BLAKISTON - mangekyoが手がける家具と生活雑貨のショップ、オープン
- INTERVIEW
- March 14, 2015 07:31 PM
ーインテリアデザインの道に入ったきっかけはどんなことですか?
桑原 旭川の高専出身なんですけど、その学校はインテリアデザインでもなんでもない、化学を専門とした学校でした。学校に入った最初からもう、「自分のやりたいことと全然違うところに入ってしまった…ヤバイ」って思ってしまって。
当時インテリアブームがあったのですが、雑誌などで、デザイナーズ家具やインテリアのことが取り上げられているのを見て、家具のデザインをやりたい!って思ったのが、インテリアデザインに進んだきっかけですね。ファッションと家具が近いところで繋がって「おしゃれなもの」というイメージで自分の中に入ってきたんでしょうね。
児玉 洋服のお店などが集まっている東京の裏原宿っていうエリアがブームだった時期がありますが、ああいうのがかっこいい、みたいな意識が未だにあります。
桑原 高専は5年制なのですが、僕は高校卒業と同等になる3年で辞めてインテリアデザインの学校に行こうと思って、それを親に言ったら大反対されました(笑)。
5年間通えば、親も進学や就職で化学の道に進むことは諦めてくれるだろうと思って、5年間は頑張りました。
その間に、インテリアデザインや家具の本を買って勉強したり、学校では漫画を描くのが好きな人とかが少しいたので、そういう人たちに絵の描き方を教えて貰ったり。
高専卒業後は札幌で、念願だったデザインの専門学校に入りました。だけど専門学校では、想定外に家具デザインの授業はほとんどなかったんです。建築設計の授業が多かった。でもそれが楽しくて、建築設計の方にはまっていきました。
桑原 学生のころ、学生を受け入れてくれる建築事務所に出入りしてたんですが、学校を卒業してそのままそこで数年働きました。その後、インテリアデザイン会社に入りました。
昔抱いていた憧れのイメージが、建築よりインテリアデザインのほうが近かったようです。
インテリアデザイン会社を辞めたとき、務めていた時のツテもあって、仕事がたくさん来たんです。それで仕事を必死にこなしている内に、ここまで来ちゃった感じはあります(笑)。
児玉 私は小さな頃から、家の間取り図を眺めることや、自分で理想の間取り図を描いたりもしていました。自分の部屋がなかったので、空間への憧れが強かったのだと思います。当時は漫画家になりたいと思っていて、家に籠っていつも漫画を描いていたのですが、やたらと間取り図が出てくるような漫画でした。
高校生の頃は、音楽活動をしていた時期もありましたが、ある時、将来何になろうか真剣に考えたときに、インテリアデザイン以外思い浮かびませんでした。私は芸術デザイン専門学校でインテリアデザインを学び、インテリアデザイン会社に入社して、そこで桑原さんと出会いました。
桑原さんがその会社を辞めたあと、私は2〜3年働いて独立したのですが、その時彼は仕事をたくさん抱えていて凄く忙しかったので、よく手伝いに行っていたんです。そこで自分の仕事もしつつ、桑原さんの仕事のお手伝いもするというのを続けているうち、「会社として一緒にやらないかい」と言って貰って、ふたりでやることになりました。
当時は本当に忙しかったですね。私たちはまだ20代で若かったのに、よくそんな私たちに依頼してくれる人がいたなって、今になって思います。
ーちょうどその頃、mangekyoさんの存在を知って、面白いデザインを手掛けてる方がいるな、と注目していました。デザイン依頼後は、クライアントとはどのようにイメージを形づくって行きますか?
児玉 クライアントのお話は凄く聞きます。その人のキャラクターとか人となりを良く見ます。
桑原 インテリアデザインの仕事では、オーナーシェフとか美容師とか、実際にお店で働いている人がクライアントでもある場合が多いので、その人の好みとかキャラクターをお店のデザインに反映できるといいなと思っています。
児玉 打合せの時間をとても長く設けて、色んな話をします。デザイナーの人は「アイデアが降ってくる」とかよく言いますが、私たちの場合はそういうことは一切なくて、話し合いの中で、クライアントと一緒に作って行く感じです。
桑原 クライアントと一日ずっと一緒に過ごして、夜中まで話したり、どういう好みなのか探ったり。人の好きなことやモノって、その人の中に隠れてると思うんです。デザイナーじゃない人は、自分のことを形として具体的に表現できないことが多いと思うので、本人もまだ自分が何を好きなのか気づいていないこともあったりする。
児玉 話すことや一緒に過ごすことは、それを引き出してあげる大事な課程です。
桑原 そういう時間を通して、クライアントが自分で好きなイメージを言葉にできるようになると、お店を作ったときに「これは自分の店」って言えるんだと思う。僕たちが考えて作ったデザインをそのまま与えてしまっても、馴染めないし、自分のものとして店の空間を使いこなせないと思うんですよ。
例えば、僕らは格好良くないと思っている什器や雑貨も、クライアントや店のスタッフがお店に置く可能性もありますよね。それもひっくるめて、お店の個性、空間の個性だと思うんです。
昔はインテリアデザインだけじゃなく、そういう部分もコントロールしようとしてたんですけど、今はそうは思わなくなった。その人が好きなものを置くことをイメージして、その上で素敵だったり、かっこいい空間を作ることを心がけています。
ーデザインの仕事やデザインをする課程で、インスピレーションを得たり、参考にする要素はありますか?
児玉 新しいプロジェクトが始まったら、まず、クライアントのイメージに合うような音楽をセレクトして、その仕事に取り組んでいる間、ずっとその音楽をかけっぱなしにします(笑)。その音楽のテンションに合わせて仕事をすると、その人のイメージだったり、その人のテンションの仕事ができるなぁって思うんです。
桑原 映画を見て、海外の風景とか、映画のセットの色使いなどを参考にしますね。この建具は凄くいいな、とか(笑)。
児玉 ウェス・アンダーソンの映画は見てると凄く面白いですね。インテリアの感じが「なんかちょっと変」とか「このアイデアいいな」とか。私はお芝居が好きで東京や大阪によく見に行くんですけど、舞台セットや演出の仕方はとても勉強になります。
インテリアデザインや建築の仕事を見てインスピレーションを受けるということは実はあまりないですね。
桑原 昔は、インテリアデザインや建築を参考にすることもあったと思います。雰囲気よりは、もっと細かい部分、たとえばディティールの収め方、どういう材料がいいか、どれくらいの寸法がいいか、そういう部分を参考にしてましたね。建築の分野では、ファッション感があって表層的なものは邪道、みたいな雰囲気がある。僕も、そういった時期もあったんですが、そこから年齢を重ねたときに、最初に自分が影響を受けたファッションなどのストリートカルチャーがかっこいいな、と改めて思うようになりました。
"「The Selby」はインテリアの写真集なのですが、人がいたり、住んでいる風景も一緒に撮るというところが凄く良いと思って、それから自分たちのインテリア写真の撮り方が変わりました。"(児玉)
"好きで良く読む雑誌はこんな感じです。"(児玉)
ークライアントと話してデザインイメージが積み重なった時、設計の段階ではどういう進め方をしますか?
児玉 まずはイメージの共有から始まりますね。
桑原 長く付き合いのある人で、好きなものの感覚がわかっている人には、デザインしたもののプレゼンもそんなにしないことが多いです。
ノースコンチネントっていうハンバーグ屋さんのオーナーには、最初「一緒にドライブ行こう」って誘われて。ドライブに行った先で、「こんな感じの景色のイメージなんだよね」と言われた(笑)。
児玉 山の中に一緒に入って落ち葉の上を一緒に歩いて「こういうフカフカな感じ」とか、山の中の匂いとかを伝えられました。自然の中をドライブして、山の中を歩いてイメージを共有してできたのが「ノースコンチネント -MACHI NO NAKA-」っていう地下にあるハンバーグのお店なんですけど(笑)。
桑原 クライアントの話も聞くけれど、僕らの設計のことも凄く話します。デザインや設計のことを、相手がわからなくてもいいやと思ってずっと話していると、その内、彼らにも知識がついてきて、物の見方が変わりますね。
店をやるかどうかもわからないけど、「こういうお店やりたいね」って三年くらいずーっと打合せだけしている場合もあります(笑)。
ー東京に拠点を移していたことについて聞かせてください。
桑原 北海道でインテリアデザインをやってきて、色んな面で限界を感じたというか。
児玉 自分の理想とするインテリアデザインの仕事をするには、札幌で続けていくのは難しいのかな、と感じていた部分が大きいです。
桑原 札幌にいて仕事していたら、東京のインテリアデザイン業界のことは何も知れない。だから、雑誌などを見て、東京ってこうなんじゃないか、という勝手な思い込みがありました。同業の有名な人たちの仕事をメディアなどで目にして、ああいう仕事をやらなきゃいけない、という焦りのような気持ちがありましたね。
児玉 東京でやってないのに、自分たちはそのシーンに対して何にも意見を言えないな、って思って。だから、東京でやることは、自分たちにとってチャレンジでしたね。
桑原 東京で仕事をすることで、メディアに出ていなくても、かっこいい仕事をしているデザイナーがいると知ることができました。だけど同時に、北海道にいた自分たちもそういう仕事をしてきたんじゃないか、って気づきました。東京にいても、札幌から僕らに声をかけてくれる人がいて、仕事の依頼をしてくれて、凄くありがたかった。
僕らは設計はするけれど、作ってくれる人(施工業者)がいて初めて建築や内装ができるわけです。東京での仕事を通して、作ってくれる人とのコミュニケーションの取り方だとか、札幌での仕事のやり方が僕らには合っていると感じました。
児玉 2012年に札幌に戻ってきて、せっかく北海道でやるなら、東京でできないことをやりたいねって、ずっと話していました。
札幌に戻って「レスタウラント」というZINE(自主制作の冊子)を作ったんですが、それも「自分たちでなにかやりたい、発信したい」と考えて始めたことのひとつですね。
ー好きなお店・素敵だなと思うお店はありますか?
児玉 カメラマンの友人に教えてもらって行った、東京の浜松町にあるgallery 916ってところは、最近見た中でダントツでかっこよかったですね。写真家の上田義彦さんがキュレーションしている写真メインのギャラリーです。
桑原 このBLAKISTONを100倍くらいスケールアップしたくらいの大きさでしたね。
児玉 凄く広いし、天井も高いんですよ。gallery 916に感銘を受けて、倉庫の物件っていいなって思いました。私たちのお店をここに決めるきっかけにもなりました。
桑原 gallery 916は、倉庫をリノベーションしたギャラリーなんですが、倉庫に少しだけ手を加えたみたいな。リノベーションって、手を加えすぎると元々の空間の良さがなくなっちゃうと思うんですけど、gallery 916はもともとかっこいい倉庫の雰囲気を残したままやっている。そういうのが自分は好きだなと思います。
ーインテリアデザイン、お店で今後やっていきたいこと、ビジョンを教えてください。
児玉 どちらも、「長く続ける」ってことだけですね。
桑原 長く続けることと、僕たちは今まで二人だけでずっとやってきたんですが、せっかくこの仕事をしているので、楽しくやりたいですね。
設計の仕事に対しては、特にこれをやりたいっていうのはなくて(笑)。
児玉 設計をやってみたい業種(お店とかスペースなどの)という意味では、特に決めてないですね。
桑原 ただ、一緒にやってて楽しい、感性や気が合う人と一緒に仕事ができれば、というのは凄く思いますね。
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BLAKISTON
〒060-0010
札幌市中央区北10条西16丁目28-145 拓殖ビル1F Tel : 011-215-6004
OPEN : 12:00〜19:00 火曜日・水曜日 定休
http://www.blakiston.net/
mangekyo
2006年、北海道札幌市で設立。レストラン、ブティック、ヘアサロン、住宅などの内装デザインを中心に、インスタレーション、建築デザインのディレクションなど、多岐にわたるクリエイションを展開。
http://mangekyo.net/
桑原 崇 kuwabara takashi
デザイナー、mangekyo代表取締役
1977年、北海道の神社の家系に生まれる。化学を学んだのち、デザインの世界へ。建築設計事務所での勤務、インテリアデザイン事務所での勤務、フリーランスを経て、2006年、株式会社mangekyoを設立。同代表。
児玉 結衣子 kodama yuiko
デザイナー
1982年、北海道生まれ。学生時代は、ストリートライブ、バンド、DJなどの音楽活動をして過ごし、デザインの世界へ。インテリアデザイン事務所での勤務、フリーランスを経て、2007年、株式会社mangekyoに参加。日常の中に潜むおもしろおかしいものを拾い上げて、アイディアのきっかけを作る役割。
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インタビュー 佐藤史恵
撮影 クスミエリカ