ島の馬の現状について記録をしていないということがわかったので、これは北海道の文化として絶対に記録しておくべきだと思いました。
    とは言っても、ユルリ島は北海道の天然記念物に指定されているため、メディアをはじめ人の立ち入りは禁止されています。僕もはじめは全く話を聞いてもらえませんでした。いろいろな方へ何度も手紙や電話でお願いをし、交渉を始めてから一年くらいかかって、ようやく根室市から正式に、島の歴史を記録することを委託されました。最初はユルリ島の馬について根室の人たちもあまり関心がなかったので、協力をしてくれる方を探すのも大変でした。でも今は、根室市をはじめ、落石漁業協同組合、島のガイドをしてくださる方など、根室のみなさんが本当に親切にしてくださるのでとても嬉しく思っています。
    発表する作品だけではなく、僕が活動を続けることによって周りの人たちの意識や考え方も変わってゆく、そうした変化も芸術のひとつだと僕は思っています。そういう意味でもユルリ島での撮影活動は面白いですし、発言や行動を続けてゆくことの大切さを感じます。街の人たちの島に対する思いが変わってきているのも感じますし、たくさんの方が協力してくださっているので、必ず写真集として形にしなければいけないなと思っています。

     

    - 私は北海道在住ですが、ユルリ島やそこにいる野生馬について、岡田さんが撮影していることで初めて知りました。

    そうですね、根室に住んでいる方でも現状を知らない人が多いと思います。「ユルリ島にいま馬が5頭しかいないの!」と驚かれる方も多いです。
    僕も北海道に住んでいた時には気づかなったこと、見えていなかったものがたくさんあったのですが、東京で活動するようになってから、逆に北海道のことがよく見えるようになりました。

     

     

    - 北海道で生まれ育ったことが作品に影響されることはありますか?

    北海道らしさというのは北海道に居たときにはわからなかったので、東京へ行ってから、幼い頃に経験したり、見ていたものが今の写真に影響していると思います。
    逆に道外の人がイメージするラベンダー畑とかひまわり畑みたいな北海道の風景写真は、僕の中にある北海道の原風景とはずいぶんズレがあるので、そういう意味で、北海道のイメージを変えていきたい。
    僕の中にある北海道の原風景を写真で表現してゆくこと、それが北海道出身の写真家として僕がすべきことのひとつなのかなと思っています。

     

    - 今後、北海道に限らず「こういったものを撮影したい」というビジョンはありますか?

    三十代になったら北海道を撮ろうとは思ってはいたんですが、たぶんそれが完結するのは45歳くらいになるのかなと思います。一応、うっすら(ビジョンが)見えてはいるんですけど、まだ語らないようにはしています。

     

    - 最後に、同時期に北海道立近代美術館(以下 近美)、CAI02と二つの会場で展示をしていますが、それぞれどういったところを見せたい、ということはありますか?

    いま、写真界全体、美術界もそうですが、自主規制に走ってしまう傾向があります。美術館の場合、公共施設ということもありその傾向がより強くなってしまいます。北海道立近代美術館での展覧会「もうひとつの眺め(サイト)北海道発:8人の写真と映像」は3月22日までですが、CAI02では美術館で展示出来なかった作品も含め、展示構成しています。
    美術館の批判をしたいわけではもちろんありません。ただ、作家が美術館の基準に合わせて作品を作りだしたり、美術館に展示出来るかどうかを事前に確認しなければいけなくなったら、そこから新しい芸術は生まれなくなると思うんです。メーカーギャラリーはブランドのイメージを守らなければいけない。「美術館は公共施設だから」という理由はよくわかるのですが、公共施設だからこそ芸術に対して開かれた場所であって欲しいとも思うのです。二つの展示を通し、芸術や芸術を発信する場の在り方について、多くの人が考えてくれる機会になればいいなと考えています。近美で感じることもCAI02で感じることも違うと思うので、両方観てほしいです。
    観てくれた人がいろんな反響を寄せてくれたら、北海道の芸術や文化ももっと盛り上がると思うので、そういう効果があれば一番良いなと思っています。

     

     

    岡田敦  写真家/芸術学博士

    1979年、北海道生まれ。
    富士フォトサロン新人賞受賞。第33回木村伊兵衛写真賞受賞。北海道文化奨励賞受賞。
    大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、博士号取得(芸術各学)。
    2007年、写真集「I am」(赤々舎)を発表。
    2010年、写真集「ataraxia」(岡田敦、伊津野重美、青幻舎)を発表。
    同年、映画「ノルウェイの森」(原作:村上春樹、監督:トラン・アン・ユン)の公式ガイドブック(講談社)の撮り下ろし企画などを手がける。
    2012年、写真集「世界」(赤々舎)を発表。
    2014年、写真集「MOTHER」(柏艪舎)を発表。
    海外からの注目も高い、新進気鋭の写真家である。
    http://www2.odn.ne.jp/~cec48450/

    ・Facebook
    https://www.facebook.com/okadaatsushi.official

    ・YouTube:ユルリ島
    https://www.youtube.com/playlist?list=PL_BpdvkbNXgUWznHHKIByojXr2oII60cF

     

    ◎開催中の展示

    岡田 敦 個展「MOTHER - 開かれた場所へ」
    会場:CAI02 札幌市中央区大通西5丁目 昭和ビルB2F
    会期:2015年02月14日(土)〜2015年02月28日(土) 13:00~23:00
    詳細はこちら

    もうひとつの眺め(サイト) - 北海道発:8人の写真と映像
    会場:北海道立近代美術館 札幌市中央区北1条西17丁目
    会期:2015年01月31日(土)〜2015年03月22日(日) 9:30~17:00
    詳細はこちら

     

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    インタビュー:小坂祐美子
    撮影:小島歌織

  • 移転オープンへ ー 代表の川上大雅さんに聞く、cojicaの今までとこれから

    2010年、札幌の北3東2にあるビルの1階に誕生した「salon cojica」。ほどなく、企画ギャラリーとして、札幌の現代美術作家たちを内外へ向けて紹介し始めます。2013年にいったん移転準備に入った後、2014年12月、北24条に移転オープンを果たします。より発信力を高めるとともに、弁護士・ギャラリーオーナーの二つの顔を持ちながら歩み続ける川上さんに、「salon cojica」への想いとこれからのビジョンを伺いました。

     

    ー まず、川上さんが現代美術に興味を持ったきっかけを教えて下さい。

    大学生の頃、北海道立近代美術館で見た宮島達男さんの作品に衝撃を受けたのが始まりですね。現代美術に興味を持ち始めた当時から、作家をサポートする何かができたらという想いがありました。そのために、CAI現代芸術研究所の夜間アートスクールに通い始めました。本業である弁護士の仕事を始めて一年目のことでした。

     

    ー salon cojicaはどのように立ち上がったのでしょうか?

    CAIに在籍していたころ、2010年だったと思います。スクール生の同期たちと「自分たちの場所があればいいのに」とよく話していました。そのタイミングで、たまたま、カラオケスナックを居抜きで使う人を探しているという話を聞いて、すぐ場所を借りました。ギャラリーにするということも考えず、ひたすら、掃除をしたり、改装みたいなことをしたりしていました。
    結局、自分たちの手ではやりきれなくて、建築士さんにお願いして根本的に改装をしてもらって、「salon cojica」を2010年にオープンすることになりました。
    この改装を手がけてくれた建築士の一色玲児さんには、現salon cojicaの設計もお願いしました。
    特に、ギャラリーにするとは決めていませんでした。結局、半分くらいは自分たちで企画したり貸したりして、だんだんとギャラリーのような形態になってきました。だけど、とっても大変で…。
    1年間運営してみて、気づいたら、同期生たちはみんな離れてしまって、自分ひとりになっていました。

     

     

    ー その、1度目のリニューアルオープンに至った経緯を教えて下さい。

    継続するかどうか迷いました。だけど、ここで展示をしたいという作家も増えていたし、オープン以来この場所を支えてくれた作家たちを、もう少し深く支えられたらと思うようになりました。美術に興味を持ったときの原点に返った感覚です。そのためには、前よりしっかりとしたギャラリーにならなくていけないと思ったんです。
    それから、取扱う作家もだんだんと増えていきましたし、作品の扱い方も少しずつ覚えていきました。

     

    ー そのような思い入れのある場所から離れ、現在の北24条に移転することになった理由は?

    きっかけは、salon cojicaが入っていたビルの老朽化でした。やむを得ず次の場所を探し始めたのです。
    そして、ギャラリーとカフェが一体化しているために「ここはギャラリーなのか、カフェなのか、」という制約が目立つようになってきました。内装を何度も変えたり、壁面を立て直したり、試行錯誤をしましたけど、最終的には解決しきれない制約のようにも思えてきて、場所に対する限界を感じることが多くなっていたように思います。

    そこから約二年間、場所探しを続けていました。その間に、これでもかという程いろんなことが起きましたが、最終的に、「これはもう自分で建てるしかない」と決心しました。
    もともと僕は弁護士でしたから、それも合わせてひとつのスペースを作ろうと考え、「salon cojica」「COJICA COFFEE」「札幌北商標法律事務所」の入る「coneco bld.」として、また新たなスタートを切ることになりました。始めた頃は、今の状態を想像すらしていませんでしたね。(笑)

     

    ー 印象的な名前の「cojica」は、どのように命名したのでしょう?

    スペースの名前をつけるとき、CAIの同期生で居酒屋に集まって話し合っていたら、目の前にあった焼酎のラベルがたまたま「山ねこ」と「小鹿」だったんです(笑)。響きからいって「やまねこ」と「こじか」なら「こじか」かな…?じゃ、「こいぬ」は?「こねこ」は?という具合に上げていった結果、おさまったのが「こじか」でした。「こねこ」は今回、建物名になってますね。そういえば(笑)。

     

     

    ー スタート当初から併設していたカフェについて。現在の「COJICA COFFEE」までの流れはどのようなものでしたか?

    当初は僕自身がネスプレッソでコーヒーを出していたくらいなので(笑)、カフェへそこまでこだわりがあったわけではありません。前にリニューアルしたとき、「カフェがあればギャラリーを開けておける」と考えて、カフェスタッフを募集したんです。最終的にカフェスタッフは3人になりました。
    3人は、だんだんと、カフェのみならずギャラリー運営も含め、cojicaの全部に関わってくれるようになりました。ART OSAKAでも、コーヒーを淹れたりしていました。
    3人は、場所をつくっていく上で欠かせない存在になっていきましたので、さらにカフェ自体もクオリティを上げ、「COJICA COFFEE」として、ともに新たなスタートを切ることに決めました。

     

     

    ー 新生「salon cojica」に込められた想いや今後のスタンスを教えて下さい。

    これからは、本当に来たい人さえ来てくれればそれでいいという気持ちもあります。閉じる必要もないけど、無理して開いていく必要もないのかなと思っています。 それよりも、ギャラリーとして、作家が自分の力を出す機会を、継続的に積み上げていくことが大事になると思っています。
    また、今後は、外から作家を呼ぶことも増えると思います。滞在も前より楽にできるように整えました。じっくりと製作に向き合ってほしいという思いがあります。
    その他のスタンスは、今までと変わらない気がします。作品や空間を、一番最初に見られるということは、ギャラリーをやっていく中でのひとつの特権だと思っています。これからは、やっと、作品に一番近いところで生活していくことができそうです。やりたいことに集中できる環境が整ったのかなと思います。

     

    ー「salon cojica」が抱える作家はどのように選んでいますか?

    こちらからお願いをすることももちろんあります。ですが、選んでいるというよりは、自然に集まってきた作家たちを一生懸命支えているという感覚の方が強いようにも思います。関わる人たちとは、自然と深い付き合いになっていきます。作品のこと、展示のこと以外にもたくさんの話を聞かせてもらっています。取扱っている作家に、cojicaのカラーがあると言われることがあります。自然に集まってきているものが、cojicaのフィルターを通じて出てくると、色彩を帯びていくのかもしれないですね。

     

     

    ー 企画ギャラリーとして、道外のアートフェアやイベントに参加し、作家を積極的に発信していますね。

    作家にとって必要であれば、何でもします。東京や大阪などのアートフェアにも参加してきました。札幌って、展示する場所は案外たくさんあって、どこでも展示ができちゃって、循環する仕組みすらなんとなくできちゃっています。どこのスペースでも、同じ作家の作品が見れるというのは、他の地域と比べても特殊なことかもしれません。案外悪くない環境だと考える作家もいるでしょうし、それはそれでひとつの形ではあるかとは思います。
    札幌は良くも悪くも閉じている部分があるので、札幌の中で全部成立させることもできちゃいます。アーティスト風、ギャラリー風な装いをするのは案外簡単だったりもします。
    だけど、それって、外からは全然見えてないという一面もあったりして。
    だから、そこにとどまらないで、一歩進みたい、次のステージに進みたいと思っている作家に、できる限りのサポートをしていくことが必要かなと思っています。作家だけだとなかなかできないことなので。 そうでないと、いい作家たちが、近くで作品を作ってくれなくなってしまうという危機感もあります。
    とはいえ、最近は、アートフェアすら乱立しちゃってます。 そんな時代に、ギャラリーを続けていくことの意味はいつも考えています。

     

    ー なかなか札幌では見ることのできない道外の現代美術作家の展示も手がけていますが、ご自分で作家にオファーをされるんでしょうか。

    自分で探しにいったり、ご縁をいただいたりということももちろん多いです。道外での発表の機会も増えてきているので、札幌にこういうギャラリーがあると知って見に来て下さる道外の作家もいます。少しずつネットワークというか、つながりが増えてきているかなと思います。


     

    ー ギャラリーの代表の他、弁護士・弁理士としても活躍されていらっしゃいます。

    今までは、事務所とギャラリーとがバラバラだったので、大変でした。行き来だけでも大変でしたし、結果、どちらも中途半端みたいなことになりそうな時期もあったように思います。今は、集約されてやっと落ち着いてきた感じです。仕事でもギャラリーの運営でも、一度出会うと、長いお付き合いになる場合がほとんどです。「最後まで寄り添い続けること」は、大事にしていることの一つです。人と深く関わり、そこから信頼関係が生まれていく。そのわりにメールのやりとりはとっても苦手だし、すぐ音信不通になるタイプなのですけどね(笑)。
    自分からやろうとしたことって実はそんなにないんです。ぼんやりと、こんなことやりたいなー、やらなきゃなーと思っていたら、いつのまにかこんなことになっちゃってた感じ(笑)。

    salon cojicaを始めて4年ほどになります。これから先、いい時も悪い時もあると思います。悪い時にいかにあきらめ悪く続けられるかが大事だと思っています。もう、続ける覚悟は決めちゃっているので、どんな形になっても、ずっと自分は、「salon cojica」をやっているんだと思います。

     

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    salon cojica 代表 川上 大雅(かわかみ たいが)
    1980年札幌生まれ 
    札幌北商標法律事務所 弁護士・弁理士 / salon cojica 代表
    企業法務および知的財産を中心に取り扱っている。
    スキーを最近また始めた。

     

    salon cojica
    北海道札幌市北区北23条西8丁目 coneco bld. 1F
    tel.011-700-0700 fax. 011-700-0701
    営業時間 11:00~19:00(その他の時間はアポイントください)
    休廊日  日・月曜日
    http://www.salon-cojica.com/
    取扱い作家 武田浩志、風間雄飛、樫見菜々子、鈴木悠哉、南俊輔ほか

    詳細はこちら

     

    開催中の展示
    「3回目のはじめてに from the first to the third」

    会期:2014年12月13日(土)~2015年1月31日(土)11:00~19:00
    休廊:年末年始・日月
    出展作家:青山裕企、有本ゆみこ、いそのけい、今村遼佑、小野翔平、風間雄飛、樫見菜々子、クスミエリカ、鈴木悠哉、武田浩志、田中佐季、pater、前田ひさえ、南俊輔 ほか

    詳細はこちら

     

     

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    インタビュー:山本曜子
    撮影:門間友佑、小島歌織、山本曜子

     

     

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