写真家 岡田 敦さん - 被写体との対峙から生まれる作品、その強さの源泉とは

 

2008年、現代の若者の姿を真正面から捉えた写真集「I am」(赤々舎)で木村伊兵衛写真賞を受賞したことも記憶に新しい北海道出身の写真家 岡田敦さん。
昨年出版された出産の瞬間をテーマにした写真集「MOTHER」(柏艪舎)は、美術、写真表現の自由や規制についても大きな話題になっています。
2015年2月、北海道立近代美術館で開催中の展覧会「もうひとつの眺め(サイト) - 北海道発:8人の写真と映像」、また現代アートギャラリーCAI02で個展「MOTHER - 開かれた場所へ」を開催中で札幌に滞在された岡田さんに、被写体に真正面から向き合い生まれる写真作品の力強さと、そのテーマ性などについて伺いました。

 

- まず、岡田さんが写真を撮り始めたきっかけを教えてください。

もともと写真を撮ってたわけじゃないんですよ。
高校卒業後の進路を考えた時、美術は好きだったから、芸大や美大に行きたいと思ってはいたのですが、世界で活躍するような、飛び抜けた絵の才能が自分には無いと思ったので、「写真家になろう」と決め、写真を撮り始めました。

 

- 大学に進学してから本格的に写真を撮り始めたのですか?

そうですね、写真家になろうと決めてからです。
当時はカメラを持っていなかったので、まずは友だちにカメラを借りて勉強して、一年浪人してから大学に入りました。
叔父が絵描きだったので、美術に対しては小さな時から興味はありました。
絵に進まなかったのも、叔父がやってることと同じことををするのもどうなのかな、という疑問があったのかもしれません。

 

 

- 絵画以外のものを、と考えた時に写真を選択したのはなぜでしょうか?

写真集での表現など、もっと面白い事が出来る可能性があるジャンルだと思ったので、それで決めたのかな、という気がします。

 

- 写真家として、影響を受けた方はいますか?また、こういった写真を撮っていきたいという技術や作風はありましたか?

あんまりないですね。
むしろ、画家のエゴン・シーレとか好きだったので、そういう作品に影響を受けました。
あと、ヨーゼフ・ボイスとか、ジャンルや表現方法は違うんですが、むしろ、違うジャンルから影響を受けたことのほうが大きいですね。

 

- 岡田さんの作品では、リストカットの傷跡や出産シーンを題材にした作品の印象が強いのですが、それらは記録するという意味合いで撮影されているのでしょうか?

どうしても「I am」や「MOTHER」の印象が強いせいか、そちらのイメージが一人歩きしている感じはありますね。記憶に残る作品を生みだせたという意味では、作家として幸せなことではあるのですが(苦笑)。
逆に今は、根室沖にあるユルリ島という無人島で、野生馬の撮影などもしています。僕の中ではどの作品も同じ感覚で、エネルギーの強いものにいつも惹かれています。その対象に自分が向き合うことが出来るのか、そこから逃げださず、さらに深く掘り下げてゆくことが作家として大事なことだと思っています。リスクを背負わなければ、芸術は生まれません。簡単に撮れるものよりも、向き合うことが一番大変だろうなと思うのもを選んできたら、振り返るとそうしたインパクトの強い作品が多かったのかな、という感じです。

 

 

- 今回の個展「MOTHER - 開かれた場所へ」では、出産を題材に扱っていますが、撮影するにあたり被写体になる方とはどういった形で繋がっていったのでしょうか?

もともと被写体のご夫婦の旦那さんとは友だちで、奥さんとも面識がありました。妊娠されたと聞いて、以前から(出産を題材に)写真を撮りたいと思っていたので、お願いをして撮影の許可をもらいました。
写真を撮るという行為は、ある意味で、被写体にリスクを背負わせるという行為でもあります。今回の作品はとくにそうでした。世の中でどのような反応が生まれるのか、被写体のご家族が批判されないようにしなければいけない、撮影をすることと、発表をすることで生じるあらゆるリスクについて慎重に考えました。そうしたことを彼らには事前に伝え、その上で撮影のお願いをしたので、信用してもらうことができ、あの作品が生まれたのだと思います。そういう意味では、僕は撮らせてもらっただけなんです。彼らの協力がなければ、あの作品を撮ることも、あの瞬間に僕が出会うこともできなかったと思います。
「人が生まれるってどういうことなんだろう」という単純な僕の欲に巻き込んでいいのか、という責任感みたいなものは常に感じています。そうした責任やリスクを僕も背負った上で、この作品は世の中に発表しなければいけないと強く感じました。それが意味のあることだと思ったのです。

 

- 撮影を終えた後、岡田さん自身に変化はありましたか?

人は人から生まれてくるという当たり前のことを、もちろん知識としては知っていますが、母親が自分を産んでくれたことに対して、具体的に当時のことを想像したり、思いを馳せたりといったことは、今回の作品を作るまではありませんでした。母親への感謝という意味では変化があったのかもしれません。
「命の大切さを知ってください」というようなテーマだったらわかりやすいかもしれませんが、写真集や展示を見てくれた人が自由に誰かを想ってくれたらそれでいいのかなと思っています。この作品にはそうした広がり方が出来る可能性があると思っています。
「表現の自由」などいろいろ問題が出てくるのかもしれませんが、その問題を僕が背負えるのであればそれで良いのかなと思っています。

 

 

- 展覧会と写真集としての発表では違いを設けたりしていますか?

写真集は自分の死後も残るように作りたいと思っています。展覧会はある程度の期間で終わってしまうので、その時のライブ感を重要視するようにしています。

 

- 写真集「MOTHER」を拝見した時に、ページをめくっていく中で合間に入っている白紙のページが、岡田さんの息づかいのように感じて臨場感があり、岡田さんとしてその場にいるような感覚になりました。

今回の写真集のページ構成は僕がほぼ決めました。白いページに関しては、僕がここに入れてほしいと具体的にデザイナーに伝えました。
写真のページだけが次々と並んでいると、読者の方が想像をする余地がなくなってしまう。白いページには何も写ってはいないけれど、読者の方がその空白に何かしら思いを馳せてくれたら良いなと思っています。間をおくとか、深呼吸をするとか、そうした効果も考えています。

 

- 白いページの入り方に、深呼吸するイメージがありました。

僕自身も、写真だけを一気に見ていくとしんどくなってしまうところがあるんです。ページをめくりながら、写真の合間に白いページがあることで、次が開けてゆく。白いページでひと休みをして、次のページへ読み進んでゆく感じがいいのかな。
見ることに対するエネルギーが追いつかなくて、途中でしんどくなって写真集を閉じられてしまうのは残念だから、意識的に白いページを入れました。だから、そう感じていただけたのであれば良かったです。

 

- 先ほどもお話に出ていた「ユルリ島」についてお聞ききしたいのですが、どういうきっかけで撮影することになったのでしょうか?

東京でよく一緒に仕事をする編集者の方がユルリ島の話をしていて、そういえば昔、地元紙でユルリ島とそこに生息する野生馬の記事を読んだことがあるなと思い出して、いろいろ調べてゆくうちに、島の野生馬がいずれ居なくなることを知ったんです。そのことを根室市に問い合わせると、誰もユルリ島の馬の現状について記録をしていないということがわかったので、これは北海道の文化として絶対に記録しておくべきだと思いました。
とは言っても、ユルリ島は北海道の天然記念物に指定されているため、メディアをはじめ人の立ち入りは禁止されています。僕もはじめは全く話を聞いてもらえませんでした。いろいろな方へ何度も手紙や電話でお願いをし、交渉を始めてから一年くらいかかって、ようやく根室市から正式に、島の歴史を記録することを委託されました。最初はユルリ島の馬について根室の人たちもあまり関心がなかったので、協力をしてくれる方を探すのも大変でした。でも今は、根室市をはじめ、落石漁業協同組合、島のガイドをしてくださる方など、根室のみなさんが本当に親切にしてくださるのでとても嬉しく思っています。
発表する作品だけではなく、僕が活動を続けることによって周りの人たちの意識や考え方も変わってゆく、そうした変化も芸術のひとつだと僕は思っています。そういう意味でもユルリ島での撮影活動は面白いですし、発言や行動を続けてゆくことの大切さを感じます。街の人たちの島に対する思いが変わってきているのも感じますし、たくさんの方が協力してくださっているので、必ず写真集として形にしなければいけないなと思っています。

 

- 私は北海道在住ですが、ユルリ島やそこにいる野生馬について、岡田さんが撮影していることで初めて知りました。

そうですね、根室に住んでいる方でも現状を知らない人が多いと思います。「ユルリ島にいま馬が5頭しかいないの!」と驚かれる方も多いです。
僕も北海道に住んでいた時には気づかなったこと、見えていなかったものがたくさんあったのですが、東京で活動するようになってから、逆に北海道のことがよく見えるようになりました。

 

 

- 北海道で生まれ育ったことが作品に影響されることはありますか?

北海道らしさというのは北海道に居たときにはわからなかったので、東京へ行ってから、幼い頃に経験したり、見ていたものが今の写真に影響していると思います。
逆に道外の人がイメージするラベンダー畑とかひまわり畑みたいな北海道の風景写真は、僕の中にある北海道の原風景とはずいぶんズレがあるので、そういう意味で、北海道のイメージを変えていきたい。
僕の中にある北海道の原風景を写真で表現してゆくこと、それが北海道出身の写真家として僕がすべきことのひとつなのかなと思っています。

 

- 今後、北海道に限らず「こういったものを撮影したい」というビジョンはありますか?

三十代になったら北海道を撮ろうとは思ってはいたんですが、たぶんそれが完結するのは45歳くらいになるのかなと思います。一応、うっすら(ビジョンが)見えてはいるんですけど、まだ語らないようにはしています。

 

- 最後に、同時期に北海道立近代美術館(以下 近美)、CAI02と二つの会場で展示をしていますが、それぞれどういったところを見せたい、ということはありますか?

いま、写真界全体、美術界もそうですが、自主規制に走ってしまう傾向があります。美術館の場合、公共施設ということもありその傾向がより強くなってしまいます。北海道立近代美術館での展覧会「もうひとつの眺め(サイト)北海道発:8人の写真と映像」は3月22日までですが、CAI02では美術館で展示出来なかった作品も含め、展示構成しています。
美術館の批判をしたいわけではもちろんありません。ただ、作家が美術館の基準に合わせて作品を作りだしたり、美術館に展示出来るかどうかを事前に確認しなければいけなくなったら、そこから新しい芸術は生まれなくなると思うんです。メーカーギャラリーはブランドのイメージを守らなければいけない。「美術館は公共施設だから」という理由はよくわかるのですが、公共施設だからこそ芸術に対して開かれた場所であって欲しいとも思うのです。二つの展示を通し、芸術や芸術を発信する場の在り方について、多くの人が考えてくれる機会になればいいなと考えています。近美で感じることもCAI02で感じることも違うと思うので、両方観てほしいです。
観てくれた人がいろんな反響を寄せてくれたら、北海道の芸術や文化ももっと盛り上がると思うので、そういう効果があれば一番良いなと思っています。

 

 

岡田敦  写真家/芸術学博士

1979年、北海道生まれ。
富士フォトサロン新人賞受賞。第33回木村伊兵衛写真賞受賞。北海道文化奨励賞受賞。
大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、博士号取得(芸術各学)。
2007年、写真集「I am」(赤々舎)を発表。
2010年、写真集「ataraxia」(岡田敦、伊津野重美、青幻舎)を発表。
同年、映画「ノルウェイの森」(原作:村上春樹、監督:トラン・アン・ユン)の公式ガイドブック(講談社)の撮り下ろし企画などを手がける。
2012年、写真集「世界」(赤々舎)を発表。
2014年、写真集「MOTHER」(柏艪舎)を発表。
海外からの注目も高い、新進気鋭の写真家である。
http://www2.odn.ne.jp/~cec48450/

・Facebook
https://www.facebook.com/okadaatsushi.official

・YouTube:ユルリ島
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_BpdvkbNXgUWznHHKIByojXr2oII60cF

 

◎開催中の展示

岡田 敦 個展「MOTHER - 開かれた場所へ」
会場:CAI02 札幌市中央区大通西5丁目 昭和ビルB2F
会期:2015年02月14日(土)〜2015年02月28日(土) 13:00~23:00
詳細はこちら

もうひとつの眺め(サイト) - 北海道発:8人の写真と映像
会場:北海道立近代美術館 札幌市中央区北1条西17丁目
会期:2015年01月31日(土)〜2015年03月22日(日) 9:30~17:00
詳細はこちら

 

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インタビュー:小坂祐美子
撮影:小島歌織